21 / 33

第21話 記憶の拒否

 何かを心配していそうな秘果の素振りが気になりつつも、蜜梨は桃源でのいつもの日常を過ごしていた。  慶寿と行う瞑想が功を奏したのか、神力は着実に増えてきている。  それは自分でも実感できた。  神力が増えるにつれ、色んな気配を感じるようになった。  慶寿や秘果の神力、心惟の凶、花や木に宿る命の鼓動すら、感じ取れる。  それは蜜梨が桃源の瑞希だからだと、慶寿が教えてくれた。  廊下を歩いていた蜜梨は、窓から外を眺めた。  春のような陽気と日差しが、庭の木々や草花を優しく照らす。  緩い風が草花を揺らす様は何とも平和だ。 「不思議な感じだなぁ。一月くらい前まで、看護師で仕事していたのに」  病院で働いて、家では好きなBL漫画を読んで、休みの日には絵を書いて過ごしていた。  あの日々が、今ではもう遠い昔に感じる。 (現世に知り合いは多くないけど。施設長や一緒に住んでた姉ちゃんたちは、元気かな)  一人暮らししていた時は、ほとんど思い出さなかった。  ここにきて思い出すのは、きっともう会う機会がないからだ。 (それに、俺の中にまだ全然、桃源の記憶が少ないからだ。覚えているのなんて……)  少年姿で泣いている秘果や、凶玉を抱えて桃源から墜ちる瞬間だ。  あの記憶があるから、自分は桃源の半神なのだと、かろうじて納得できる。 (他には……、秘果とよく、手を繋いで冒険に行った)  泣き虫で臆病で外に出たがらない秘果を、冒険という名目で連れ出した。  外の気に触れるだけで、竜は神力が増えて体が凶を覚える。  そういう小さな出来事を少しずつ思い出し始めていた。 (懐かしいって、思うんだよな。俺にとって、楽しい思い出だったんだ。いろんな場所に行ったっけ。北の山とか、南の湖とか、あとは霊亀の蓬莱山にある御陵、花窟。あの場所で……)  ドクン、と心臓が下がった。  寒気が背中を伝う。 (あの場所で、何かに遭った。だから俺は、秘果を守って、饕餮を飲み込んで、それで、現世に……)  蜜梨は頭を抱えた。 「あれ? でも……、あの場所で会ったのは、饕餮だよな。他に、いたっけ? 饕餮だけ、だっけ……」  心臓が重くて、体が小さく震える。  まるで、全身が思い出すことを拒否しているかのようだ。 「ぁっ、はぁ……、んっ……」  崩れ落ちそうになった体を大きな手が支えた。  見上げたら心惟が、蜜梨の腕を掴んでいた。 「心惟、俺……」 「お前は、思い出したいのか、思い出したくないのか」  心惟が蜜梨の体を引き上げて、抱き上げた。  いわゆる御姫様抱っこに、慌てる。 「え? なに、この抱き方」 「部屋に運ぶだけだ。どうせ歩けんだろう」 「そうだけど、これは……」  心惟がニヤリと蜜梨を見下ろした。 「なんだ、ときめくか? 蜜梨は受け希望だから、ヒロイン待遇がお好みか?」 「……っ!」  言葉が出ないまま顔だけが熱くなる。 「う、受けがみんなヒロイン願望ある訳じゃないからな! 尻で抱くタイプの受けだって最高なんだから!」 「そうだな。私は後者の受けが好きだ。互いに噛みつきながら繋がっていると尚良い」  若干、テンパってBLネタを投下したのに、心惟が普通に返してきた。 (コイツ、本当に俺と一緒にBL読んでたんだな。しかも、喧嘩ップル好きかぁ。だから秘果さんに噛みつくのか?)  そんな実感をしたら、冷静さが戻ってきた。 「今、さ……。何かを思い出せそうだったんだ。思い出しそうになったら、心臓が重くなって、寒気がして、力が抜けちゃって」 「ならば、無理に思い出そうとするな。昔を思い出さずとも、今はもう問題なかろう」  心惟を見上げる。  蜜梨には目を合わせずに、前を向いている。 「問題ないって、なんで? 俺が思い出さなくても、秘果さんや心惟は、知ってるから?」 「蜜梨は桃源に戻ってきた。瑞希になるには神力さえ戻れば支障ない」  心惟の返事は蜜梨の記憶について、はぐらかしているように感じる。 「思い出さないほうが、良いってこと?」  しつこく食い下がったら、心惟が小さな息を吐いた。 「体が拒否する程度には、その記憶はお前に負担なのだろう。ならば総て捨てて、また一から始めればいいだろう。それでも充分、秘果を愛せる環境であると思うがな」  心惟の言葉に、体がぴくりと反応した。  蜜梨が記憶を取り戻したい一番の理由は、確かに秘果だ。  今でも充分に好きだと思える秘果に真っ直ぐに向き合えない心の蟠りの原因を、はっきりさせたい。 (魂が絡まってるから、そういう俺のモダモダした気持ちとかも、心惟にはバレちゃうのかな)  心惟の感情も、じんわりと蜜梨に流れ込んでくる。  だとすれば、逆も然りだ。  それはそれで、居た堪れない。 「思い出さなくても、秘果さんの側にいて、良いかな。迷惑かけたり、しないかな」  ポロリと本音が零れた。  思い出さなくても自分は納得して秘果の隣にいられるだろうか。 「秘果は気にせんだろう。お前の気持ちはお前次第だ。私は蜜梨さえ無事ならそれでいい。蜜梨が健全に生きてさえいれば、私は死なないからな」  心惟にとっては、そうだろう。  契約がある限り、蜜梨の中で凶を喰って生きられる。  これ以上に安全な棲家もない。 「続きは秘果に聞いてもらえ。目が合っただけで神力が全開だ。流石にあれでは近付けぬ」  心惟が歩く足を止めた。  同じ方に視線を向ける。秘果がこちらを見詰めて立っている。全身から白い神力が立ち上っていた。 「違う! 秘果さん、違うから! 俺が動けなくなってたから、心惟が運んでくれてるだけだから!」  流石に蜜梨も怖くて、秘果が何かを発する前に言訳した。

ともだちにシェアしよう!