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第31話 取り戻したい記憶

「それでね、最初に行く国は東国なんだけど。今日か明日には行こうと思うんだ」 「ふぅん……、え? 今日か明日?」  秘果が何の抑揚もなく話すから、流しそうになった。 「そんなに急ぐの?」 「早いほうがいいかと思ってね。何より、催促されていてね。内緒にしてたのに、蜜梨ちゃんが戻ってきたの、気付かれちゃったんだ。試練が挨拶回りになった理由の一つでも、あるんだけど」 「催促……。会いたいって思ってくれてるってこと?」  喜ぶべきか怖がるべきかも、よくわからない。  秘果が頷いてくれたから、好意的ではあるらしい。 「蜜梨ちゃんの現状は伝えてあるし、東国には怖い相手はいないから、安心していいよ」 「東国にはってことは、他の国には怖い相手がいるんだね」  その情報で、もう気が重い。 「いろんな考えの神獣がいるからね。各国に行く前に、簡単に説明するよ。まずは東国について、軽く説明するね」  秘果が、さっくりと話を流した。 「東国は青龍が治める春の国。仕える竜は|緑竜《りょくりゅう》。数百年前の世代交代で青龍になったばかりの|藍然《らんぜん》様が統治する国だよ。四獣は代替わりする時、名前も引き継ぐんだけど。今の藍然様は三百年前、まだ緑竜で|彩春《いろは》って名前だった」 「緑竜の、彩春……」  ストロボ写真のような映像が、脳内に浮かび上がる。  知らないはずの顔が、見え隠れする。  視界が、がくんと揺れた。 「蜜梨ちゃん! 大丈夫?」  崩れかけた体を秘果が支えてくれた。 「うん、大丈夫。その……彩春って竜に、俺は会ったことがあるよね?」 「俺も蜜梨ちゃんも、彩春さんとは仲が良かったよ。やっぱり、名前を聞いただけで引き金になるよね」  秘果が残念そうな顔で息を付いた。 「思い出さないって言ったのに、ごめん」 「謝らなくていいよ。思い出すのは必然だ。俺の役目は、思い出した蜜梨ちゃんが、どうなっても支えること。そう決めたんだ」  秘果が微笑む。  辛そうな笑みに胸が痛む。 「でも、秘果……」 「やっぱりね、思い出さないのは、無理だよ。蜜梨ちゃんは、この桃源で生きていたんだ。関わってきた神獣や凶が多くいる。それら全部、忘れたままでいろなんて、俺の我儘だ」  秘果が苦笑する。  沈んだ笑みが、本心でないと語っている。 「特に彩春さんは三百年前の事件にも関わっているから、あの時のことを、蜜梨ちゃんはきっと思い出す」 「だったら、別の国から回るとか」  蜜梨の提案に、秘果が首を横に振った。 「他の国にだって、蜜梨ちゃんに関わった神獣や竜がいるし、もしかしたらもっと大変な思いをするかもしれない。何より、後回しにしても結局行くなら同じでしょ?」  そう言われてしまうと、その通りすぎて何も言えない。 (慶寿様が思い出すかは俺次第って言ってたけど。邸宅で神力を高めるだけでも良いって、言ってくれた)  前に慶寿の部屋に行った時、神力を高めて瑞希の儀式に望んでも良いと話していた。 「あのさ、この試練って、行かなきゃダメかな。他の国に行かないで、この邸宅で封印術、何とかできないかな」  各国で知り合いに会えば、確実に記憶の扉が開く。  その時に、秘果が恐れる事態になるのは、嫌だった。 「……それが蜜梨ちゃんの望み? 本当に、それでいいと思ってる?」 「他の国に行って記憶が刺激されるより、ここで修行できるなら、そのほうがいい」 「本当に思い出さなくて、いいの? じゃぁ、どうして蜜梨ちゃんの記憶が蘇るの?」 「それは……、俺にもよくわからないけど、心惟が食った記憶が魂に沁み込んでいるから、勝手に出てくるんじゃ」 「心惟は、記憶を絞っているよ。それでも蜜梨ちゃんが思い出すのは、蜜梨ちゃんが本当は取り戻したいと思っているからだ」 「え? どういうこと?」  秘果が気まずそうに俯いた。 「ごめんね。実は、心惟に記憶を絞ってもらってた。思い出すのが蜜梨ちゃんにとって負担なら、忘れたままがいいって。だけど、心惟の力じゃ絞り切れないくらい、蜜梨ちゃんの引き出す力が強いんだ」  初めて聞く話で、蜜梨は呆然とした。  心惟から、そんな話は聞いていない。  いつの間に二人は、そんな相談をしていたんだろう。 「俺が昨日、泣き付いたから、蜜梨ちゃんは思い出さないって決断してくれたんだよね」 「違うよ、その前から俺は、忘れたままで良いって、決めてたんだ」  秘果が泣く前から、そう決めた。  体に負担になるくらい辛い記憶。蜜梨が思い出すことを誰も望まない記憶。そんなものは、いらない。

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