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第8話
「…………?」
昼休みにトイレから自分の席に戻ると机の横にかけてあったはずの体育館シューズが袋ごとなくなっていたことが1番最初の違和感だった。
ロッカーの中や鞄の中を探しても見つからず、前の席の生徒に見てないか尋ねたものの「知らない」と気まずそうに目を逸らされて終わった。
「………?………?」
結局昼休み中に見つけることは出来ず、放課後ひとり教室に残りながら改めて鞄の中やロッカーの中のものをひとつひとつ取り出して探したが、出てくることはなかった。
「あれ、黒崎くんじゃ〜ん」
諦めて職員室に相談しに行こうと思ったその時、教室に3人の男子達が入ってきてそう声をかけられた。
3人とは同じクラスではあるものの絡んだことはなく、よく休み時間に大きな声で騒いでいてうるさいと感じる程度の印象だった。
「………………何」
互いに今まで関わったことがないはずなのにニヤニヤと小馬鹿にしたような笑いを浮かべられていることが不快だった。
「もしかしてコレ探してる?」
3人の中で1番背の高い金髪の男子が持っていたのは遼が今まさに探していた物だった。
「…………!!」
なんで、という言葉を発するより先に、袋に入った体育館シューズが遼の目の前に飛んできた。
反射的に腕で顔を庇ったものの勢いよく投げつけられたシューズが体にあたり、床に尻餅をつくかたちで倒れ込んだ。
顔をあげた時には3人の男子生徒に囲まれ見下ろされる形になっていた。
「ほら、探してたんだろ?返してやるよ」
金髪の男子はそう言うと、遼の体に当たった体育館シューズを拾い上げ顔めがけて振りかざした。
痛みを感じるのと口の中に血の味を感じるのはほぼ同時で「鼻血出してやんの」「キレーな顔が台無しだな」と他の2人が笑う。
「……っ……な、なんでいきなりこんなこと……」
遼の言葉に「「「は?」」」と3人の声が揃う。
「てめぇが俺の女に手ェ出したんだろうが!」
「…………!?」
ガンッと鈍い音をたてながら体育館シューズが再び遼の顔めがけて振り下ろされる。
「お前、昨日リコ呼び出して告ったんだろ?」
金髪の男子が発したリコという名前が自分に告白してきた8組の女子と一致するまでに少し時間がかかった。
「違っ……そんなこと……してない……」
痛みで上手く口が開けずそれだけ言うのが精一杯だった。
「はあ?何がちげぇんだよ。俺らお前が昨日リコと2人でいるところみてんだからな」
金髪の男子の言葉に「嘘ついてごまかそうとかウケる」「やっぱフツーじゃねえんだな」とまた2人が笑う。直接的に手は出してこないものの、この2人の態度は身体への暴力と同じくらい遼の心を抉った。
「おかしいと思ったんだよ、リコが俺ら以外の男といるなんて。リコに聞いたらお前が無理矢理呼び出したらしいじゃん?で、告っていざリコが断ったら、やっぱり今は家の手伝いが忙しいだのそんなに女に興味ないだの負け惜しみみたいな言い訳並べてたんだってな。マジきめえわ」
「…………………。」
話の内容から、昨日の一連の出来事が捻じ曲げられていることを何となく理解した。自分と2人きりでいるところを彼氏に見られていたのはリコにとって誤算だったのだろう。
「ってか男もイケるとか俺らも狙われるんじゃね?」
取り巻きの1人の言葉に他の2人の笑いが重なる。涙が出そうになるのを何とか堪えた。
去勢してやろうか、と言いながら服に手をかけられそうになった時「おい、お前ら!!そこで何してる!!」と大声が響き渡った。
「…………!!やべっ!!」
3人はパッと遼から離れるとそのまま振り返ることもなく全速力で教室から出ていった。
「おい、君大丈夫か!?」
駆け寄ってきたのは用務員の初老の男性で、その男性が持っていたティッシュで顔についていた鼻血を拭いてくれた瞬間、遼の瞳に涙が溢れた。
「………………!!」
帰宅した遼の顔をみて両親は一瞬息を呑んだ後、何があったのかしつこく聞いてきたがとても話せる状況でなく、ただ何を言われても「大丈夫……大丈夫だから」と繰り返した。
その言葉は親を安心させたいというよりも、もはや自分に言い聞かせている呪文に近かった。
体が痛いから学校を少し休みたいと伝え、2週間休んだが毎日悪夢をみるようになり、身体的には回復しても気持ちは何も休まらなかった。
それでもずっと休んでいるわけにはいかないと思い、6月の半ばに登校を再開した。
登校するとクラスメイト達は一切遼と目を合わさず、遼が話しかけても「ごめん、今忙しいから」とどこかに行ってしまうことがほとんどだった。
「やっべ!黒崎に触っちゃったわ」
「マジ?はやく消毒しないと菌がうつるぞ」
暴力を振るってきた3人はあの日以来直接手を出してきたり物を隠して待ち伏せしていることはなかったが、わざとぶつかり遼を菌や汚物のように扱う言動を繰り返した。
そんなことが続いて2週間ほど経ったある日の朝、もう無理だとはっきり自覚した。
夜は眠れず食欲もわかず、ずっと続けてきた店の手伝いもあの日以来出来なくなり、何とか学校に行っても周りの人間が全員敵のように感じた。またいきなり何かされるのではないかと常に怯え、どれだけ無視してもふってくる悪口に精神をすり減らす。限界だった。
休みたい、という遼の言葉に両親は理由も聞かず快諾してくれた。
とにかく自室のベッドでひたすら横になる生活を1週間ほど続けた7月のある日、担任から保健室登校で良いから学校に来ないかと連絡があった。
「…………どうする?遼が辛いなら無理しなくても……」
「そうだぞ。それにあの担任は今まで何の連絡もよこさなかったじゃないか。それを何なんだ急に……」
両親の言う通り、当時の担任は遼が暴力を振るわれ休んでいた2週間も、登校を再開した日も何も声をかけてはこなかった。両親があの日の詳細を聞こうと学校に電話をした際も「クラスの子達ともめてたみたいって話は別の者から聞いてるんですけどねぇ……」と歯切れの悪い返事が返ってきただけで遼にその詳細を聞き取ることはなく、両親の中では信用が地に落ちていた。
「…………………クラスの誰とも会わないなら」
もしかしたら寄り添ってもらえるのかもしれない。話を聞いてもらえるのかもしれない。
そんな期待を少しだけ抱き、学校までは親に送ってもらうことで保健室登校を開始したものの、遼の淡い期待はすぐに打ち砕かれることとなった。
「黒崎、教室に戻ってみないか?」
保健室登校を始めて3日目、いきなり保健室に入ってきた担任は遼の向かい側の席にドカッと座るとそう切り出した。
「え」
突然のことに思考が停止する。
「お前、保健室にはこうして来れるじゃないか。もう3日目だし、そうじゃなくても休みが続いてた分、授業におくれが出てるだろ?戻ったほうがお前の為になるんじゃないか?」
オマエノタメ。
担任の言葉が頭の中でぐるぐるまわり、言われている意味がすぐには理解できなかった。
でも、とようやく絞り出した言葉を「でもぉとかじゃなくてだな」と茶化すように遮られる。
「他の先生達も心配してるんだよ、お前のこと。お前今までクラスで揉めたり休んだりなんてしなかったじゃないか。それが急にこんな風になっちまって」
こんな風、という言葉が脳に直接突き刺さった。
「………………………。」
黙り込んだ遼に少し苛ついた様子で「そういえばお前、オトコも好きなんだってな」
「…………は?」
弾かれたように顔をあげると、含み笑いをした担任と目があった。
「ちょっと耳にしてな。いや、俺は良いと思うよ?こういう『多様性の時代』だし?俺らの頃は考えられなかったけど今は違うもんな。あれか、それを気にして教室に行けないのか?それなら俺がクラスの奴らに言ってやろうか、そういうのも今は『普通』のことだって」
そう話す担任の笑い方は遼を菌扱いするあの3人と全く同じだった。
起床してから何も食べれていないはずなのに吐き気が込み上げてくる。
「…………俺、帰ります」
遼の言葉に担任は「ぁ?」と素っ頓狂な声をあげ「おい、待て、ちょっと……」と宥めようとしてきたが無視して保健室を出た。
そのまま靴も履き替えず自宅までただ歩き「どうしたの……!?」と出迎えた両親に「もう行かない」とだけ告げ部屋に籠る。この日から自宅だけが遼の居場所になった。
***
〜♪〜♪〜♪
「………………ッ!!」
スマホの通知音でビクッと目を覚ます。
いつもと同じ音量のはずなのにやたら大きく感じたのは夢見が悪かっただろうか。
そんなことを考えながら起き上がり時間を確認する。既に18時を過ぎていた。
母親が朝用意してくれた水を一口飲み、少し楽になった体でリビングに向かう。
「あ、起きた?どう、体調は」
これ残りだけど、と言いながらりんごを差し出す母親から、ありがと、と受け取りつつ「まあ朝よりはだいぶマシ……」と答えた。
「さっき一誠先生から電話があったよ。来週の日程に少し変更があるかもしれないから念のため伝えてくださいって。そこにメモしておいたから。あとクラスの子が遼の体調心配してたって話もしてくれて」
あの人は優しくて良い先生だね、と嬉しそうに話す母親の言葉に頷きつつ、そういえばスマホ鳴ってたなと思い出し、自室からスマホを持ってくる。
リビングで通知を開くと『A組』のクラスチャットにメッセージが6件入っていた。
サヤ:『@遼
体調悪いんだって?ゆっくり休めよ。喉には生姜湯が効くぞ』
唯:『@遼
はちみつ飴も効く。月曜日持っていこうか?』
亜希:『@遼
いっそのこと2つ合わせて生姜はちみつ湯にしちゃえば?効果2倍じゃない!?』
サヤ:『@遼
確かに。体に良いしいっそみんなで飲むか』
唯:『@遼
来週は体育とか体使う授業結構あるから土日ゆっくり休んで』
亜希:『@遼
月曜日待ってるからね〜!』
なぜみんな全部のメッセージで俺にメンションを、と思いつつ口からは自然と笑みが溢れた。
全員の名前を同じようにメンションし、『ありがとう。今日は───』とメッセージを入力していく。今度は入力した文字を消すことなく、送信ボタンを押した。
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