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第5話
迷いのない、真っ直ぐ綺麗に伸びた背中を遠くから見ていた。
近づいてしまうと彼への熱情で自分が燃えてしまうんじゃないかとか、そんな馬鹿なことを本気で考えたりもするほどに。
あの頃頭の中は彼でいっぱいだった。
ーー
「志朗〜、起きてるかぁ?」
青葉はドアの前から声をかけた。
雨が続くと志朗の寝起きはどんどん悪くなる。
去年、志朗が遅刻するようになったのもちょうど梅雨の時期からだった。
低血圧というやつだろうか。
「うーん、起きてるよ」
目を擦りながら志朗が気怠そうにドアを開けた。
まだラフなTシャツに短パン姿だ。
「あ、今起きたところだろ?!あと10分で1時間目始まるぞ」
「わかってるって。でも今日は本当眠くて。とりあえず顔洗ってくるね」
志朗はそう言うと寮の廊下にある洗面所へとゆっくり歩いて行った。
入れ替わりに青葉が志朗の部屋へ入る。
いつも通り学校へ行く準備をするためだ。
枕元に置かれたままのスマトーフォンに手を伸ばす。
充電がされてることを確認すると、それを志朗のリュックに入れようとした。
しかしその瞬間ブブッとスマートフォンが揺れた。
思わず画面に目を向ける。
可愛らしい自撮りの女性のアイコンと共に
『夏休み帰ってきたらいつ会える?』
というメッセージが表示されていた。
心臓がドクンと音を立てる。
しかしそれ以上見てはいけないと青葉はスマートフォンをリュックの奥に押し込んだ。
入学してすぐの頃、「彼女はいるのか?」と栄一に聞かれた志朗は「東京にいるよ」とサラッと答えた。
「こっちに来ることが決まって別れ話になったけど、とりあえず別れないって選択になったんだ」とも。
しかし一年の夏休み明け、東京から戻ってくると志朗は「別れたんだ〜」と平気そうな顔で言っていた。
悲しそうな顔は微塵もしなかった。
その志朗の感情に共感ができず、青葉はただ黙ってその場を見つめていた。
『好き』という感情にこんなにも振り回される自分がおかしいのだろうか。
いつまでたっても消えることはなく、ふとした瞬間に思い出しては胸が痛くなる。
いつになったら志朗のように平気な顔で『過去の人』のことを語れるようになるのだろう。
「おまたせ〜。行こう〜」
顔を洗い終わって戻ってきた志朗は、三分もしないで準備を終えると青葉に微笑みながら声をかけた。
そんな志朗を青葉はジッと座った目で見つめる。
「何?どうしたの?」
「・・志朗って、今付き合ってる人いるの?」
「え、いないよ〜。今の生活見てているように見える?」
眉尻を下げてヘラッとした顔で志朗は笑った。
「うちの学校にはいないって思うけど。東京にいるかもしれないじゃん」
「あはは、いないいない!遠距離恋愛なんて俺向いてないもん」
「でも1年の最初の頃はいたよな?」
「だから向いてなくて別れたんだよ〜。やっぱり遠いと期待に応えてあげられないこと多いからさ」
「期待?」
「うん。してほしいこととか、言って欲しいこととか。距離があると難しいよね」
「・・そうなのか」
青葉は神妙な顔つきで前を向いた。
期待?恋人に求めるもの?
そんなこと、考えたこともなかった。
ただ、そこにいてくれるだけで・・
「あっ・・」
青葉はハッとしたように声を出す。
「なに?どうしたの?」
「あ、いや。なんかわかったなって思って」
「え?」
「そばにいてほしいって思うことも期待なのかなって。それだったら確かに遠距離は難しいよな」
「・・・」
志朗は目を丸くさせながら青葉をマジマジと見る。
「なんだよ?」
「ううん。青葉が恋愛トークするの珍しいなって。青葉はそういう話のってこないじゃない?一体どうしたの?」
「べ、別に・・俺だってそういう話する時あるって。志朗の方がこういう話はのらりくらりとかわすだろ」
「えー、そんなことないよ」
「そんなことある!」
青葉は眉間に皺を寄せて志朗を睨んだ。
しかし志朗はいつも通り余裕のある笑みを浮かべたままだ。
先ほど見てしまったメッセージのように、彼女がいなくとも求められることは多いのだろう。
人から求められることは自信に繋がる。
彼の余裕そうな雰囲気はそういうところからくるのだろうか。
自分だって、もう少し自信を持てれば・・
本当は卑下するようなことは考えたくない。
自分だって頑張っているのだ。
けれど・・結果が伴わなければそれを実感することはできない。
青葉が不貞腐れたように歩いていると、志朗がふと真剣な眼差しをこちらに向けてきた。
「・・・青葉、いるの?」
「え?」
「そばにいてほしいって思う相手」
「っ・・・」
思わずゴクリと唾を飲み込む。
脳裏に彼の顔が浮かんだからだ。
そのわずかな躊躇いを志朗は見逃さなかった。
「いるんだね、好きな人」
志朗は柔らかく微笑みながら首を傾げる。
「べっ、別にそういうわけじゃ・・」
「あはは。青葉顔に出るから分かりやすいよ。今までよく隠してたね。あっ、だからあえて恋バナに入っていかないようにしてたとか?」
「・・・」
図星過ぎて青葉は黙り込む。
そう、もしもその話題を振られたら素知らぬ顔は出来ない気がしていた。
だから恋の話が始まれば、決まって栄一にその話題を振って自分にはこないようにしていたのだ。
だって・・答えられるわけがない。
好きな相手があの、無愛想でどこかクラスから浮いていた転校生だっただなんて。
あの頃、みんなにバレないように彼を追いかけていただなんて・・そんなこと・・
でも・・
志朗は彼のことは知らない。
だから、バレても良いのかもしれない。
いや、本当はずっと重い泥が溜まってしまっているような、スッキリとしない心持ちを誰かに聞いて欲しかった。
彼が去った寂しさを、誰かに聞いて欲しかった。
志朗は人の秘密を簡単に口にするような奴ではない。
だから、志朗になら・・・
「・・いた・・好きな人。でも、栄ちゃん達には言えない相手だった・・」
青葉は俯きながらポツリと言葉を溢した。
「だから、そういう話には入らないようにしてた。絶対秘密にしなきゃって思ってたから」
「・・そんなに、知られちゃまずい相手だったの?」
蕩けるような垂れた瞳で志朗がじっとこちらを見つめる。
「・・・志朗、引かないで聞いてくれる?」
「・・うん?」
志朗が頷くのを確認すると、青葉は小さく深呼吸する。
それから覚悟を決めると志朗の目を見返して口を開いた。
「中学の時の、男の同級生」
「・・・え」
青葉の言葉に志朗の垂れた瞳が見開かれる。
そのわずかな躊躇いに気づきながらも青葉は続けた。
「中2の時に東京から引っ越してきて、それで卒業と同時に居なくなったけど・・」
「それって、この間青葉や三登が話してた子?足が速かったっていう・・」
志朗は栄一のことを苗字の三登で呼ぶ。と、いうより青葉以外はクラスメイト全員苗字呼びだ。
一年経っても下手に距離感を詰めないところが志朗らしい・・なんてことをぼんやりと思いながら小さく青葉は頷いた。
「ごめん、急にこんな話して。引かないでって言っても引くよな。でも、俺普段から同性をそういう対象で見てるわけじゃないから・・だから安心して欲しいっていうか・・あいつだけが特別だったんだって思ってて・・」
青葉は歯切れ悪く言うと、視線を下に落とした。
志朗に変に警戒されたくない。だけど、彼の才能に魅せられ始めていることは事実だ。
彼の話をしてしまった以上、この想いは絶対にバレてはいけない。
「・・名前、なんだっけ?」
「え・・」
志朗に聞かれ青葉は再び顔を上げる。
「その転校生の名前。たしか、ふかや・・」
「違う、ふかみ・・」
「あぁ、そうだふかみ君だ。深いに見る?」
「深いに海。それで深海」
「へぇ。なんかかっこいい」
いつもの穏やかな表情のまま志朗は笑った。
「えぇ、何がかっこいいんだ?」
青葉もつられて笑う。
「自然の漢字が入ってるとかっこよくない?」
「じゃあ志朗だってそうじゃん。月が入ってるし」
「あぁ、確かにそうだね。気がつかなかった」
志朗は今にも雨が降り出しそうな空を見上げて微笑む。
気まずい空気にならないようにしてくれているのだろう。
「深海君とは仲良かったの?」
「え・・仲・・どうかな・・あいつ基本的に無愛想だったから」
「じゃあ遠くから見てただけ?」
「・・・最初は・・そう。それで満足してた・・けど」
けれど、やはりそれじゃ足りなくて・・
あの頃の俺は、ただひたすらに追いかけていた。
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