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第11話
「なぁ、1年生っていつから入寮するんだっけ?」
高尾が朝食の味噌汁を啜りながら聞いてきた。
「来週からだろ。週明けには荷物が届き始めるから、廊下も整理しとけよ」
道耶はジロリと横目で高尾に視線を送る。
「分かってるって。実家から帰ってきたらやるよ。せっかくの部活休みの土日なんだからゆっくりしようぜぇ」
気楽な返答に道耶は小さくため息をついて、目の前の朝食を食べ始めた。
寮の食堂にあるテレビから今日の最高気温は十五度という声が聞こえた。
練習にはちょうどよい気温だなと思ったが、今日は休息日だ。
春休みに入って最初の土日は部活は休みと決まっている。
そのタイミングで帰省する寮生が多いためだ。
例に漏れず高尾も今日明日と実家に戻るらしい。
「深海は今年も帰省しないんだろ?」
「しない。家に帰っても誰もいないし」
「親、海外だっけ?それじゃ仕方ないよな」
横で食べてた宮原が話に入ってきた。
「夏合宿の時のじいちゃん家は?ちょっとだけ会いに行ってなかったっけ?」
「・・少しだけ抜けさせてもらって挨拶には行ったけど。でももう行く予定はない」
「ふーん。しかし夏合宿の場所すごい田舎だったよなぁ。夜の暗さにはビビったわ」
宮原が口の端を上げて笑う。
「深海、中学まであそこにいたんだって?普段何して遊んでたの?」
「・・・川で泳いだり、あとは走ってた・・」
「あはは!深海ブレねぇなぁ」
仲間たちが愉快そうに声をあげた。
「何も無さそうだもんなぁ、あそこ。走るのにはちょうどいいか!」
揶揄うように言う高尾の言葉を無視して道耶は黙々と箸を進める。
何もないのは事実だが、それを笑いのネタにするノリには同調できない。
あそこにしかないものだって確かにあるのだから。
「帰省しないんだったら深海はこの土日なにすんの?」
「え・・」
「久々の休みじゃん。なんか浮いた話とかないのかよ〜。俺らあと一年で高校生終わっちゃうんだぜ」
肩を落としながら宮原がため息をついた。
「スポーツクラスはモテるって聞いたのになぁ。実際モテてんの野球部とサッカー部だけじゃん」
「人によるだろ、部活は関係ない」
澄ました顔で答えると、宮原が意外そうな顔で道耶を見つめた。
「え、なになに?まじで深海デート?やば!誰?」
「えぇ、まじで?最近やけにスマホいじってるなって思ってたんだけど、そういうこと?」
高尾も興味津々で聞いてくる。
「違う。出かける用事はあるけどそんなんじゃない」
「じゃあ何さ、何しに行くのさ?」
「そんなの・・・」
そんなの、こっちが聞きたいよ。
—
久々に萩亥佐に戻った、あの夏。
『守月志朗』に出会った。
こちらが一方的に顔を知っていて、意味もなく意識していた相手。
まさかその志朗から話しかけられるとは思わなかった。
それどころか、その後も宿泊所で出くわすたびに話しをするようになるとは・・・
「お疲れ様です。今日暑かったでしょ?」
萩亥佐に到着し二日目。
練習を終えて宿泊所に戻り中に入ろうとした所で声をかけられた。
たまたま自分が一番後ろを歩いていたからだろうか。
その声に反応したのは自分だけで、他の者はみな歩みを止めることなく行ってしまった。
横を向くと志朗がTシャツに短パンのラフな格好で立っていた。
「今日の最高気温33度だったって。皆さん大丈夫でした?」
どこか砕けたような口調だが、一応従業員として話しかけているらしい。
「・・まぁ。グラウンドの近くの室内施設も借りてて、日が高い時間はそこで練習したり」
「あぁ、そうなんだ!よかった。これからますます暑くなるのにずっと外にいたら大変だろうなって思ってたんだ」
志朗は柔らかい微笑みを見せると、ジッと意味ありげにこちらを見てきた。
「深海君、だよね?」
名前を聞かれ道耶は小さく頷く。
「陸上って楽しい?」
「・・速くなりたいって気持ちで続けてる。楽しいって思うかはよく分からないけど」
なぜそんなことを聞くのだろう。
陸上に興味があるのだろうか。
見た感じ運動をしそうな雰囲気には見えない。
青葉はこの人物とどういう風に仲良くなったのだろう。
「・・俺、もともと萩亥佐の中学に通ってたんだけど・・」
「え?」
ハッと気がついた時には言葉が口から溢れていた。
言うつもりなどなかったのに。
なのに、何故だろう。無意識な対抗意識が出てしまった。
しまったと言う顔で黙る道耶に対して、志朗は興味津々な顔で笑いかけてきた。
「へー!そうなんだ!萩亥佐に住んでたの?すごい偶然だね!」
道耶は気まずそうに横を向いてゆっくりと口を開く。
「・・中2からの2年間だけだけど。だけど、あんたのこと知らないから・・引っ越してきたのかなって・・」
「あぁ、俺?俺はね高校の『田舎留学制度』っていうので東京からきたんだ。萩亥佐分校の寮に住んでるんだよ」
「・・・」
ニコリと笑って答える志朗を道耶は横目で見つめる。
なるほど。
そう言えばそんなものがあることを昔青葉が話していたかもしれない。
高校になったらここを出ていくと決めていたので、あまり気に留めていなかった。
志朗は道耶が何も言わないことを気にする様子もなく笑顔のまま話を続けた。
「クラスメイトに何人かいるよ、あそこの中学出身の人。三登とか知ってる?」
「え・・あぁ」
三登栄一の名前が出て道耶は頷く。
ほとんど喋ったことはなかったが、青葉と仲が良かったのでよく覚えている。
「俺、三登の紹介でここでバイトしてるんだ。三登のお父さんがここの従業員なんだよ」
「・・あぁ、そうなんだ」
それは知らなかった。
しかしおそらく問題はないだろう。
道耶が栄一の父親の顔を知らないように、おそらく栄一の父親も道耶のことはわからないはずだ。
萩亥佐に戻ってきていることは、昔のクラスメイトにはできるだけ知られたくはない。
「・・あとは、そう。民屋青葉」
志朗のその言葉にドキリと心臓が鳴る。
しかし動揺を悟られないように、表情を変えないまま道耶は志朗の方に目を向けた。
「家族が川沿いの食堂やってる。青葉のことは覚えてる?」
口角を上げて志朗は薄く微笑む。
しかしその視線には何かを見透かされているような光を感じた。
こちらが意識しすぎて勝手に勘繰ってしまっているだけかもしれないが・・
「・・覚えてるよ。青葉のことは・・」
道耶は釣り上がった大きな瞳で志朗を見つめて言った。名前を言ったのはわざとだ。
志朗が青葉のことを『青葉』と言ったから。栄一のことは『三登』と言っていたのに。
「あ、良かった!俺今ね、青葉と一緒に食堂のSNSにのせる絵を描いてて」
「え・・・」
「見たことある?青空食堂のSNS」
「・・・」
笑顔で聞いてくる志朗とは対照的に道耶の顔は強張る。
見たことあるに決まっている。
青葉が撮った写真を見て、彼が元気にしている姿を想像していたのだから。
だから・・そのSNSに変化が起きたこともすぐに気がついた。
今年の春頃から、急に写真ではなく絵があげられるようになったのだ。
正確には絵と動画を組み合わせたもので、初めてそれを見た時は青葉にはこんな才能もあったのだなと驚いた。
けれど見ていくうちに、それは彼の描いたものではないことがわかった。
『友人との共同制作』との文字があったからだ。
その友人とは誰なのか。
中学の同級生にこんなに絵の上手かった人物は思い当たらない。
おそらく高校からの友人だろう。
そう考えると思いつくのは、分校のSNSでいつも青葉の隣に写っていたあの・・・
道耶は目の前の、どこか甘ったるい整った顔を見つめる。
それから、声が掠れないように気をつけながら口を開いた。
「青葉と・・仲がいいんだな」
「え?」
「青葉にお願いされたのか?SNS手伝ってって・・」
「・・あぁ。うん、そうだよ。俺もともと青葉の写真のファンだったんだ」
「・・ファン?」
道耶は眉を顰める。
「そう。東京にいる頃にたまたま青空食堂のSNSを見つけてさ。それで萩亥佐に興味を持って高校ここに決めたんだよ。だから、青葉からSNS手伝ってって言われて迷うことなくすぐに引き受けたんだ。協力したくってね」
「・・そう、なのか」
あのSNSを俺以外にもずっと見てきた奴がいたのか。
青葉が始めた、あのSNS。
なぜ、あれが始まったのか。本当はその理由にとっくに気づいていた。
けれど言わなかった。見ていて欲しかったから。
青葉が見ていてくれたら、ここで一人ぼっちではないと思えたから。
けれど、今彼の視線の先には自分はいない。
今、青葉は何を見ているのだろう。それを知っているのは・・
「ねぇ、俺も聞いていい?」
志朗がチラリとこちらに視線を向けた。
「・・なに?」
道耶は少し身構えるようにして見つめ返す。
「深海君は三登とか・・青葉に連絡はとったの?帰ってきてるって」
「え・・・」
「せっかく帰ってきてるなら会いたいんじゃない?」
「・・俺は二年間しかここにいなかったから。あんまり仲良くならないで卒業したし・・」
「・・・そうなんだ」
志朗はフッと小さく息を吐く。
「でも、青葉とは仲が良かったのかなって思ったけど、違うのかな?」
「・・・なんで?」
「聞いたことあるよ。足の速い同級生がいた話。青葉も足が速かったけどそれよりも速い子がいたって」
「・・・」
「青葉は憧れてたんじゃないかな、深海君に。そんなふうに聞こえたけど」
「・・・憧れ・・」
あれは、そういう熱視線だったのだろうか。
いつも隣りで楽しそうに笑っていた。けれど時々ふと、その瞳に熱が宿る。
それは自分が青葉に向けているものと同じ温度なのではないか。
なんて、思ったりもした。
それも今となっては確認もできない。自分から突き放してしまったのだから。
けれど・・
「お願いが、あるんだけど・・」
「え、お願い?」
道耶の言葉に志朗が不思議そうな顔をする。
「今の、青葉の話をを聞かせて欲しい・・元気なのか、とか」
「・・・青葉の?なんで?」
「青葉とは・・確かに仲が良かった、と思う。けど今は会わす顔がない。でも、ずっと気になってた、元気でやってるのかって」
「・・でも、直接会う気はないってことでいいんだよね?」
「その決心はまだつかないから・・だから、今の青葉の話を聞きたいんだ」
「・・・わかった」
志朗は何かを考えるような顔をしたが、すぐに小さく頷いた。
「確かに会わないほうがいいってことあるよね。思い出は綺麗なままの方がいいし」
「・・・」
「連絡先交換しようよ。時間が空いた時に連絡してくれたら話すからさ」
志朗はそう言うとポケットからスマホを取り出した。
「俺、今スマホ持ってないんだ。部屋にある」
「そっか、じゃあIDメモするからこれで申請してね」
志朗は反対のポケットに入っていたメモ帳にサラサラとIDを書き込む。バイト用に使っているメモ帳のようだ。
書いたページを破ると一枚道耶に差し出してきた。
道耶はそれを受け取ってからポツリとお礼を言った。
「・・ありがとう」
「うん。じゃぁ連絡待ってるよ。みんなには深海君のこと秘密にしておくから」
「あぁ・・」
道耶が返事をすると、志朗はニコリと笑って去って行った。
その背中を見送ったあと、手に持った紙をジッと見つめる。
『今の青葉』を知るキッカケが出来た。
守月志朗にはどんな風に今の青葉が見えているのだろう。
それからというもの、主に夕食後に志朗に会うようになった。
志朗がバイトの片付けを終えて宿泊施設を出る前の少しの時間だ。
萩亥佐分校の話から始まり、そこで過ごす青葉の様子について聞く。
彼は部活には入っておらず陸上はもうやってないそうだ。
自分のせいかもしれない、とチクリと胸が痛くなる。
しかしその考えはおこがましいのかもしれないと、志朗の話を聞いて改めて思った。
志朗が話す青葉は、今をとても楽しそうに過ごしていた。
陸上以上に夢中になれるものを見つけたのかもしれない。
例えばそれが、志朗との共同制作だ。
二人で描く場所を探して回ったり、描き上げた絵を基に動画を撮ったりしているらしい。
志朗の話を聞いているだけで、青葉の明るい笑顔が想像できる。
自分の生まれ育った大好きな場所のために。
協力してくれる心強い友人を見つけて、毎日楽しく過ごしている。
きっとそんな彼の日常に自分はもう必要ない。
囚われているのは、きっともう自分だけなのだ。
だったら、自分もそこから抜け出さなくては・・
「え・・青葉に?」
道耶からのお願いに志朗が珍しく戸惑うような表情を見せた。
『青葉に丸み橋にきてくれるように伝えて欲しい』
なんて急なお願いだっただろうか。
「あぁ。明日が練習最終日なんだけど、明日だけグランドの予約が取れてないらしいんだ。でも何もしないって訳にもいかないから、萩亥佐をランニングして回ることになって。それで、もし・・可能だったら午後3時くらいに青葉に丸み橋に来てもらえないかなって・・ちょうどそれくらいの時間に休憩に入るから」
「・・青葉に、会う気になったの?」
「少しだけ・・話ができたらと思って。青葉が良ければだけど・・」
「・・・」
「急な頼みで悪い・・」
志朗はなんの反応も示さない。
やはり面倒なことを言ってしまったのだろうか。
しかし少しの沈黙の後、志朗はいつもの柔らかな笑みを浮かべて言った。
「わかったよ。青葉に伝えておくね」
「・・あぁ、ありがとう・・」
「でも・・青葉がどうしたいかは俺は聞かないでおくよ。だから、俺は伝えるだけにしておくから」
「・・・わかった。ありがとう」
それはつまり、青葉が来るかどうかは明日の青葉次第ということだろうか。
もし来なければ、青葉はもう俺と話したいことは特にないという事かもしれない。
それならそれでもいい。
新しい道を楽しく歩んでいるならそれで・・・
ーー
「じゃぁな、深海。留守番頼むぜ〜」
高尾が扉の外からチラリと顔を出すと手を振って言った。
今から実家に帰るようだ。
道耶は軽く手を上げて応えると、手元のスマホに目を落とす。
『3時に駅でお願いします』
その文をもう一度読み直して小さく息を吐いた。
守月志朗から突然連絡があったのは、夏合宿が終わって五ヶ月が経った頃。
ちょうど去年の年末だった。
『春休みに会えないかな?』
という質問に、すぐには返事ができなかった。
ほんの数日間交流があっただけの友人とも言い難い関係だ。
そんな彼が一体何の用事があって自分に会いたいのだろう。
想像出来ることとしたら、青葉のことくらいだろうか。
あの日、結局青葉は橋に現れなかった。
一時間ほど待ったが、もう来ないことを悟り祖父母の家に挨拶にだけ寄って道耶は橋を後にした。祖父母に顔を見せられただけでもよかったと思っている。二人とも元気そうだった。
そのことを帰りのバスに乗り込む直前、従業員として見送りに立っていた志朗にこっそり伝えると「そっか・・力になれなくてごめん」と言って眉尻を下げて笑った。
彼と話したのはそれが最後だ。
もしかしたらその事を気にしているのだろうか。
こっちとしては、青葉が現れなかったことで気持ちの踏ん切りがついた。
あれ以来、もう萩亥佐に関する検索はしていない。
見ないようにする事で、いつかちゃんと過去になっていくと思っている。
だから今更、あの夏のことを掘り返したくはないのだが。
道耶は少し考えた後に『どうして?』と送った。
すると志朗からすぐに『広島観光に行くから少し会いたいなと思って』と返事がきた。
春休みを使って旅行をするらしい。
東京には帰らないのだろうか。
そんな疑問を抱きながらも、それならばとOKの返事をした。
そしてその会う日というのが今日だ。
空いているのが今日か明日しかない旨を伝えたら、即決で今日になった。
寮から待ち合わせの駅まではバスと電車を乗り継いで一時間半ほどかかる。
もう少ししたら、こちらも準備を始めて出発しなくてはいけない。
どんな話をしようか。
まずは夏のお礼だ。それから今の萩亥佐の様子などを聞いてもいいかもしれない。
当たり障りのない会話で、青葉に関することは出来るだけ避けよう。
もう、終わったことなのだから。
春休みに入ったターミナル駅はたくさんの人で賑わっていた。
大きなスーツケースを持った観光客も多くいる。
旅行をするなら確かに今の季節がちょうどいい気候だ。
道耶はポケットからスマホを取り出して画面を見つめた。
時刻は午後二時五十分。
志朗が乗ると言っていた電車がちょうど到着する時間だ。
道耶は大勢の人が出入りする改札口を見つめた。
この人波の中から彼を見つけなければならない。
ほどなくして陽に透けたベージュ色の髪が見えた。夏に会った時とは少しだけ色味が違って見える。
染め直したのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、ベージュ色の髪の毛がふと横に振れた。
隣にいる人物に話しかけているらしい。
一人ではないのか?
そう思って見ていると、重なりあった人影が少しずつ解れていき二人の青年が並んで歩いてくる姿が目に入った。
その姿を見て思わず息を飲む。
おそらく強張った顔をしているだろう。
そんな道耶に向こうも気がついたのか、一人がピタリと足を止める。
しかし志朗が促すように腕を引っ張り、二人は改札から出てきた。
「お待たせ、わざわざありがとう」
志朗が朗らかな笑みを浮かべて近づいてくる。
しかしこの状況で笑っているのは志朗だけだ。
「・・・どう、して?」
かろうじて出た言葉はそれだけだった。
道耶は釣り上がった大きな瞳を正面に向けて、ゴクリと唾を飲み込む。
二年ぶりに目の前に現れた彼は少しだけ顔立ちが大人びていて、嫌でも離れていた年月を感じさせられた。
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