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第12話
幻でも見ているのかと、何回も瞬きをした。
旅行の行き先が広島だと教えられた時には確かに少しだけ彼のことが頭によぎったけれど・・
けれどまさか、そんな偶然なんてあるわけない。
ただ、志朗と二人。楽しい春休みの思い出を作ろうと、そう思って数時間電車に揺られてきたのに・・
「え・・・なんで・・」
青葉は動揺を隠せないまま、目の前の人物を見つめた。
黒髪の短髪に吊り上がった大きな瞳はあの頃と変わっていない。
けれど背は少し高くなった。その分身体つきはほっそりとしたように見える。
「夏休みに合宿に来てた深海君。バイト先で毎日会うから仲良くなったんだよね」
青葉が驚いた顔のまま固まっていると、志朗が穏やかな口調で話し始めた。
「それで広島に行くならちょっと会えないかなと思って連絡したんだ」
「・・・」
青葉は黙ったまま志朗の方へ視線を向ける。
彼はその視線に気がつくと眉尻を下げて笑った。
「黙っててごめんね。青葉に言うべきか迷っちゃって」
「・・・気づいてはいたってこと?」
「まぁ・・名前と、広島の高校の陸上部って言われたらそうかなって」
「・・・」
何から、どう言えばいいのか分からない。
急に道耶が目の前に現れ、さらに志朗とは友達になっている。
まさかそんなことが起きているなんて。
「なぁ、どういうことだ?」
青葉が何かを言う前に、ピリッとした声が聞こえた。
道耶が睨むような視線で志朗を見ている。
「青葉は、俺が夏に萩亥佐に来ていたことを知らなかったってことか?」
「・・・・ごめん」
志朗が謝ると、さらに道耶は険しい顔になった。
「じゃぁ、俺が青葉に伝えてくれって言ったことは?もしかして言ってなかったってことか?」
「・・え?何、それ?」
青葉は目を丸くして志朗の方に視線を向けた。
「・・・ごめんね、青葉」
「・・なんで謝るんだ?謝るようなことがあったってこと?」
思わず志朗の腕を強く掴む。
「深海君から・・伝言頼まれてたんだ。青葉に会いたいって伝えてくれって」
「え・・・」
「でも、伝えなかった。だから、ごめん・・」
「な、なんで・・・」
そこまで言って青葉は口を噤んだ。
そして夏休みのことを思い返した。
夏休み、確かに志朗の言動には不思議な点が多かった。
行動を制限するような、コントロールするような。
そんなことをお願いされた。
もしかして、あれは・・
「夏休みのあのお願いは、俺をみっちゃんに会わせないため?」
「・・・」
「なぁ、志朗?」
腕を掴んで譲ると、志朗は観念したように眉尻を下げて笑った。
「そうだよ。青葉が深海君のことをちゃんと過去にするためには会わない方がいいんじゃないかって思ったから」
「・・・過去?」
「過去でしょう?終わったことなんだから。青葉も深海君も、もう別々の道をいってるんだからいつまでも過去の事を引きずってたって仕方がない」
志朗のその言葉に道耶の片方の眉がピクリと揺れる。
鋭い視線は志朗に向けられたままだ。
「でも、それを深海君には言えなかった。深海君が思っている以上に、青葉はまだあの時深海君のことを忘れられてなかったから」
「・・・」
青葉の心臓がドクンと音をたてる。
「ごめんね、深海君」
志朗は申し訳なさそうな顔で道耶に視線を送った。
道耶は相変わらず険しい顔つきだったが、小さなため息を一つ吐くと頭を掻きながら言った。
「・・わかった。あの時あんたなりの考えがあったってことは。それで、そうやって青葉のことを考えたあんたが今回はどうして広島にやって来たんだ?」
「それは・・」
そこまで言って、志朗はチラリと青葉を横目で見た。
青葉もその視線に気付きじっと見返す。
それからフッと小さく笑うと志朗は二人から一歩後ろに下がった。
「やっぱり青葉には深海君が必要だって気がついたから」
「え・・」
青葉は目を丸くさせて志朗を見つめた。
「・・・」
「あの夏の俺の判断は間違いだったんじゃないかなって。だから、今更遅いかもだけど二人を会わせなくちゃと思ったんだ」
「・・・どういう意味?」
口元が震えそうになるのを必死に抑える。
志朗が何を言おうとしているのか、薄々わかってきた。
「ここでお別れだよ、青葉。俺は今日このまま東京に帰るよ。色々お誘いもあってさ。久々に会いたい人もいるんだ。だから予約したホテルは青葉が一人で泊まって。あ、良ければ深海君が一緒に泊まってくれてもいいよ。二人で積もる話もあるでしょ」
「っ・・・!」
あっけらかんとした口調で笑う志朗の胸元に青葉は強く掴み掛かった。
「なんだよ、それ!?俺を置いて行くってこと!?」
強く掴んだ両手は震えている。
怒りなのか、焦りなのか、不安なのか。
よく分からない。
今分かることは、志朗が去ろうとしていることだけだ。
「・・・」
志朗は見下ろすように青葉を見つめたが、さっと胸元から青葉の手を払うと眉尻を下げて微笑んだ。
「離れてても、深海君は青葉のこと忘れてなかった。人との繋がりは距離とは関係ないんだよ。だから・・青葉もちゃんと深海君に言いたいこと伝えて、もう一度・・ね?」
「・・・」
「大丈夫だよ、青葉。俺達は友達だから。これからも変わらないよ」
「・・・っ」
その言葉に思わず息を飲み込む。
もう志朗の中では『友達』に戻ったということなのか。
そのことを問い詰めようと口を開きかけたが、それを止めるように志朗は片手を前に出すと笑って言った。
「じゃぁ、新幹線の時間もあるし俺もう行くよ。青葉、チケット渡してあるし明日は一人で帰れるよね?今日の逆を行くだけだからね」
揶揄うような表情を浮かべながら、志朗は少しずつ後方へと歩き始める。
手を伸ばせば止められるだろうが、身体が動かない。
恐らく志朗は今日別れることを決めていた。
それもかなり前から。
一体なぜ?
好きだと言ってくれたのに。
気持ちが変わってしまったのだろうか。
それとも・・ずっとどこかで燻っていた道耶への感情を見破られていたのだろうか。
そうだとしたら知らない間に志朗を傷つけてしまったことになる。
傷つけて、気をつかわせて・・
そしてわざわざ広島まで連れてきてくれた。
気がつくと、志朗はもうだいぶ離れた所を歩いていた。
青葉はその背中をただ見つめる。
こちらを振り返る気は全くなさそうだ。
志朗は東京に帰ると言ったけれど、いつ戻ってくるつもりなのだろう。
帰ってきたら、もう一度ちゃんと話をしなくては・・
「・・いいのか?」
いつの間にか道耶が隣に並んで同じように志朗の背中を見つめていた。
「・・うん」
青葉は小さく頷く。
それから改めて道耶の方に顔を向けた。
「志朗が、機会を作ってくれたから・・無駄にしないように・・」
「・・・」
道耶は何も言わずにその視線だけで返事をする。
そういうところも変わっていない。
昔から口数の少ない代わりに、じっと見ることで返事をすることがあった。
「・・背が伸びたね、みっちゃん」
青葉は口角だけ上げて言う。
「そうか?自分じゃよくわからないけど。青葉も少し・・変わったな」
何かを言い淀むように道耶は口元を抑えた。
「えっ!変わったってどこが?!大人っぽくなったとか?」
詰め寄るように聞くと、道耶は眉間に皺を寄せてふいっと顔を横に向ける。
「・・変わってないな。その距離感」
「あ、ごめん・・」
確かに急に近づきすぎたかもしれない。
青葉は少しだけ後退りをすると、駅の構内を見回した。
「ここで立ち話だと疲れるし、どっか入る?みっちゃん今日は部活とかは大丈夫なのか?」
「今日と明日は休み。あいつにはそう伝えてあったから、だから今日お前をここに連れてきたんだろ」
「・・そう、なんだ」
そんなことは露知らず、旅行気分でやってきたことが改めて恥ずかしくなった。
「あそこでも入るか」
そう言って道耶が指差した先にはハンバーガーショップがある。
チェーン店のようだが青葉は初めて見るお店だ。
「うん。そうしよう」
そう答えると、二人はお店の方へと歩き出した。
お昼時を過ぎていたこともあり、二人分の席はすぐに確保できた。
青葉は自分の注文した商品を受け取ると、向き合うように道耶の正面に座る。
こうやって、二人でお店に入るのは初めてだ。
道耶と会う時はいつも、あの広く真っ青な空の下だったような気がする。
年頃のそれなりのオシャレをした道耶はあの頃よりもずっと大人っぽく、そして都会的に見えた。
「・・・」
何から話し始めよう。
そう思いながら、ゆっくりと目の前のオニオンリングに手を伸ばす。
言葉を探しながら咀嚼していると、先に道耶の方から口を開いた。
「青葉と、守月は仲良いんだよな?」
「えっ・・」
唐突に志朗のことを聞かれ、声を詰まらせた。
「時々、分校のSNSを見てて・・それでおまえの隣によく写ってたから、守月の顔を覚えてた。それで・・合宿所で会った時に守月に今の青葉の様子を教えてほしいって頼んだんだ」
「俺の様子・・?」
「・・直接、合わす顔がないって思ってたから・・でもずっと気になってた。おまえが元気でやってるのか・・」
「・・・あは、そっかぁ。気にしてくれてたんだ・・」
こめかみの辺りを指先で掻きながら青葉は照れ臭そうに笑った。
ずっと覚えていてくれた。
もうとっくに別の道を歩んでいると思っていた道耶が・・
「俺も、みっちゃんが楽しくやれてるのか気になってた。萩亥佐にいた頃よりも思いっきり陸上をやれてたらいいなぁって」
「・・うん、やれてるよ。練習はキツイ事もあるけどやり甲斐はあるし、チームメイトもいい奴らが多い」
「そっか。よかった・・」
青葉は穏やかに笑いながらハンバーガーを頬張った。
ずっと気になっていた事が聞けた。
それも嬉しい答えだ。
あの頃よりも、道耶の今は充実しているようだ。
少し前だったら、その答えを聞いたら寂しい気持ちも過ったかもしれない。
自分がいない所で楽しくやる道耶を心から応援できなかったかもしれない。
けれど、今は心から良かったと思う。
そう思えるのは、志朗と出会えて自分の気持ちが道耶だけに囚われなくなったからだろう。
「おまえも、今は楽しくやれてるんだろう?」
道耶は小さな口でハンバーガーに齧り付きながら言った。
「守月から青葉の今の様子を聞いた。一緒に共同制作をしてSNSに載せたりしてるって。楽しそうで安心した。それで・・だったら青葉に会ってもいいかなと思えたんだ。あの頃のお礼をちゃんと言えたらって・・」
「・・え?」
青葉は首を傾げる。
「お礼って、なんの?」
道耶は少し迷うように視線を泳がせたが、小さく息を吐くと改めて青葉に目を向けた。
「・・俺は、青葉に沢山救われた。あの場所に青葉が居なかったら、俺は不貞腐れたまま意地で陸上を続けて、何も得られないまま結局辞めていたと思う。でも青葉と出会えて陸上を続ける明確な目標を持てた。その事を、萩亥佐から出て行く時伝えられなかったから・・」
「・・・」
ポカンと口を開けたまま、青葉は道耶を見返す。
がむしゃらに道耶の後を追いかけていた、あの頃の自分が道耶を救っていた?
自分のことばかり考えていたあの頃の自分が?
「俺・・そんな、みっちゃんのためになるような事何もしてないよ・・」
青葉は声を振るわせる。
「俺は、みっちゃんにずっと憧れてて・・みっちゃんみたいになりたいって思ってずっと見てた・・ずっと追いかけてた。ただそれだけだよ・・」
「・・知ってるよ。青葉が見ていてくれた事」
「えっ・・!」
頬を赤くさせて青葉は顔を強張らせた。
「き、気づいてた?俺が・・隠れて見てた事・・?」
道耶はフッと鼻で笑い、ニヒルな笑みを浮かべる。
「バレバレだった」
「えぇ〜・・・・俺やばい奴ってバレてたんだぁ・・めちゃくちゃ恥ずかしい・・」
項垂れるようにして青葉は両手で顔を覆った。
そんな青葉の頭を道耶は慰めるように優しくポンと叩く。
「俺は、それにも救われてた。見てくれている人がいるって。この場所で俺は一人じゃないって思えたよ」
「・・・」
「でも、俺は萩亥佐にはいちゃいけないと思った。だから出て行く事を決めた。お前と距離を置いたのは、その決心が鈍らないため。ごめんな・・」
「・・うぅん」
青葉はゆっくり顔を上げると顔を横に振った。
「聞いたよ。みっちゃんのおじいちゃんから、家のこと。それで俺はみっちゃんが萩亥佐を出て行く事を止められないって思った。もっと、みっちゃんが自由にいられる所で走れるならそれがいいって」
「・・・そっか。ありがとな・・」
柔らかい笑みを浮かべる道耶の表情はあの頃よりもずっと穏やかだ。
今、居心地の良い場所にいられているのだと実感する。
あの頃はこんな表情をする余裕もなかったのだろう。
そんなことをぼんやりと思っていると、道耶の表情が一瞬フッと暗くなった。
「・・青葉と守月って・・・」
「え?」
口を噤む道耶を青葉は見つめる。
しかし道耶はもう一度口元にだけ笑みを浮かべると、小さく首を振った。
「・・・いや、なんでもない」
それから改めるようにハッキリとした口調で話し始めた。
「・・さっき、お前と出会えたから陸上の目標が出来たって言ったろ」
「え・・あ、うん」
「俺の夢。陸上で活躍して出身地の話をすること」
「・・・え?」
道耶の言葉に青葉の心臓が少しだけ速度を上げる。
「中学生の時、川の音を聞きながら遠くに広がる緑と高い空を見上げながら走ったことが今の自分の原点だって・・いつか言いたい。その時隣りで支えてくれた友人がいたってことも・・」
「・・・」
「そのために、今もこれからも頑張るよ」
「みっちゃん・・」
それは、道耶の才能とストイックさを目の当たりにして諦めた自分の夢。
その夢を道耶が叶えようとしてくれている。
「へへ、ありがと。みっちゃんなら絶対その夢叶うよ」
青葉は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「あぁ、だから・・青葉も頑張れよ。青葉のやれることを。応援してる」
「・・うん!俺も!みっちゃんの試合、いつか応援に行っていい?」
「・・もちろん」
吊り上がった目元が下がるくらい道耶が柔らかく微笑む。
その笑顔に青葉は胸が締め付けられそうになって唾を飲み込んだ。
大好きだったあの頃の彼とは少し違う。
柔らかく優しく、そして強くなった。
道耶はちゃんと自分の力で新しい居場所を見つけ歩き続けているのだ。
萩亥佐のことは思い出に変えて、過去に囚われずに前を向いている。
だから自分も、そんな大好きだった道耶の背中に倣って前へちゃんと歩いて行こう。
歩く道は違っても、見つめている先が同じだからもう寂しくはない・・
——
突然の広島一人旅は行き当たりばったりになったが、思ったよりも楽しめた。
道耶が一日目は夜まで付き合ってくれて、観光地を案内してくれたのだ。
夕食はお好み焼きを二人で食べた。
それだけでも広島に旅行に来た感じがして大満足だ。
その後道耶は寮へと戻っていき、青葉は一人でホテルに泊まった。
ツインで予約していたため、空いた片方のベットを見て少し切なくなる。
けれどそれは、自分の未練たらしさが招いた事だ。
一刻も早く、彼に『もう大丈夫だよ』と伝えたい。
そう思って試しに電話をかけてみたが応答することはなかった。
もしかしたら東京の友人と会っているのかもしれない。
ならばやはり直接。ちゃんと顔を見て言おう。
そしてもう一度、今度はこちらから言うのだ。
ずっと一緒にいたいと・・
けれど・・
それを伝えることはできなかった。
志朗はもう萩亥佐には戻っては来なかったのだ。
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