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第13話

『何も言わずにいなくなってごめんね。 そばに居るって言ったのに、結局東京に戻ることになっちゃったから。寂しい思いをさせてしまうと思ったら言い出せなかった。 でも、だから青葉を深海君に返そうと思った。 深海君は青葉を忘れてない。離れていてもちゃんと青葉のこと考えてた。 俺はどうかな。多分俺はね、離れてしまえばそれまでなんだ。 自分が生きやすいように、形を変えて考えを変えて順応していく。 だからきっと、東京に戻ったら青葉のことも忘れてしまう。 深海君みたいにずっと想ってはいられない。 だから、青葉といるべきなのはやっぱり深海君なんだよ。 俺が二人を離したのにね。遠回りみたいなことさせてごめん。 ちゃんと話はできたかな? 今更だけど、俺が萩亥佐に来た理由を聞いてください。 俺は、ここでもう一度人との関係を真っさらな状態から築いてみたかったんだ。 東京にいる時、周りの人から利用されてるように感じたから。 それを気づかないふりして笑ってる自分にも嫌気がさしてた。 だからね、最初に青葉にSNSを手伝ってって言われた時はドキリとしたよ。 『またか』なんて内心思ったりもした。 でも、青葉だったから。 自分のためじゃなくて萩亥佐のために頑張っていた青葉だったから、それでもいいかなって思ったんだ。 そう思って手伝っていたら、いつの間にか青葉の隣がとても居心地良くなっていた。 青葉のこと、本当に好きだったよ。 青葉と過ごす時間がとても楽しかった。 でも・・ 青葉のことを好きな自分は嫌いだった。 深海君を騙して、彼に会わせないように青葉を閉じ込めた。 汚くて卑怯で自分のことしか考えなかった、あの自分は大嫌いだ。 だから、もう青葉には会えないし会わない。 汚い自分にならないですむように。 そう考えると俺、やっぱり最後まで自分のことばかりだね。 ごめんね、青葉。 SNSも手伝うって言っておきながら、中途半端でごめん。 でも、今までありがとう。 青葉を見習って東京に戻ったら早起き頑張るよ』 —— 家の寒い廊下を抜けて、炬燵とストーブで暖まった居間に入る。 するとすでに炬燵で暖をとっていた母がテレビに目を向けたまま言った。 「ほら!青葉!映ってるわよ、道耶君」 「ちょ、本当!?え、どこ?どこ?」 青葉は手に持ったみかんの籠を机に置きながらゴソゴソと炬燵の中に入った。 「さっき一瞬映ったのにぃ。タイミング悪かったわね」 「母さんがみかん持ってきてって言ったんだろ」 ぶー垂れた顔で言うと、青葉はみかんの皮を剥き始めた。 テレビからは、わぁっと大きな歓声が上がる。 襷を渡し終えた選手が崩れるように膝をついていた。それを支えるようにチームメイトが肩を貸すと、選手を端の方へ運んでいく。 走りきった選手の苦しそうな顔を見ながら、自分は呑気に炬燵でみかんを食べている。 そのアンバランスさがなんとなく申し訳ない気持ちになった。 「みっちゃんの大学、何番目で通過したの?」 「確か6番目ね。4人くらいが団子状態で来たからよく分からなくて」 みかんを手に取りながらのんびりとした口調で母は言った。 お正月のゆったりとした空気が家の中に漂っている。 父は昨日の夜遅くまでお酒を飲んでいたのでまだ布団の中だ。 そろそろお昼になるので起こしにいこうか。 そんなことを思いながらも、身体は炬燵から出る気はなく目はテレビに向けられたままだ。 同年代の選手達が一生懸命走ってる姿を見つめていると、一瞬見覚えのある顔が映った。 「あっ!みっちゃん!!」 青葉は思わず黄色い声を上げる。 メインで映し出されている選手の少し後方を道耶が涼しそうな顔で走っていた。 もう少し距離を詰めれば前にいる選手を抜かせそうだ。 「あー!頑張れ!頑張れみっちゃんー!」 「道耶君頑張ってるわねぇ。道耶君のおじいちゃんも今年は駅伝を見るって張り切ってたわ」 母はパクリとみかんを頬張りながら言った。 食堂で仕出し弁当を始めてから、道耶の祖父母宅はすっかりお得意様らしい。 定期的に弁当を届けに行っては、母がおしゃべりをして帰ってくる。 聞けば、道耶の祖父母は道耶の活躍をとても喜んでいるそうだ。 「今年は道耶君の大学出られてよかったわねぇ。去年は予選で落ちちゃったもんね」 「うん・・あっ!いけいけ!みっちゃん頑張れ!」 気がつくと道耶が前の選手と並走していた。それから隣を気にするそぶりもなく、自分のペースを保ったまま一瞬の隙を見て前へと飛び出す。 「おぉー!やった!」 道耶の大学が順位を一つ上げた表示が映されると、青葉はガッツポーズをした。 道耶は表情を崩すことなく前を向いたまま走り続けている。 その姿勢は萩亥佐を一人走っていた頃と変わっていない。青葉は懐かしむような顔で画面を見つめた。 ーー 「いやぁー!みんな元気そうで本当よかったわぁ」 栄一が日本酒の入った杯を片手に大きな声で言った。 頬は赤くなり始めているが、まだ酔いは回ってなさそうだ。 「こうやってみんなで酒が飲めるなんて。大人になったなぁ俺らも」 同級生が全員二十歳になったので、帰省しているこのタイミングで昼から飲み会をすることになった。 少し見ない間に栄一はもうすっかり酒豪の顔になっている。 二十歳になってすぐに父親から酒の飲み方を教わったそうだ。 それに対して青葉はグラスに入ったビールをチビチビと舐める様に飲む。まだあまり酒の味には慣れていない。 「そういえば昨日の駅伝見たか?深海映ってたよな?!」 栄一が前のめりになって、同級生達を見回しながら驚いた表情で言った。 「深海ってあの転校生の?へぇー」 市内中心部の高校へ進学した同級生が目を丸くして栄一を見る。 「栄一よく覚えてるなぁ」 「覚えてるよ。印象強かったし。なぁ、青葉」 話を振られ青葉は喉に残っていたビールをごくりと飲み込んだ。 それから手に持ったグラスをキツく握ると少し躊躇う様に口を開いた。 「うん。て言うか、俺今でもみっちゃんと連絡取ってるし。今年駅伝出るかもしれないって話も聞いてたよ」 「えっ?!」 一番大きな声で驚いたのは栄一だ。 「そうなの?!お前らそんなに仲良かったっけ?!」 「うん、実は仲良かった〜」 おちゃらけたように青葉は笑う。 「とは言っても連絡取るようになったのは高三くらいからだけどね」 「はぁー?なんだそれ、意外すぎ」 栄一は仰け反りながら手に持っていた杯をクイっと飲み干した。 「あれか。お前のあだ名作戦はちゃんと意味があったってことだな」 「はは。そうかもね」 青葉は近くの徳利に手を伸ばすと、栄一の空いた杯に注ぎ足しながら笑った。 「お、わりぃ。ありがと」 「いーえ。最近学校の友達と飲み会やるようになったから酒の場ってものがわかってきたよ」 青葉は徳利を軽く振りながら得意げに言う。 「青葉はもう3月で卒業なんでしょ?調理師学校2年って言ってたもんね。卒業後は決まってるの?」 甘いお酒を飲んでいた風香がトロンとした口調で聞いた。いつの間にか随分と大人の女性の雰囲気になっている。 「うん。市内のホテルのレストラン。そこで経験積んでいつかは食堂継ぎたいなぁって」 「へぇ〜、いいね!ちゃんと未来のこと考えてて偉いなぁ」 「フーコは大阪の大学だろ?楽しい?」 「あは!フーコ呼び懐かしい〜!楽しいよ〜!彼氏もできたし!」 そう言って風香は右手をみんなの前に差し出すと人差し指に光る指輪を見せた。 「うへぇー。あの風香にも彼氏が!」 栄一が揶揄うように笑う。 「かっこいいんだぁ、うちの彼氏。あっ、ちょっと守月君に似てる!雰囲気が!」 「えぇっ」 その名前に栄一は大袈裟な反応をして見せた。 「守月に似てるって!それはハードル上げすぎじゃね?」 「だーかーらー。雰囲気だってば!」 「守月って誰?」 分校とは別の高校に進学した友人が聞いた。 「田舎留学制度で東京から分校にやってきた奴だよ。イケメンだったよなぁ。でも三年生になる前に家の都合とかで東京戻っちゃってさ」 手に持った杯を一口飲みながら栄一が言う。 「ねぇー。残念だった。本当都会のイケメンって感じでオシャレでさぁ」 風香は両手に顎を乗せてため息を吐いた。本当に残念そうに眉毛を下げている。 「しかもねぇ、去り方がスマートなのよ。春休み明けたら急に居なくなってたんだけど、クラスメイト一人一人に手紙書いてくれてて。なのにメッセージのアカウントは消えちゃってんの。だから返事したくても誰も連絡先わからなくて。飛ぶ鳥跡を濁さずって感じだよね」 「いや、こっち的には聞きたいことだらけでモヤモヤしか残ってないけどな、な?青葉」 少し怒った口調で栄一が青葉に目を向けた。 青葉は困ったように笑いながら頭を掻いた。 「そうだなぁ・・まさか連絡つかなくなるとは思わなかったもんなぁ」 —— そう。 本当にまさかだ。 志朗は一枚の手紙だけを残して綺麗に消えていた。 春休み、広島から戻った後も志朗からはメッセージの返事は一切なかった。 何度も電話をかけてみたがそれも繋がらない。 寮を訪ねても皆帰省中で誰もいないということで施錠されていた。 仕方なく新学期になってから寮に行ってみると、志朗の部屋は元々設置された家具だけを残して何もなくなっていた。 どうやら春休みに入ってすぐに東京へ戻る準備をしていたらしい。 寮生は長期休みになると皆帰省するので誰も気がつかなかったようだ。 志朗が東京に戻ることを知っていたのは先生だけだった。 志朗は先生に手紙を預けていて、それを新学期になったらみんなに渡してほしいとお願いしたそうだ。 みんなの手紙に何が書かれていたかは知らない。 受け取ったクラスメイト達は寂しそうな顔をしていたが、手紙を読むうちに笑顔になっていった。 志朗のことだ。悪いことを書くことはないだろう。 けれど青葉はその手紙を今にもグチャグチャにしてしまいたい気持ちに駆られた。 『青葉を深海君に返そうと思った』? 『東京に戻ったら青葉のことも忘れてしまう』? なんでそんなことを言うんだ? なんで一方的に終わらせてしまうんだ? 自分だって言いたいことは沢山ある。 聞いてほしいことも。 そう思ってスマホを取り出しメッセージアプリを開いたが、すでに志朗のアカウントは消えていた。 いつ無くなったのだろう。 昨日まではあったはずなのに。 今日が新学期だということを知っていて早朝にでも消したのだろうか。 穏やかでのんびりした志朗からは想像もつかない徹底ぶりだ。 これが本来の彼の性格なのだろうか。 人との繋がりを信じず、あっさりとその縁を切ってしまう。 優しく人当たりの良い顔をしながらも、本当の心の内は見せない。 傷つけず傷つかないために。 そうやって今までも過ごしてきたのだろうか。 青葉は強く握りすぎて今にも破れそうな手紙に改めて目を落とした。 『それを気づかないふりして笑ってる自分にも嫌気がさしてた』 ・・あぁ、そうか。 これが志朗の本音なのだろう。 取り繕う自分のことが嫌いだったのだ。 そんなことにも気づかずに、彼の優しさに頼り一人いい気になってしまっていた。 好きだと言ってくれる言葉に甘えて、何も考えず取り繕った顔だけを信じて本当の志朗を見てあげることをしなかった。 そんな自分では、きっと無理をさせてしまっていたに違いない。 それどころか・・志朗が自身を嫌いだと、改めて自覚させる存在になってしまった。 自分が・・いつまでも未練を残していたから。 彼のことをちゃんと見てあげていなかったから。 そんな自分では、一緒にいる資格はない。 彼が忘れてしまうと言うのならそれがいいのだ。 追いかけてはいけない。 自分という存在から志朗を解放してあげなくては・・ これから自分ができることは、志朗に頼りきりになってしまったことの後始末だ。 彼が気に病まないように。 自分だけの力で、萩亥佐を有名に出来る方法を考えて。 大丈夫だよと、伝えたい。 もう伝える手段はなくても、どこかでいつか彼の目に留まることを信じて。 —— 「はぁ〜。飲んだなぁ」 店を出るとあたりはすっかり暗くなり、空には星が輝いていた。 空気はキンと冷たいがお酒が入っているせいか顔はポーッと暖かい。 「なんだよ、青葉。おまえ2杯くらいだろ〜。次飲む時は日本酒飲めるようになっておけよ」 栄一が笑いながらガシッと肩を組んでくる。 まだ二十歳なのに、絡み方はすでに中年のようだ。 「あんまり酒ばっかり飲んでると、凪ちゃんに愛想尽かされるぞ」 青葉は肩を上げて、栄一の腕を振り解きながら言った。 「凪ちゃんも酒好きだから大丈夫です〜!いっつも美味しい肴作ってくれるんだ」 栄一と凪は栄一が大学に進学したのをきっかけに同棲中だ。なんだかんだ仲良くやっている。 「いいねぇ。羨ましい〜」 「青葉こそないのかよ〜?お前昔からそういう話全然しないよな、秘密主義っていうか。深海のことも黙ってたし」 「別に秘密主義じゃないよ。マジで何もないだけだって」 眉尻を下げながら青葉は笑う。 本当に楽しく話せるようなことは何もない。 県の中心地にある調理師専門学校に進学するために家を出て、この二年間はひたすら勉強とアルバイトに明け暮れた。 アルバイトは学校の近くの居酒屋だ。そこでも色々な料理の作り方を教わった。 学校もバイト先もみんないい人達ばかりで、恵まれた二年間だったと思う。 それでも恋愛事が発展する様なことはなかった。 東京の大学に進学した道耶は時々連絡をくれた。 大体は試合の結果報告だったりしたが、彼が頑張っている話を聞くのは嬉しくて連絡が来た日は温かい気持ちになった。 けれどそれも、恋愛感情とは違う。 道耶も頑張っているのだから自分も頑張ろうと思える。 離れていても切磋琢磨し合える。心強い同志がいるという安心感だ。 そう、自分には目指す目標がある。だから大丈夫。 そう必死に言い聞かせて。 考えないように、思い出さないように。 『寂しい』と、そんな気持ちで再びフラフラしたりするような・・そんな自分にはもうならない。そう決意をしてこの二年間を過ごしてきた。 もうすぐ社会に出る。大人としての一歩を歩み始める。 大丈夫。 自分はちゃんと一人で歩いていける。 あの頃のように人に頼るのではなくて。 大人の階段を昇りながら、自分の大切な場所の魅力を沢山の人に届ける力を身につけていきたい。 そしていつか・・ どこかにいる彼が、萩亥佐の景色を見て少しでも懐かしんでくれたらなら嬉しい。

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