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30 おしえて

              「…………」   「…………」    ユンファ殿は、いよいよ俺の目の前にやってきた。  その手にはもう本など何も持っていない。…そして、何か言いにくそうに――それは当然か、緘口令を敷かれているのはユンファ殿も同じ――俺を見ながら、…そっと俺の手を、そのひんやりと冷えた指先で取った。 「……っ!」  俺は、ついその手を払ってしまった。  咄嗟はやはり、ジャスル様が恐ろしかったのだ。…あの嫉妬深いジャスル様がこのことを知ったら…たかが手であったとしても、まさかユンファ殿に俺が触れたと知られれば、あるいはこの方も俺も、――と。   「……、…、…」  すると…はた、と悲しげな衝撃を受けたらしいユンファ殿は目を(みは)りつつも、その薄紫色の瞳を物憂げに曇らせた。 「…ぁ、申し…っ、……」  つい言葉を口にしそうになって、俺は慌てて口を押さえ、口を噤んだ。――そして、“申し訳ありません”と示すため、ペコペコと頭を下げる。  それにユンファ殿はふるり、顔を一度横に振ってから、…ふっと目線を伏せ――何か思案していたようだ。    ややあってから彼は、すっと白く長い人差し指を立て…――俺の胸板へと、その指先を押し当てた。 「……っ」  たったそれだけでドキッとしてしまったのは恐怖ゆえか、後ろめたさゆえか、はたまた……いや、まさかそういうわけでは…――しかしその行為は、なにも悪戯なものではなかったようだ。  ゆっくり…ゆっくりとその指が動いて、俺にその指先が文字を象っているとわかったのには、そう掛からなかった。    “ね”      “ま”      “き”      “は”       「…………」   「…………」    寝間着は……――?      “ど”        “こ”        寝間着は――ど、こ…?        ――“寝間着はどこ?”     「…あ、ね、寝間着…?」  俺は咄嗟で、つい敬いの形とならずそう聞いてしまったが、ユンファ殿はふと俺を見て――その眼差しは柔らかく優しい――、少しも気を悪くしたようではなく、コクンと頷いた。 「…あぁ…それなら、…おそらくあちらにあるかと……」      おっと…つい。  

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