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8 近くで食べさせてください
侯爵様は既に席についていて、僕はセットしてある席に向かったが…、遠い。
長テーブの端と端。
これでは、閨の話も大声でしなくてはならない…
僕はおずおずと侯爵様の横に立つ。
「あの…、もう少し近い席でお食事をとっても良いですか?」
「え?」
侯爵様は驚いて、左側のカトラリーをすべて落とした。
カーペットがあったため、大きな音はしなかったけれど、給仕の人が慌てて交換する。
「え、えっと…、ダメですよね。
申し訳ございません」
まさかそんなに嫌がられるとは思わず、僕は反対側に戻ろうとすると
「いや、構わない。
席を移動するようにしよう。
少し待ってくれ」
侯爵様は、別の給仕を呼び、席を移動するように伝えた。
年配の女性の給仕は「あらあら」と嬉しそうに頷くと、「すぐにお仕度しますね」とてきぱきと席をメイキングした。
その背中に「お手数おかけして申し訳ございません」と謝ると、彼女は僕を見て「可愛らしい奥様のお願いですもの、構いませんよ」とほほ笑んでくれた。
可愛らしい、なんてめったに言われないので、僕は顔を真っ赤にして照れてしまった。
不意に視線を感じてそちらを向くと、侯爵様がムッとした顔でこちらを見上げていた。
え…、僕、なんか怒らせることしちゃったかな?
やっぱり近くで食事をとるなんて嫌だったのかも…
と、僕がオロオロしていると
「旦那様ったら、何もβのオババに嫉妬することないでしょうに」
と給仕の女性が笑い飛ばした。
し、嫉妬!?
そんなわけないじゃないですか!
僕、なんてフォローすればいいんだ!?
「そんなことしていない」
と、侯爵様が地を這う声で言った。
こ、怖い…
「そうでございますね~、あ、奥様。
お席整いましたので、こちらへどうぞ」
彼女は全く気にしていない様子で、椅子を引くと僕に手で促した。
僕は戸惑いながらも席に着いた。
静かに食事が始まり、僕はおもむろに侯爵様に目を向けると、彼は大きな体躯でありながら、上手に食器を操って綺麗に食べていた。
その所作に少し見とれてしまう。
「何か苦手なものでもあったか?」
僕の視線に気づいた侯爵様が問いかけた。
「いえ!どれも美味しいです!
その…、フランツ侯爵様の所作がお綺麗でしたので…、じろじろ見てしまって申し訳ございません」
僕が正直に言うと、彼は少しポカンとした後、笑いながら「そんなことを言われたのは初めてだな。誉め言葉として受け取ろう」と言った。
「勿論誉め言葉です」けど…、そんなに笑わなくても、という言葉は飲み込んだ。
「それはそうと、その侯爵様というのはやめにしないか?
貴殿もフランツ姓になるのだから。
テオドールでもテオでも好きに呼んでくれ」
思わぬ提案に僕は驚いた。呼び方か…
「テオ…、様。テオ様…、ううん…
やっぱり恥ずかしいので、最初はテオドール様とお呼びします」
僕は机の上を見て、呼ぶ練習をしたが、序盤からテオ様はちょっと恥ずかしい。
意を決して顔を開けると、テオドール様が赤面していた。
「あの、えっと、テオドール様?
僕のことも自由にお呼びください。
一応、セシーと呼ぶ友達もいますけど」
「あ、ああ。セシーか。
俺も初めはセシルと呼ばせてもらおう」
ハッとした様子のテオドール様が、僕を見て表情を和らげた。
そして、先ほどよりも和やかに夕食が進んだ。
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