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26 帰宅と旅立ち
呆然としているうちにお屋敷についていたようで、僕はテオドール様に揺すられて気づいた。
「シエル?どこか痛いのか?」
心配そうな顔のテオドール様と目が合う。
「テ…、侯爵様」
「…、先ほどからなぜそんな呼び方をする?
前に行ったが、シエルは侯爵夫人なのだから
夫をそう呼ぶのはおかしいだろう」
若い騎士に呼び直しさせていたから、爵位で呼べと怒っているのかと思ったから、意識して呼び方を戻していた。
「テオドール様とお呼びしても良いのですか?」
「初日からそう言っているだろう」
と、彼はふっと笑った。
漸く、空気が緩んで、僕は安心感から泣き出しそうになる。
「しかし、マーガレットの事はマギーと呼んでいたな…
それなら、俺の事もテオと呼び捨てにできるだろう?」
僕は驚いて彼を見上げる。
テオドール様は「さあ」と、言って僕を期待のこもった目で見ている。
今なら、そう呼んでも怒られなさそう。
というか、距離を縮めるチャンスなんだけど…
「テ…、オ…うぅ…、やっぱり恐れ多いです!
テオドール様っ」
僕は顔を覆って、そう絶叫した。
元々、子爵家の次男だし、Ωじゃなければ侯爵家となんて交わることすらなかった。
そんな身分で、彼を愛称で呼び捨てにするなんて無理すぎる。
「まあ、それはいずれ呼んでもらうことにしよう。
とにかく、二度と侯爵様なんて呼ばないでくれ」
そう言いながらも、テオドール様は笑っていた。
とりあえずは、もう怒ってないのかな…
改めて自分の立場や身分を見誤らないように気を付けようと、身に刻んだ日となった。
それから数日して、テオドール様が遠征に立つ日になった。
僕は頑張って早起きをし、彼を見送る。
「わざわざ起きてこなくて良かったんだが」
と、彼は言ったけれど、1週間近く会えなくなるなんて…、お見送りぐらいはしたい。
それに、夫の遠征を見送らない妻なんて、あまりにも心象が悪い。
「テオドール様はこれから大変なお仕事に向かわれるのに、僕だけがのうのうと寝ているわけには行きません!
どうか、ご無事に戻って来てください」
「もちろんだ。そんなに難しい遠征ではない。
重要ではあるが。
だから、そんな今生の別のような顔はしないでくれ」
テオドール様が苦笑して僕の頭を撫でた。
この感触も、1週間は味わえない。
もちろん、彼の身は案じている。
が、僕はそれ以上に寂しかった。
彼にとって、形だけの妻なんていてもいなくても、変わらないのかもしれないけれど。
「はい。戻られたらまた一緒にお茶を飲んでお話ししてください。
お気をつけて」
思わず、手を握ってそう言うと、
テオドール様は驚いた顔をした後、
「必ず約束を守ろう」と言って僕の手の甲にキスを落とした。
キキキキキス!?
手にだけど!手にだけども!!
キスされた…
僕は顔を真っ赤にして固まる。
そんな僕を見て、彼は微妙な顔をした後、「じゃあ」と踵を返して立たれた。
あ…
僕が変に照れたりするから、テオドール様が引いてしまったかもしれない…
このくらい、好きじゃない相手にもするよね!
大袈裟な反応をしてしまったことが恥ずかしい。
テオドール様が戻られるまでに、このくらいの接触には、動揺しないようにしておかなきゃ。
彼の唇の感触を忘れないよう、僕はその箇所を反対の手でさすった。
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