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52 攻防
「番の…、解消?」
にわかには信じられない単語に、僕は頭が混乱した。
「そう。名目上は”望まない事故の番契約に苦しむΩの救済措置”となっているけれど…、
私が見逃して、他のαと番ってしまったΩを取り戻すために研究しているんだ。
たとえば、シエル君のような」
確かに、平民や貧困層のΩ達は抑制剤がなかなか入手できず、ヒート事故で番になり、捨てられてしまうという事象が多発している。
番に捨てられたΩが辿る人生は壮絶だと聞いた。
そういう人たちにとっては、素晴らしい救済措置だ。
でも、僕のような…、好きな人と漸く結ばれて、番になったΩからしたら有難迷惑だ。
そんな薬の存在を知ったテオ様が「使おう」と言ったら…、僕は絶命してしまうかもしれない。
「ふふ、世に出されたら困るって顔だね。
やっぱり、君と侯爵の関係は少し不安定なのかな。
私に付け入る隙を与えたらダメだよ」
「ふ、不安定なんかじゃないです!
僕たちはちゃんと好きあって番になったので」
僕は震える声で言った。
本当にテオ様は、僕が好きだって言ってくれた。
だから、大丈夫だもん…
「ふーん。
じゃあさ、私が君に手を付けたら、どうかな?
他の男と関係を持ったΩなんて要らないんじゃない?」
手を付ける?関係を持つ?
僕が…、誰と?
とんでもなく嫌な予感がして、僕は身震いした。
この人、一体何をするつもり?
「ああ…、怯えた顔も美しいな。
好みではないが、嫉妬しちゃうくらい綺麗な顔だ」
そう言ってロイゼ様は僕の体をまさぐる。
テオ様じゃない人の手が這いまわる感覚に、僕は吐き気が込み上げてきた。
これが、番を持ったための反射反応なのか、ただ単にこの人が嫌だからなのか分からないけれど、耐えがたい嫌悪感。
なんとかここを脱する方法を考える。
不意に、騎士学校で学んだ護身術を思い出した。
教官に「お前のように体が小さい者が力で押さえつけられたら敵わないから、護身術を身につけろ」と言われ、僕だけ特別に教わった。
地面にねじ伏せられたときは…
僕は不意を突き、相手の力を利用して、逆にロイゼ様を下敷きにした。
驚いた彼は「おお!?」と言って、されるがままに床に押し付けられた。
「驚いたな。シエル君は自衛が出来るΩなんだね」
「随分と余裕ですね。
僕だって、騎士を目指してた時期があるんです」
さて、ねじ伏せたはいいものの、ここからどうしよう。
もう一人、味方がいれば、縄なり何なりを持ってこさせて拘束できるのだけれど…
が、ロイゼ様が抵抗している。
鍛えてはいないといえど、流石はαだ。
僕ごときの重みでは簡単に抜けられてしまう。
僕は、彼から退くと、一目散に扉に向かって走った。
とにかく、皆がいる中庭まで逃げなきゃ!
侯爵邸ほど広いお屋敷じゃなくて本当に良かった。
後ろから足音は聞こえるものの、なんとか来た道を辿って中庭に出る扉に手をかける。
後ろから手が伸びてくるのと、僕が庭に出るのはほぼ同時だった。
肩を掴まれたが、大きな声を出せれば、誰かに気づいてもらえるかもしれない。
息を大きく吸って、叫ぼうとしたところで、僕は声が出なくなった。
その中庭に人だかりができていた。
頭一つ飛び抜けているその人は…、テオドール様だった。
それならば、彼に助けを求めればいい。
でも…、彼は誰かと抱き合っていた。
あのドレスは…、マリア・ルノワール。
彼は僕に背中を向けているから分からないけれど、確かにその手はお互いの背中に回っていた。
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