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55 きっかけ
「愛人や妾なんかいらない」
それはそうだ。
テオドール様のような優しい人が、本妻がいながら愛人を作るわけはない。
「そもそも、シエル以外を愛することなんかできない」
「…え?」
僕がポカンとしていると、マリアが頭を下げた。
「フランツ侯爵夫人っ!
この度は、兄が…、本当に申し訳ございません!」
「へ?」
「彼女には、ここまでの道を案内してもらっただけだ。
一切やましいことはない」
「でも…、お茶会の日に抱き合って…」
僕が言いかけると、マリアが慌てた。
「た、確かに、私は下心があって侯爵様に抱き着きましたけれど、あれは突然いらっしゃった侯爵様に私が驚いて躓いたところを支えていただいただけです!」
と弁解される。
「私、勘違いしてました。
お2人は政略結婚だと思っていて、もしもそうなら、気持ちがないのなら、私が付け入る隙があると思ってました。
…、でも、違いました。
私に勝機なんかありません。諦めます」
「と、言うことだ。
シエル、俺は浮気なんかしていない」
そうテオドール様が苦笑した。
浮気、という言葉と彼が結びつかなくて混乱する。
つまり、僕から気持ちが移ったわけでないのか…
「さあ、早く帰ろう。
シエルをここに置いておくのは耐えられない」
そう言うと、ずんずん廊下を進み、あっという間に馬車に乗せられた。
馬車に乗るや否や、座るテオドール様の上に、座らされる。
「あ、あの!僕、お隣に座りた…」
こんなの恥ずかしいし、申し訳なさすぎる!
慌てて膝の上から降りようとすると、背中に回る手に力が込められる。
「2週間!!2週間もの間、シエルが奪われていたんだ。
もう…、片時もシエルを離したくない。
ずっと生きた心地がしなかった…」
2週間もあの部屋にいたのだと思った。
それと同時に、テオドール様がやつれているのに気付いた。
もしかしたら、寝ずに僕を探していたのかもしれない。
そう思うと、心が苦しくなった。
「だが、シエルも怖かっただろう。
絶対にあの男がシエルを匿っていると分かってはいたが、さすがに伯爵家に押し入るわけにはいかなくてな。
奴のしっぽを掴むのに、こんなに時間がかかってしまった。
すまないな」
テオ様の声が沈んでいる。
「僕はこうして迎えに来ていただけただけで幸せです。
捨てないでくださってありがとうございます」
「馬鹿なことを言うなと言っているだろう。
番になった日にあんなに言ったのに、俺の気持ちを疑うだなんて酷い話だ」
傷ついた顔をするテオ様に僕は「すみません」と謝る。
「俺がいつからシエルを見ていたか教えよう」
そう言って教えてくれた話は、僕の想像を超えるものだった。
僕が騎士を目指すきっかけになった、泣いている青年の事は薄っすらと覚えている。
でも、あの時の彼は頼りなくて、今にも消えてしまいそうだった。
まさかそれが、今の騎士団長だとは思うまい。
それから、騎士学校時代に見られていたことも知らなかった。
っていうか、ずっと劣等生だったから忘れてほしいのに。
それに、僕のことを過大評価しすぎだと思う。
「僕はどれだけ努力しても真ん中の下くらいでした」と言うと、
「体格差や体力の差で苦しい中、あれだけの努力を積むのはもはや才能だ」と頭を撫でてくれた。
それほどテオ様が一途に僕を見ていてくださったと聞いて、安心した。
僕は、ずっと彼の隣にいていいのだと。
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