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忘れられない
下町の団結力なのか、深町の人脈なのか、グループ展示会の初日は思った以上に大盛況だった。二日目も上々の集客で、真里也たちは社会人になってもまたやろう、と既に次回の展示会の策を練っていた。
土師の陶芸、日本画を専攻していた勝浦 の絵、水墨画の大迫 と、真里也の彫刻。四人の作品は、所狭しとレンタルルームに飾られていた。
特に土師の陶芸は人気で、深町はよほど気に入ったのか、何点か購入したいと交渉しているほどだった。
展示会は三日間の予定で、今日が最終日だった。
真里也が来場者に作品の説明をしていると「よお、盛況だな」と、声をかけられ、入り口に視線を向けると實川と桐生が手を振っていた。
「先生方、来てくれたんですね」
来場者の対応を終えた真里也は、二人が肩を並べて作品を見ている後ろ姿に声をかけた。
「射邊、頑張ったな。今までも生徒の展示会を見てきたけど、四人の展示会での規模にしては想像以上の賑わいだ」
生徒の展示物を見ながら桐生に言われた真里也は思わず刮目した。
今、桐生はなんと言った?
目をぱちぱちと瞬かせて桐生の顔を見たあと、意見を求めるように實川を見た。
元恩師は、さあね、と言うように肩をすくめている。
「何だよ、俺が褒めたのがそんなに珍しいのか。いつも優しく褒めてやってただろ。今日と何ら変わりないぞ」
「いやいや、先生。俺、在学中に一回も褒めてもらったことないですよ」
急に褒めるなんて明日は雨降るんじゃ、と手のひらと顔を上に向けて、雫が降ってくる仕草をして見せると、頭を叩かれた。
「せっかく卒業記念に褒めてやったのにもったいない。今の俺の労力を返せ」
「出たっ! やっぱ桐生先生はそうでなくっちゃ。変に褒められると、鳥肌が──」
また頭をこつかれて、最後まで言わせてもらえなかった。でも、こんなやり取りも、もう味わえないかと思うと少し寂しい。
「ったく。ひと言多いな、お前は」
「それは先生でしょ。ね、實川先生」
全くその通りだと、賛同してくれた恩師の雰囲気がどこかいつもと違う。なんていうか、ふわふわと気持ちが浮き足だっているような……。
「あー、桐生先生、来てくれたんですね。こっちも見てくださいよっ」
桐生の姿を見つけた土師が、早く、早く、と千切れそうなほど手を振っている。
「おいおい、ここは展示会で祭りの夜店じゃないんだ。もっと厳かに話せ。ったく、客を呼び込むみたいに人を叫びやがって」
口では文句をいいつつも、しょうがねーなと言いながら、桐生の顔は嬉しそうだ。
「あのさ、射邊」
桐生が陶芸のブースへ足を運ぶと、實川が重たそうに口を開いた。
「先生、何かあったんですか。今日の先生は、いつもとちょっと違う気がします。何だか上の空って言うか、ボーッとしてると言うか……」
真里也の言葉が的を得ていたのか、一瞬、實川の双眸が瞠目した。そのあと、二度ほど瞼を瞬かせると、照れたような苦笑のような、複雑な笑顔を見せた。
「……射邊にバレるとは、俺もまだまだだな」
實川の手が伸びてくると、真里也はピクッと僅かに反応したものの、そのまま彼が頭を撫でてくれることを受け入れた。
土師との特訓の成果かな、と嬉しくなり真里也は言葉の続きを待った。
「射邊の読みは当たってたよ。俺はお前の優しさに甘えようとしてた」
實川の言う意味がわからず、どう言うことですか、と聞き返した。
「──俺も玉垣と同じだ。高校からのダチにずっと片想いしていた。親友のフリしてな」
「羽琉と同じ……。その相手って桐生先生ですよね」
真里也の問いかけに、實川の口角が緩やかに上がると、これまで見たことのない極上の微笑みがそこから生まれた。
「この間さ、射邊の家に行った時、正直俺は自暴自棄になってた。片想いの相手が見合いするために里帰りしてるって聞くと、何だかもう、平常心が保てなくてさ。誰かに救いを求めてたんだと思う。あ、もちろん、誰でもいいわけじゃなくてさ。射邊のことは本当に可愛いと思ってた、きっと真人がいなかったらお前を本気で好きになってただろうな」
水墨画に向けられている實川の横顔を一瞥し、真里也も同じ方を見つめた。
「大学を休む前の桐生先生は、俺から見てもいつもとちょっと違うなって思ってたんです。おとなしいって言うか、毒舌もなかったし。桐生先生も思うところがあったってことでしょうか」
水墨画に視線を置いたままだったせいで、實川の表情がわからず、チラッと横を伺うと、照れくさそうに鼻頭を指で掻いている。
気の緩んだ實川を初めて見て少し驚いたけれど、表情から察するに、いいことがあったというのはわかった。けれどどこまで突っ込んで聞いていいかわからず、チラチラと視線だけを送っていると、
「射邊、言いたいことがあるなら──いや、いい。自分で話すよ。お前の聞きたいことは、俺らの話だろ?」
待ってましたと言わんばかりに、真里也はコクコクと何度も頷いた。
「ったく、お前に手を出しかけた手前、報告しないとフェアじゃないよな」
今度は大きく頷いた。両腕を胸の前に組んで、ちょっと偉そうな態度のおまけつきで。
「真人の実家は老舗の和菓子屋なんだ。あいつはそこのひとりっ子で、今から和菓子作りを学べとは言わない、けど経営者としては後を継げるだろうって、親父さんに言われてたんだ。結婚して実家に帰って来いってな。あいつはずっと逃げてたんだけど、今回は見合いをセッティングされてて、顔を出さないわけにはいかなくなったんだ。そこであいつは全部ぶちまけたんだってさ」
「ぶちまけた? 桐生先生は何を実家で言ったんですか」
水墨画からようやく視線を真里也に変えた實川が、困ったような、嬉しさを噛み締めるような複雑な顔を向け、「自分はゲイだって」と、桐生の科白だけを小声で言ってくれる。
一驚して声を出しそうになったのを、實川の手で口を塞がれ、シーシーと、人差し指を立てて発言の制御を促された。
「そ、それで桐生先生はどうなったんですか」
今度はちゃんと小声で聞いた。
「親と押し問答になったらしい。男が好きでも嫁をとれ、後を告げ。嫌だ、女は無理だっていうバトルを三日間繰り広げてたらしい。けど、そこに救世主が現れたんだ」
「救世主? え、まさか、先生が乗り込んだんですかっ」
真里也の発言に、そんなことするわけないだろと、頭をこつかれた。
「あいつの従兄弟がやって来てさ、彼は大学を卒業したばっかで、在学中から付き合っていた彼女が妊娠して、まあ、できちゃった婚だな。就職したものの、上司と折り合いがつかなくて辞めたらしい。真人が実家に戻ってるって聞いて会いに来た時に、修羅場に遭遇したってわけだ」
「もしかして、その従兄弟さんが後継に?」
「そうそう。真人の親父さんの弟の息子だし、嫁さんのお腹にいる赤ちゃんも男ってわかってたから、親父さんは喜んじゃってね。真人は言われたそうだよ、お前はもう用無しだって」
「赤ちゃんが男──か。性別ってそんなに大切なんですか……」
自分が男だったばかりに、母を落胆させた。そのせいで彼女の描いていた人生も狂ったと言っても過言じゃない。暗い気持ちになりそうだった真里也は気を取り直し、「用なしって冗談ですよね」と、心配事だけを確認した。
「そりゃそうだ、売り言葉に買い言葉だろ。あいつはちゃんと丸く納めて帰ってきたってわけだ」
「そっか。よかったですね。で、先生はちゃんと想いは伝えたんでしょ?」
真里也のひと言で、恩師の顔がみるみる赤くなっていく。これ以上突っ込んで聞くのは野暮だと察し、ほんとよかったです、と話題を締め括った。
二人が同じ想いでいるのだから、これ以上の幸せはない。
「……元教師が元教え子に恋バナするとは、小っ恥ずかしいな」
「先生、幸せになってくださいね」
心からの笑顔で、本心を強く伝えた。
真里也に答えるよう微笑みを返してくれる實川が、笑顔から不思議そうな表情に変えて、真里也の後ろをジッと見ている。
同じように真里也も振り返ると、土師達のところにいた桐生が血相を変えた顔で、真里也達の横を走り抜け、会場を勢いよく出ていった。
「真人、どうしたっ」
異変を感じた實川が走り去った桐生の背中に声をかけたけれど、本人は聞こえなかったのか、立ち止まらず消えてしまった。
何事かと、真里也と實川もすぐ後を追いかけたが、二階にある会場から階下に行く階段を覗いても、桐生の姿はもう見えない。
追いかけるタイミングを逃し、二人して下を見下ろしていると、桐生がゆっくりと階段を上がってくる姿が見えた。
真里也と實川は待ちきれず、踊り場まで駆け降りてそばに行った。
「真人、いったいどうしたんだ。急に走ってどこに行ってた、何があったんだ」
實川の問いかけに、桐生が答えようと見つめたのは真里也の方だった。
「桐生先生、どうし──」
「あいつが、いた。お前の幼馴染の……玉垣だ」
桐生の言葉に耳を疑った。
「……は、羽琉が……ほ、ほんと……に? 先生、本当に羽琉がいたんですかっ」
縋るように桐生の腕を掴み、真里也は叫んだ。
「ああ、間違いない。入り口のところから、中の様子を見ていた。あれは玉垣だった」
桐生の言葉を聞いて居ても立ってもいられず、真里也は階段を降りようとした。すかさず腕を桐生に取られ、「無理だ」と、無情な言葉を告げられてしまった。
「あいつ陸上部にでも入ってたのか? 俺と目が合った途端、すっげー勢いで走って逃げやがった。自慢じゃないけど俺だって学生の時は足が速かったのにそれでも追いつかなかったぞ」
踊り場から一歩分、下に降ろしていた足を元の位置に戻しながら、羽琉は帰宅部ですよと、ポツリと言った。
バイトに一生懸命で、部活に入る考えなど羽琉にはなかった。
運動神経が抜群に良くて、色んな運動部から声をかけられていたけれど、強固な思いは揺らぐことなく、真っ直ぐ夢に向かっていた。
優しくて頼り甲斐があって、でもちょっと怖がりな羽琉。
真里也の前から姿を消した理由は、羽琉に寄りかかってばかりだった自分にある気がする。
大学二年の時に三人家族の姿を見て以来、自分に言い聞かせてきた。
もう、羽琉のことは諦めろと。
それでも仏像が送られてくる度に、泣かずにはいられなかった。
「射邊……」
實川の手がそっと肩に触れる。スイッチのように涙が溢れた。
好きな人と可愛い子どもに囲まれて、幸せそうだったのに、今さらなぜ姿を現すのか。いや、きっと羽琉はまだ気にかけてくれているだけだ。真里也の彫刻のことを。
それが恋ではなくて、幼馴染でもなくて、罪滅ぼしだったとして……も。
「……先生、俺、もう無理だ……。笑って生きていこうと思って、も、羽琉の影をいつも探してしまう。忘れ……たいけど、忘れたくない。もう、苦しくて……辛い」
初めて隠していた心を晒した。
胸が張り裂けて痛くなるほど、羽琉を好きだと言う気持ちがどんな感情よりも勝る。
この空間に羽琉が一瞬でもいた、それだけでも喜ぶ自分が悲しい。
滂沱する真里也の体を實川がふわりと抱き締めてくれた。
彼の温もりは変わらず恩師としての優しさで、小さな子どものように泣きじゃくる真里也の背中を労るようにずっと撫でてくれた。
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