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第2話 ズタボロの人

 セティ十七歳。愛らしさはそのままに美しく成長している。  多くの従者が、王子の宮でそれは大切に、慈しむように傅いている。中でも、乳母のヘケト、侍従頭のクヌム、ヘケトの息子のアニスはセティが産まれた時から側近く仕えている最側近と言える。 「ヘケト、今日は湖まで行きたいな」 「そうでございますね、今日は天気も良く温かいのでようございますね」  セティとヘケトの会話を聞いたアニスは、直ぐに護衛の手配をする。王宮の庭園の散策には必要ないが、湖まで行くのなら必要だ。実は、ウシルスは王宮を出て湖まで行くことに難色を示したが、セティが強く強請って折れた経緯がある。そのため、大層な護衛が供をすることになるのだ。  王宮の警備は近衛兵が担っている。近衛兵たちは皆、セティの王子の宮の担当になることを望んだ。セティの姿を垣間見られるからだ。中でも、湖まで行く護衛は人気がある。  常より側近くの護衛になり、直接微笑まれたり、時には話しかけられることもあるからだ。  ウシルスは、セティの護衛は剣や体術に優れた者を選んだ。そのため、皆選ばれるために競って技を磨いた。結果、近衛兵たちは屈強な者が多くなった。  従来近衛兵は、家柄良く、見目の良い者がなり、半ばお飾り的存在だった。それが、一変したのだ。  その事実に国王トトメスは、大いに満足した。万が一の時、王家を守るのは近衛兵だ。それが形骸化し、お飾り的存在で良いはずはない。ウシルスの手腕とセティの魅力に「さすがは我が子、余は良い子を持った」というところだ。  斯くして今日の湖への散策へも、屈強の近衛兵がびっしりと付き従った。ありの子一匹セティを害することは出来ないように。 「皆忙しいだろうにわたしに付き合わせて悪いな」 「とんでもございません。セティ殿下の護衛は大変な名誉。皆喜んでお供しております」  近衛副隊長が応える。近衛兵の一番上は近衛軍団長、その下に隊長が五人いて、それぞれに副が二人いる構成だ。セティの王子の宮の警護の長は近衛隊長で、こうした護衛には必ず副隊長のどちらかが同行するのが常なのだ。 「そうか、他に大切な用事がなかったのなら良いが……」  セティの護衛以上に大切な用事などない、皆がそう思った。 「あっ、きれいに咲いているな」  セティは、スミレが咲いているのを見つけて近寄る。 「こんなに小さくて可愛らしいのに自分で咲いて偉いなあ~」 「そうでございますね。道端で咲く野草ですから、可愛らしいけど強いですね」 「あれっ……」  すみれの花の先に何か塊が見える。セティはたたっと近寄ると、その塊が僅かに動く。  人だ! 「どうした? 大丈夫か?」  セティが尋ねるとヘケトたちが慌てて止める。 「セティ様! 近づいてはなりませぬ!」 「そなた、怪我をしておるのではないか?」  皆が止めるのを構わず、セティは更に尋ねる。服はボロボロ、頭はボサボサ、顔は薄汚れている。単に怪我をして倒れているというよりも、物乞いが行き倒れている感じにも見える。  ヘケトも護衛の近衛兵たちも、このような者をセティに関わらせるわけにはいかないと思う。早く引き離して、王宮に連れ戻さねばと思うのだ。 「セティ様、このような者に関わってはなりませぬ。王宮に戻りましょう」 「このように行き倒れている者をほおってはおけない。 何やら怪我をして弱っておるようだ。保護せねば、このまま死んでしまうかもしれない。王宮に連れて行こう」 「このような者を王宮になど、それこそ王太子殿下のお許しが無ければ……」 「兄上へのお許しはわたしがもらう」 「街中には貧民の救済施設もございますゆえ、そちらに連れて行きましょう」 「街中まで遠いだろう。王宮の方が近い――そなた起き上がれるか? わたしが肩を貸そう」  そう言って、怪我人の腕を取ろうとしたセティに皆が慌てる。 「あーっ、なりませぬ! わたくしたちが肩を貸しますから!」  そう言われて、確かに自分の非力では無理だと分かるので、近衛兵たちに任せる。  斯くして行き倒れの怪我人は王宮に運び込まれるのだった。  セティは怪我人の容態を心配し、そのほかの者達は、皆ウシルスへの報告を心配している。お𠮟りだけではすまぬぞ――そう思うのだ。  王宮の王子の宮に戻ると、セティは直ぐ怪我人の男を洗い清めるように命じた。そして侍医も呼ぶようにと命じる。先ずはきれいにしてから、手当をせねばと思うのだ。それから名を聞かねばならない。  セティはなぜか、とても男のことが気にかかるのだった。助けたのは、優しさからのものだけではなく、ほおってはおけない、心が騒ぐものを感じるからだ。それがなぜかは分からない。  今まで感じたことのない感情だ。落ち着かない気持ちでセティは一人で待った。  一刻ほどして洗い清められた男が、ヘケトに連れられてきた。アニスや、近衛兵たちも一緒だ。万が一にもセティを害させるわけにはいかない。 「そなた、歩けるのか?」  連れて来た時は、近衛兵たちに抱きかかえられるようだったが、今はしっかりと歩いてきた。  男はセティを見て、しっかりと頷く。  男を改めて見てセティは驚く。何と、素敵な人なんだろう! 先程とは別人のようだ。いや、別人というか、そもそもあまりのズタボロ加減でよく見えて無かったのだ。  実は先に、ヘケトたちも驚いたのだ。意思のある瞳がきらりと光り、かなりの美丈夫と言える。アニスの貸した服が少し小さい。アニスはベータで標準体型、それよりも体格が勝る。 「怪我の具合はどうか?」  セティの問いかけに、後ろに控えている侍医が応える。 「軽い擦り傷程度でたいしたことはありません。既に手当しております」 「他には何もないか?」 「はい、栄養状態も悪い感じではありませんので、多分今のところ問題はないかと。ただ……」  侍医が言いよどむ。何か言いにくそうだ。 「何があったのか、受けた衝撃が大きかったのでしょうか……」  ああ、あの様子ではそうだろう。何があったのだろう? 物乞いの行き倒れではない、何か襲われでもしたのだろうか?  そこでセティは男の名前を聞いてないことに思い当たる。 「そなた、名は何と言う?」  セティの下問に男は、困惑した目でセティを見つめる。
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