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第5話 王女アティス
セティの沈黙を、ウシルスは納得のものと解釈した。
そこへ、姉のアティスが現れる。セティの奏でる竪琴の音色に気付き、側近くで聞きたいと来る途中、ウシルスの大音声が聞こえ琴の音も止まった。何事か?
「何ぞありましたか? セティの琴の音を聞きに来ましたのに」
アティスの登場に、ウシルスは苦い顔をする。ウシルスにとって、姉は少々煙たい存在だ。
二歳年上の姉。今でこそ、体格は自分の方が勝っているし、知性も互角と言えるが、子供の頃は違った。全てにおいて姉の方が勝っていたのだ。子供の頃の二歳の年の差は大きい。
ウシルスもそれが悔しくて努力した。負けたくない、世継ぎは自分だとの思いだった。しかし、このケトメ王国では必ずしも王子が世継になるとは決まっていなかった。
王子にその器が無ければ、王女がしかるべき相手と結婚し、その婿が王になり、王女が王妃になる。そういう例も過去にはあった。力量の無い王では、国が亡びる恐れもあるからだ。
故に、ウシルスの立場も立太子までは、正式な王太子ではなかった。あくまでも王太子候補の第一王子だった。
今は、誰しもがウシルスを王太子と認めている。それに異を唱える者は皆無。アティスも内輪ではウシルスと呼ぶが、公的な場では『太子殿』と敬意を表している。
決して関係が悪いわけではないが、ウシルスにとっては複雑なものがあり、姉に正面から異を唱えるのは、はばかられるものがあるのだ。
苦々しいながらも、ウシルスはアティスにあらましの経緯を説明する。
「そなた、何も覚えておらぬのか? 名も分からぬのか?」
アティスが直接尋ねると、男は頷いた。顔には不安が浮かんでいる。
自分のことが分からない不安と、この先への不安。どちらの不安も大きく、押しつぶされるような思いだ。
「そうか……気の毒にな……何があったか調査は?」
「無論、それは直ちに命じます」
ここまで静かに聞いていたセティが、遠慮がちに口を開く。
「このことは、全てわたくしの責任なのです。余りの酷い有様に、捨て置くことが出来ずに……」
「セティは優しいからな……助けてやろうと思った気持ちは間違ってはいない」
「助けてやった責任として、この者が記憶を取り戻して、家族の許へ帰るまで見届けてやりたいのです」
アティスには、セティの優しさからくる気持ちも理解できるが、ウシルスが言う事も当然のことだと思うのだ。
本来は、ウシルスに従って、以上終わり。それが正しい事。
しかし、それではセティが泣くだろう。そうなれば、ウシルスにとっても後味の悪いことになる。ここは、まとめてやるのがわたしの役目――そう思う。
そしてアティスもセティに甘い。セティを泣かせたくないのだ。
「太子殿」
アティスは、敬称で呼びかける。
「セティの優しさに免じて、大目に見てはどうかと思うのですが……」
「と、言いますと」
「昨日もアニスが面倒をみたのでしょう。このままそうしてはと思うのです。アニスの部屋ならば、王子の宮ではないからよろしいのではと思うのです。しかし様子は分かり、セティも安心できるでしょう」
と言って、今日もすぐに王子の宮に来てセティの側に居たではないかと思う。甘いな、姉上は……。そのウシルスの思いを察したかのようにアティスは続ける。
「太子殿の懸念も分かります。この者の背景は不明。警護を強化すればよいのではないかと……セティの側に外へ出る時と変わらぬ護衛を付ければよいのではと思いますが」
まあ、そうではあるが……と思った時、セティの視線に気づく。少し潤んだ瞳で訴えるような視線――だめだ! そのような眼で見るな! わたしはその眼に弱い!
ウシルスは嘆息しながらも決断した。
「近衛隊長! セティの警護を強化する。早速編成を組むように」
「はっ!」
近衛隊長は敬礼すると、命令遂行のために急ぎ退出する。
「内務卿にこの件伝え、直ぐに調査を命じろ。この者の身元、被害の経緯全てだ」
命じられた側近も急ぎ退出する。ウシルスの命令は迅速に遂行されるのが常だった。
「アニス! その者を連れて行け。身元判明するまで、お前が面倒を見ろ」
ここで、セティがウシルスに抱きついた。
「兄上! ありがとうございます!」
「セっ、セティ!」
嬉しさの余り抱きついたセティを、片手で抱きしめながら、もう一方の手をアニスに向けて振った。早く去れという意味だ。
もとより心得ているアニスは、男を促して退出する。
男は、退出の間際に深々と頭を下げる。ウシルスの登場から不安に押しつぶされそうだったが、今は解放された思いだった。
抱きついたセティをウシルスは抱き上げる。セティは十七歳になったとはいえ、未だ少年といっていい体格だ。ウシルスとの体格差は歴然としていて、軽々と抱き上げられる。
「セティ、そなたに土産がある」
「公務で行かれたのに土産など、申し訳ございません」
「市場の視察で目に留まったのだ。セティが喜びそうだと」
セティを下ろしてから、側近が差し出した土産をセティに手渡す。
「これはまたきれいな! 飾り箱ですか?」
「そうだ。きれいだろ、きれいなだけではなく実用的なのだ。色々な物を入れられる。何を入れるのかな」
「そうですね。ふふっ、何か宝物を」
「宝物とはなんだ?」
「ふふっ、それは秘密です」
「兄に秘密とはけしからんなあ」
と言いつつ、ウシルスはセティを抱き上げ頬ずりする。
「あっ、兄上!」
セティが逃れようとするのを、益々おもしろがって抱きしめるウシルス。これはいつもの日常だった。側仕えの者たちも微笑ましく見ている。
アティスも苦笑しつつ見ていたが、そろそろと思って声掛ける。
「ウシルス、両陛下へのご挨拶は済んだのかしら」
「父上には帰還後すぐにお会いしたが、母上にはまだです。今から行きましょう。セティ、上宮(国王王妃の住まい)で竪琴を奏してくれないか」
「そうね、先程途中で終わってしまったから、わたしも聞きたいわ。父上母上もお喜びになるわよ」
「はいっ!」
セティは満面の笑みで頷いた。セティは竪琴を奏するのが大好きなのだ。皆、うっとりしながら聞いてくれる。そして褒めてくれるからだ。
武術の腕は全くだめで、自分も諦めている。周りもセティには必要ないと思っている。男としてどうかとは思うが、人には向き不向きがあると、そこは開き直っている。得意な事を頑張ればいいと思っているのだ。
同じ王子として、兄のことは尊敬している。とても立派だと思っている。しかし、自分も同じようになろうとは思ってはいない。兄は、王太子。自分とは立場が違うと思っているのだ。
セティは、溺愛と言っていいほど皆に愛されて育った。その為に、兄との能力の違いに卑屈さを感じることなく、むしろ心地よさを感じているところがあった。
そんな、セティの朗らかさが一層セティの魅力を増し、皆の溺愛を深めているのだった。
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