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第10話 別離の時
ネフェルはいつも通り、セティに夜の挨拶を済ますとアニスと共にアニスの部屋へ帰ってきた。帰ってきたと言っていいほど、ここはもう我が家のように馴染んでいる。
部屋の前に近衛隊がいるのことに、ネフェルは胸騒ぎする。
「そなたは今夜から医療院へ収監することになった。今から同行願う」
近衛隊を従えたメニ候が静かに告げる。
「い、今からですか?」
メニ候は頷き、後ろの近衛兵に手を振る。連れて行けということだ。ネフェルは驚き、言葉にならないが、両脇から近衛兵に手を取られ連れて行かれる。
焦ったアニスが、止めようとするのを、メニ候が制する。アニスは呆然と連れて行かれるネフェルを見送った。
「あっ、あの……これは王太子殿下のご命令ですか」
「そうだ」
「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あれはアルファと判明した。しかも身元は未だに分からぬ……そなた、驚かぬなあ……まさか知っていたのか?」
「いえ……ただそうだと腑に落ちるなと。セティ様はご存じないですよね」
「明日、王太子殿下が直接話される。その後のことはそなたも気にかけてお守りせよ」
アニスは頷いた。つい今しがたのセティの笑顔を思い出す。何も知らないからこその笑顔。それが明日消えるのだろうか……確実にそうなるだろう。
アニスは暗い気持ちになる。お守りせよ、それは当然思っているが、どうしたら良いのだろう。今は全く分からない。
この夜、アニスは重い気持ちに眠れぬ夜を過ごすことになる。
ネフェルは、両腕を取られて連れて行かれながら不安で一杯だ。医療院に収監と言った。牢獄ではないのか? どちらにせよ、これでセティに再び会うことができるのだろうか……それが心配だった。
まさか、先ほどの挨拶が最後になる……それは無い、ネフェルは、必死に悪い予感を振り払った。
王宮を出てからは、馬車に乗せられ一刻ほどで降ろされた。王宮からさほど遠くはないようだ。
医療院へ入ったネフェルは、用意されていた部屋に入れられた。個室のようだ。世話係の者に、今日はもう夜のため直ぐに寝るようにと言われる。ここでの様々な事は明日教えるからと。
ネフェルは、世話係の言葉に頷き、頭を下げた。それができることの精一杯。言葉は出なかった。
寝台へ横になったが、とても眠れない。何故、急にここへ来ることになったのだろう……記憶が戻らないためか? 何か治療法があるのか? それよりも、セティに再び会えるだろうか……。ネフェルが考えるのはそればかりだ。
『セティ様、またお会いしたいです』何度も、何度もそう心の中で唱えた。
翌朝、アニスが一人で来たことにセティは不信に思う。
「アニス、ネフェルはどうしたのだ?」
「ネフェルは……」
「どっ、どうしたのだ!? 何か、あっ、あったのか!?」
「ネフェルは医療院へ行ったのです。大丈夫です。心配いりません」
アニス、そしてヘケトも必死にセティを宥めようとする。しかし、セティは激しく動揺する。
医療院? 何故、急にそのような所へ行くのだ? 何があったのだ?
「どうして急にそのようなところへ行ったのだ? 誰の命令だ?」
「そっ、それは王太子殿下の……」
「あっ、兄上か!」
そう言うなり、部屋を出て行こうとするセティを皆が止める。
「セティ様! 落ち着かれてください!」
落ち着いてなどいられない! なぜ、なぜネフェルは連れて行かれたのだ? ネフェル! ネフェル!
行こうとするセティを、皆が止めようともみ合うところに、ウシルスがやって来た。
「あっ、兄上!」
ウシルスに走り寄りしがみつくセティを、ウシルスはひょいと抱き上げる。そして穏やかに言う。
「セティ、何を取り乱しているのだ?」
「あっ、兄上……ネフェルを、ネフェルをなぜ……」
話すうちに涙が溢れ、言葉が続かない。
そんなセティを、ウシルスはあやすように背中を撫でながら部屋を出る。そして王太子宮へ行き、自分の私室へ入り、抱いてきたセティをソファーへ下ろして、自分も隣へ座る。
ウシルスは、セティの頭を撫でながら微笑む。
「セティ、兄の話を聞きなさい」
セティは涙に濡れた顔で頷く。
「セティ、そなたはこの国の王子ではないのか?」
セティはウシルスを見上げ、そして頷く。ウシルスも深く頷く。
「しかも王妃を母とする正嫡の王子。その王子が臣下の前で、あのように取り乱してはいけない。それは分かるか?」
セティは下を向く。急に恥ずかしくなったのだ。全く兄の言う通りで、言葉が無い。
「はい……も、申し訳ございません」
ウシルスはセティを抱きしめる。
「いい子だ。セティは分かっておる。賢いからな。王子なら、己を律し、相応しい振る舞いをせねばとな」
セティは兄の胸で頷く。セティにも王子としての矜持はある。例えオメガでも、それは、常に思ってきたし、己の支えでもあった。
セティの興奮状態だった、気持ちが落ち着いてきた。
取り乱したことは、恥ずかしい。以後は気を付けねばならないと思う。しかし、ネフェルのことは心配だった。
「兄上、わたくしが取り乱したこと、申し訳ございません。お許しください」
ウシルスは、微笑みながら頷く。
「それで、兄上にお尋ねします。ネフェルはなぜ医療院へ行ったのですか?」
「あれは、アルファなのだよ」
セティには衝撃の事実だった。疑ったこともなかった。アニスと同じように思っていたからだ。もし、それが本当なら、自分の宮にはいられない。それはセティにも分かった。
セティがオメガのため、王子の宮に仕える者は、皆ベータが決まりだった。護衛の近衛兵にはアルファもいるが、兵士故に、己を律し、相互監視もある。何しろ、セティに手を出すなら、軍法会議で処刑が待っている。一族にも類が及ぶ。そんなこと、怖くてできない。
「ア、アルファ……」
セティは見開いた目でウシルスを見つめる。茫然自失して、それ以上言葉が出ない。
ネフェルがアルファ、アルファ……なぜ、なぜ……。
セティは何度も自分に問いかけるが、答えは得られなかった。
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