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第11話 セティの悲しみ
セティから微笑みが消えた。
ネフェルに会いたいとは口にはできない。兄の王子として己を律する必要があるとの言葉は、セティに深く響いた。
兄も王太子としてそうしているのだろうとは容易に想像できる。だから兄のことは尊敬できるのだ。
自分も王子。オメガではあるが自分も正嫡の王子。それを決して忘れてはいけないとセティは思うのだった。
通常王太子以下の王子は、軍務に携わる。そうして、兄の王太子、後国王の助力をするのだ。
しかし、セティはオメガである故、軍務に必要な教育は受けていない。その道は最初から期待されなかった。本人もそれは無理と理解している。だからといって王子の誇りが無いわけでは決してない。
姉の王女と同じくらいの知識は身に付け、軍務以外の道で役立ちたいと思っているし、周りもそれを期待し、励ましてもくれる。
セティは今まで、自分は正嫡の王子であると、その矜持を持って生きてきたのだ。それを捨てたら、生きてはいけない。
ただ可愛がられて愛玩されるだけの存在になる。それは、余りに情けない。
だから言えないのだ。ネフェルに会いたいと。
言えないからこそ、セティのネフェルへの思いは積もる。日ごとに積もっていくのだった。
同じ頃ネフェルも、セティへの思いを募らせていた。
医療院へ連れて来られた翌日は、診察や問診があり、その後、世話係と共に部屋へ戻る。外へは出られないのかと思う。
ネフェルの疑問を察したのか、世話係から事務的に告げられた。敷地内の庭には行っていいと。ただし、その他の場所に立ち入るは許されないし、敷地外には出られないと言われた。
その時は、単に了承を述べたのだが、直ぐに監視の者が何人も配置されていることに気付く。世話係もその一人なんだろう。つまり行動の自由は全くないということだった。
それは仕方ないことだとネフェルも思う。何しろ、自分は背景不明の、いわば要注意人物でもあるのだから。ある意味、今まで、王子の宮に居られたことの方が不思議なのだ。
だからといってセティへの思いが消えるわけではない。消えるどころかその思いは募るばかりだった。
セティは、身元どころか名も分からぬ自分には、仰ぎ見るのも恐れ多い王子様。
触れたいなど、分不相応な望みは持たない。ただ、その姿を見ていられればそれでいいのだ。
セティの姿を見て、その声を聴いているだけでいいのだ。それ以上は望まない。
しかし、今はそれすら叶わぬ大いなる望みになってしまった。
会いたい! 会いたい!
離れた所から、ひっそりと垣間見るだけでもいい。
医療院の庭からは、王宮が見える。改めてここから眺める王宮は、要塞のように大きい。しかし、ネフェルには広大な王宮の何処にセティがいるのか分かるのだ。
そこだけ、光が見えるから。あの、光はセティの光。
ネフェルは庭に出て、王宮を見るのが毎日の日課になった。そうして、セティの日常を思うのだ。
セティは今の時間、起床し朝食をとっている時間。今は、師のもとで学んでいる時間。そして今頃は……ネフェルには全て頭に残っている。
セティに出会う以前の記憶は無いが、出会って以後の記憶は鮮やかに残っている。全ての記憶がセティで埋められているのだ。
ここへ来るまでは、このまま記憶が戻らなくても、セティの側でセティに仕えられればいいとも思っていた。
しかし、ここへ来てからは、もし記憶が戻れば何かが動くだろうか……とも思ったが、より悪い方に動く気もする。
どちらに動くのか、自分でも分からないのがもどかしい。ただ、戻らねば何も動かないのは事実だろう。
王太子の配下も懸命に自分の身元を調査しているのだろう。ここでも、記憶を取り戻せる治療法を探っているのは分かる。
牢獄に収監せず、医療院へ収監したのは、何も分からない状態では迂闊には扱えないとのことだろう。
だからこそ必死に探っているのだ。おそらく早晩判明するだろう……自分の記憶は戻らなくてもとネフェルは思う。
「憂いを帯びたお顔でございますなぁ」
「何が言いたい」
「殿下にそのようなお顔をさせるのは、彼の方だけでしょうなぁ……」
「あれの笑顔を見たい」
「遠駆けにお誘いなさったらいかがですか? セティ殿下は遠駆けが大層お好きですから、お喜びになり、気も紛れますでしょう」
「遠駆けか……そうだな気が紛れるかもしれんな。早速行くぞ」
メニ候の提案に、ウシルスは直ぐに同意する。思い立ったら即実行がウシルスだ。
セティが塞ぎこんでいるのをどうにかしたい……その思いがウシルスを憂いの帯びた表情にするのだ。
セティは遠駆けが好きだ。しかし、一人では危ないからと、いつもウシルスが自分と一緒に乗せていくのが決まりだった。つまり、セティが遠駆けできるのはウシルスと一緒の時だけだ。
セティは最初、兄の誘いに乗り気はしなかったが、アニスの勧めもあり行くことにした。確かに、自分でも気が紛れるかもと思ったのだ。
セティが馬場に行くと、ウシルスは既にセティを待っていたので、急ぎ足で近づく。
「兄上、お待たせしました」
ウシルスは頷くと愛馬に乗る。すると「ご無礼」と言ってメニ候がセティをひょいと抱き上げ馬上のウシルスに渡す。
「よしっ! では行くぞ!」
ウシルスの掛け声と共に馬が走り出す。後ろから、メニ候たち側近も続く。
久しぶりの遠駆け、春の風を身に感じて心地よい。セティは暫くその心地よさに身を委ねた。
しばらく走ると、王宮の奥に続く森の中へ入っていく。ここは、王室の直轄地、一般の者は立ち入れない。
森の奥まで入ってくると、馬は走るのをやめ、ゆっくりと歩く。
「ここまで来ると空気が違うな」
「はい、とても澄んでいて気持ちがいいです」
「ああ、澄んで、少し冷たい。寒くはないか?」
そう言って、セティを抱き込むようにする。
「はい、大丈夫です。兄上が温かいから」
兄の温もりを背に感じる。兄は優しい。この遠駆けも自分を思いやっての事だろう。断らなくて良かったと思う。
「そうか、ならばよい。どうだ、久しぶりの遠駆けは?」
「はい、嬉しゅうございます。連れてきて下さりありがとうございます」
自分を見上げるようにして言うセティの表情が少し柔らかい。真の微笑みではないが、ウシルスは少し安堵する。
「そうだ、そなたに伝えねば……父上母上が、セティの竪琴を聞きたいと申されておった」
「わたくしの竪琴をですか?」
「そうだ、最近聞いていないからと、淋しく感じておられるようだ」
父や母にも心配をおかけしているのだと、思い至る。とても申し訳ないことだ。
「そうですね……最近奏しておりませんので、少し練習しないと……」
「ならば、十日後くらいはどうか? セティのことだ。それくらいあれば腕も戻ろう」
「はい、お耳汚しにならぬよう、精進いたします」
セティは、ウシルスとの約束通り、翌日から竪琴の練習に励んだ。
久しぶりのセティの竪琴の音色に、ヘケトたち仕える者たちも心安らぐ思いを抱く。皆、セティの元気のないことに心を痛めているのだ。
どうか、早く元気に、あの朗らかな微笑みを……と皆が望んでいるのだ。
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