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第12話 セティの涙 そして再会
上宮にセティの奏する、琴の音が美しく響く。国王王妃、アティスに王太子ウシルスもうっとりと聞き惚れている。
セティのしなやかな指は、極上の調べを奏でていくのだ。久しぶりの美しい調べに、皆、最高の心地よさを堪能するのだった。
「おおーっ! 素晴らしかった! さすがセティだ! 天上にでも行った心地よさを感じた」
父である国王の最高の賛辞に、皆が同意し、それぞれが口々に褒める。
「まこと、セティは親孝行の子じゃ。そなたの奏する琴の音は最高じゃて。母は寿命が延びましたよ」
「最高に姉思いの弟でもあります。良い弟を持って私は幸せよ」
「それは私もですよ。こんな良き弟はどこにもいない」
セティは皆の大げさとも言える賛辞に、恥ずかし気に微笑む。この大げさ加減はいつもの事でもあったが、喜んでもらえたのは嬉しい。
もう一曲とせがまれ、最初の曲とは違う曲を奏し始めた。『胡蝶』という曲で、花々の間を蝶が軽やかに舞う姿を表した曲。
セティに蝶が乗り移ったように、軽やかな調べが奏でられる。
セティの頭の中でも、蝶が花々の中を舞う……しかし、蝶は花の中で迷ってしまう。留まりたい花が無いから……。
蝶が、セティが探す花は、蓮の花……ネフェル。
ネフェル! ネフェル! どこにいるの!?
セティの瞳から涙が溢れだす。
セティは溢れる涙を拭うこともなく、竪琴を奏し続ける。そして、最後まで奏し終わると、竪琴を抱きしめて泣くのだった。
涙は、留めなく流れる。セティの美しい顔が涙に濡れる。
皆、セティの涙に気付くと、驚きに目を見開く。
声を掛けたらいいのか、抱きしめたらいいのか……ただ茫然と見つめる。
セティの淡い微笑みに安堵したのは、つい今しがた。
それが、急に、何をセティに涙を流さすのだ!
四人は我に返ると、お互いの顔を見渡す。皆が皆、衝撃を受けている。
意を決したように国王がセティに近づく。そしてセティを抱き寄せて、その頭や背を撫でながら優しく言う。
「セティ、どうしたのじゃ? 何が悲しくて涙を流すのじゃ? うん……父に話してはくれぬか」
「……ネフェル……ネフェルがっ」
それ以上は言葉にならない。セティは父に抱きつきながら泣き続けた。
今日はセティの竪琴を鑑賞した後は、王一家五人で夕餉の予定であった。しかし、セティの涙で無理だと判断したウシルスは、父に抱かれるセティを抱き上げ、王子の宮に送っていき自ら寝台に寝かせる。
ヘケトたちに端的に支持すると、自分は上宮へ戻る。
上宮には三人が、暗い顔で待っている。
「セティは?」
「はい、薬湯を飲ませた後、寝かせました。気を静める作用がある薬湯ですから、暫く眠るかと」
「そうか……しかし、原因はやはり……あの者か……」
重苦しい空気が流れる。
「セティには、あの者が必要なのか……まさか魂の仲ではないのか」
国王の言葉は、ウシルスの頭にも過り、即座に否定したこと。それは、絶対に許すことはできない。
アルファとオメガは番の関係を結ぶ。
アルファは何人ものオメガと番を結ぶことができるが、オメガは最初に結んだアルファただ一人だけしか番になれない。
アルファにとってオメガは、単にフェロモンで引き寄せられるとういう感覚が強く、オメガもそれは同じである。つまり、アルファは複数との関係が可能だが、オメガはただ一人、それだけの違いではある。
しかし、魂の仲、運命の相手と言われる存在が稀にではあるが存在すると言われた。
半ば伝説と言われるが、その場合文字通り、フェロモンではなく、魂から引き寄せられる。それだけに、お互いを求める気持ちも強く、その思いも深く強固になる。
ただ、実際に存在するのは稀で、伝説と言われる所以ではある。
「まさか、それは無いかと思います……あまりに身分が違います」
しかし、その身分が未だ不明なのも事実ではある。
「いずれにせよ、このままではあまりにセティが不憫ではある」
父国王の言葉に、母、そして姉も同意する。皆、セティの涙に衝撃を受けているのだ。この際、セティを悲しませないためなら、アルファを側においてもいいのではという気持ちに傾けかけている。
三人は、無言でウシルスに攻勢をかける。その、ウシルスの気持ちも揺れていた。無論、セティの涙を目の当たりにしたからだ。
そこまで、あの者との別れが辛いのか……ウシルスにとっても衝撃的であったのだ。打ちのめされたと言っていい。
「アルファを側に置けないのは重々承知ですが、ここは仕方がないのでは……」
母の言葉にアティスが同意しながら、口を開く。
「魂の仲と言うのはさすがにあれですが、このままだとセティが不憫なのは事実。アルファといっても彼一人。警護を強化したら大丈夫ではと思います」
「そうじゃ、ウシルス、何とかしてやれぬか?」
母が哀願するように言う。王妃である母にここまで言われて拒否することは難しい。実に忌々しい思いになる。
あの者がアルファだから、セティは惹かれるのか……抹殺したい思いに駆られるが、現状身元不明のままそれは出来ない。
他国人の可能性が高い今、下手な事をしたら外交問題になりかねない。だから、メニ候もそれは止めている。あの男の事だ、それがなかったら、ウシルスを邪魔する者はとうの昔に消し去っているだろう。
「分かりました。あの者を以前のように戻しましょう。無論、警護は強化します」
ウシルスの言葉に三人はほっとした顔で頷く。
おそらくそれ以外に、セティを泣かさない方法はないだろうと、皆思うからであった。
「昨日の事はわたくしも聞き知っておりますが……よろしいのですね」
「それしかなかろう」
メニ候の問いに、ウシルスは苦い顔で答える。
メニ候自身、昨日の出来事を部下から報告を受けた時点でそれは分かっていた。しかし、それはウシルスの本意でないことも分かるが、確かに、他に策があるとも思えない。ウシルス以外の王室一家が皆、それで一致している。それに抗うのはさすがに難しい。
今更言っても仕方ないが、湖畔で助けた時に王子の宮へ連れ帰ったのが間違いだった。その時護衛していた近衛兵に怒りを覚えるが、今となってはどうしようもない。ここは切り替えるしかない。
「警護の強化、これは抜かりなく頼む。そして、あれを……連れて来てくれ」
「承りました」
ネフェルは自室にメニ候を迎えた。
自分に何の用だろう……何か身元に関することが判明したのだろうか?
「そなたを王宮へ戻すことに決まった」
「えっ……」
予想外の言葉に、ネフェルは言葉に詰まる。
「ヘケト母子には既に話してある。すぐに支度してくれ」
「あっ、あのまたアニス殿の所で世話になるのですか?」
「そうだ、ここへ来る前と同じだ。ただし、そなたがセティ様に触れるのは勿論、話しかけることも一切ならぬ。下問された時は側にいる者が取り次ぐ。セティ様の御身分からしたらそれが当然のこと。よいな、それをしかとわきまえるのだぞ」
「はい、かしこまりました」
そうだ、セティ様は王子様なのだ。それは十分分かっている。ただ、仰ぎ見るだけでいい。そのお姿を垣間見るだけでいい。
「ネフェル! 戻ってきたな、良かったよ!」
「アニス殿! またお世話になります」
「アニスでいいよ。まあ、相変わらず何もない所だがゆっくりするといい。母さんもネフェルがまた来ること、とても喜んでいた」
アニスとヘケトの母子も、ネフェルが戻ると知った時、心から良かったと思った。セティの側近くで仕える二人には、セティの悲しみの原因はネフェルにあると知っていたからだ。
セティのために心から喜んだ。そして、二人はネフェルの事も好きだったから、ネフェルと再会できることも喜んだのだった。
「ありがとうございます。再びお世話を掛けて申し訳ないのに、なんだかとても懐かしい思いです」
セティに会えるのは当然殊の外嬉しいが、ネフェルにはアニスとヘケトに再会できたことも嬉しい。アニスの明るさと、ヘケトの温かさに心が安らぐのだった。
医療院では毎日ほとんど会話をすることが無かったので、なおさらだった。
この晩、ネフェルは中々寝付けなかった。明日にはセティに会える。会えるという表現は恐れ多いことだが、それでもネフェルには、セティに会えると思った。
愛しいお方に会える。
「おはようございます」
アニスの朝の挨拶に顔を上げたセティは、アニスの後方に控えているネフェルに気付き、走り寄る。
「ネツ、ネフェル!」
勢い良く抱きつくセティに、ネフェルは懸命に堪える。抱きしめ返したいが、それは許されない。
愛しいお方、セティ様!
アニスには、あっという間の事で慌てるが、どうしたらいいのかオロオロする。
すると、やはり慌てたヘケトがやんわりと、「セティ様こちらに」と言って、ネフェルから引き離す。こんなところを護衛に報告されたら、またネフェルは医療院か、最悪牢獄行きだ。それは、セティのためにもならない。
「ネフェル、戻って来られたのか?」
「そうでございますよ。医療院で特別悪いところはないとの診断でございましたので」
「そうか、良かった……また、そなたたちの部屋にいるのか?」
「さようでございます。ですから、毎日アニスと共にこの王子の宮に伺候いたします。しかし、セティ様ご身分はわきまえなさるように。先ほどのように抱きついたりはなりませんよ」
セティはヘケトの苦言に素直に頷いた。しかし、そんなことはどうでも良かった。ネフェルに再び会えたことが嬉しい。もう会えないのではとも思った。
それが会えた。そしてこれから毎日会える。嬉しい、嬉しい、嬉しい――セティにはそれだけだった。
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