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第17話 都会へ行こう 5
【都会へ行こう 5】
無駄に丈夫で良かった。親に感謝だ。俺じゃなかったら、3回は死んでてもおかしくないと思う。
窓の外がだんだん明るくなってくのに焦りながらなんとか床と壁を拭いて、汚れた雑巾とシーツを中身が見えないゴミ袋に突っ込んだ。
その間にも左顔面はどんどん腫れ上がってく感覚がするし、折れてる鎖骨が熱を帯びてジンジンと激痛で治療を訴えかけてくる。
「はぁ……はぁっ……」
何回も中に出されたらしく、ハラもグルグル痛ぇし、気を失ってる間に一体なにをされたのか、背中もずっとヒリヒリしてる。多分だけど、この感じは引っ掻き傷だ。あの獣め。
本当なら指先ひとつ動かしたくない生き地獄のような状況だってのに、こんな姿が母親に見つかっちまう前にここから退散する必要がある。
「う……、くそったれ……」
ガクガク震える足腰を叱咤して、左手だけで荷物をまとめて玄関へ向かう。んで問題のあいつ、どこ行きやがった。
「ふぅ……」
探しに行くにしても、一体どこを……。そんな事を考えてたら、ちょうど扉が開かれてショットが帰って来た。
「ちゃた?」
「は、ぁ……ショット」
つい安心すると膝の力が抜けちまって、床にへたり込んだ。そんな俺を見てショットもしゃがんだかと思うと、左顔面をベロリと舐められる。
「おい、やめ」
「ちゃた、顔……あかい」
「1週間もすりゃ治るよ」
潰れて酷い声だなと思ったけど、それよりショットの顔色が悪い事の方が気にかかった。
「……早く帰ろう。疲れたろ。な」
「うん……」
荷物持ってくれるか?と話してると、シドニーが自分の荷物を全部手に持って走ってきた。
「とと、とーちゃん!」
「シド」
「置いてかないでよ……」
「……シドニー、あのな」
「やだ!!」
正直、このままシドニーはここに置いて行こうかと悩んでいた。俺の母親のどんぶり勘定の事だ。ガキが一人増えたって大して気にもせず育ててくれるだろうし。あんな、いつ殺されるかもわからねぇような場所で生きるよりずっと良いに決まってる。
そんな俺の考えなんて、聡明なシドニーには元からバレバレだったんだろう。昨夜の騒ぎも聞かれてたかもしれない。俺たちに置いて行かれないよう、荷物をまとめていつでも飛び出せるようにしていたみたいだ。
「俺、あそこでととととーちゃんと暮らせて幸せだよ!本当だ!!」
「……悪かったよ、俺たちは家族だもんな」
「うん」
「一緒に家に帰ろう」
「うん!」
***
まだ日も昇りきる前の早朝で人通りが少ないとはいえ、誰ともすれ違わないわけじゃない。
「……やっぱ俺、そんなやばい?」
通行人が俺の顔を見てはギョッとする。さっき、とにかく血を流そうとシャワーを浴びた時に鏡を見たけど、首も顔も内出血で青黒く変色してた。
家にあった鎮痛剤をバカほど飲んできたから今は歩けるくらいには痛みは誤魔化されてるけど、ケガによる発熱と薬の副作用と寝不足と貧血でまっすぐ歩けない。
「うん、とーちゃん見た目も動きもゾンビみたい」
「まじでゾンビになった気分だぜ」
声までそうなんだから、立派なもんだ。ああそうだな、今日の俺はゾンビなんだ。周りの視線はもう気にしないでおこう。
なんとか運良く警察に見つかって職質されるような事もなく電車に乗り込み、「いでで……」と年寄りくさい声を漏らしながら椅子に座る。朝イチで空いてて良かった。立ってたらそのまま気絶してたに違いない。
「はぁ……はぁっ……」
「苦しい?とーちゃん」
「ああ、ちょっと、疲れたな……」
吐きそうになって目を閉じる。ぐるぐると酷いめまいにまっすぐ座っていられなくて、左隣にいるショットに凭れかかった。
「ちゃた、へいき?」
「おう、心配すんな……」
コイツは昨晩のことをどれくらい覚えてるんだろうか。あんま分かってなさそうだから、俺にケガを負わせたコトなんか、そのまますっかり忘れててくれたらいいと願う。
「朝……どこ行ってたんだ」
「しらない」
置いて行かれなくて安心したのか、シドニーはショットの膝の上でウトウトしてる。
「……そっか」
コイツたまに夢遊病っぽいから、無意識にふらふら外に出ちまったのかもな。人に見つからなくてよかった。とにかく苛立ちに任せて俺以外の誰かに暴行を加えたりしたワケでもなさそうだし安心した。
|都会《ここ》はお前には嫌な思い出が多すぎるよな……と呟いて、俺は眠りに落ちた。
***
ショットをちゃんと連れ帰るようにシドニーに頼んで、俺はそのままの足でスラムの病院へ立ち寄った。
「うわーっ!ゾンビかと思った!!」
「うるせ……」
「おい、その左目見えてんのかよ!?」
「あんま見えねえけど、潰れてはいねえよ」
頭に響く大声で騒いでるのはリドルだ。こいつも何かでケガをしたのか、右腕に包帯を巻かれてた。また犯罪者を見つけては騒いで揉めたんだろう。
「右腕どうした、動かねえのか!?」
「うるさいって」
「声もガビガビじゃねーか!またアイツだろ!!」
「ああそうだよ」
騒ぐ声に医者が診察室からヒョコヒョコと出て来て「治療するから入りなさい」と手招きする。
「まじで今日こそは許さねえ、あの野郎」
「お前が怒る必要ないだろ」
「茶太郎が怒らねえ代わりに怒ってんだよ!!」
「俺がいいっつってんだろ、いいんだよ」
リドルは俺の肩に手を置こうとしたが、どこにどんなケガをしてるか分からないから気を遣ったんだろう、両手を広げた間抜けなポーズのまま固まる。
「あのな……プレイって呼べる域を越えすぎなんだよ。その調子で許してたら近々まじで殺されっぞ」
「わかってるよ」
もういいから帰れ、ショットに喧嘩売りに行くなよ、と釘を刺すとリドルは至って真剣な顔で見つめてきた。
「お、俺……その、茶太郎が望むならSM勉強するけど。ちゃんと安全な方法で」
「俺ァ|M《マゾヒスト》じゃねぇよ。"あいつだから"何でも許してんだ」
「絶対マゾだろ!!」
「黙れ。この際だからハッキリ言っとくけど、たとえショットが死んでも俺はテメーのモンにはならねーから」
ショック死しているリドルを放置して俺は診察室へ向かった。
***
安静にしろと入院も勧められたが、ありったけの鎮痛剤と解熱剤をもらえるだけもらって帰宅した。部屋に入るなりショットに抱きつかれる。
「鎖骨折れてるから、手は腰に回してくれ」
それにしても喉の骨が折れてなくてよかった。もし折れてたら腫れて呼吸困難で死んでたよと医者に言われたんだ。「どうせ病院に連れていく脳もないんでしょ、あなたのパートナー」と言われてやっぱりズケズケ言う人だなと思ったけど、まあその通りだから笑っておいた。
「シドニー、メシ後でもいいか?」
「うん、眠いから寝てる」
「ちゃんと布団被れよ」
寝室に歩いてくシドニーを見送って、俺はまず何よりもショットを甘やかしてやる為に別の部屋へ移動した。
「……嫌な事たくさん思い出させちまったな。もう大丈夫か?」
「だいじょうぶ」
「ごめんな」
いつでもぼーっと何もわからねえ小さい子供みたいで、何を言ってもフラフラしてばっかのこいつが、都会に行ってからずっと妙に大人びてる感じでどうも調子が狂う。
「早くいつもの調子に戻れよ、落ち込んでるお前見てると変な気分だ」
こいつはシドニーの前でも平気でベタベタ甘えてくるけど、それを思う存分甘やかす姿を俺は見せたくない。でも本当はいつだって好きにさせてやりたいんだ。
「ちゃた……ここ、いや?」
俺があっちで暮らしたがってるとでも思ったのか。不安そうに聞いてくる。
「いや、そんなことねぇよ」
だから疑うように顔を覗き込んでくるショットに笑いかけた。
「意外とここの無茶苦茶な暮らし、俺に合ってんだ」
そうすると嬉しそうに飛びつかれて、何ヶ所か傷が開いたような気がしたけど気にせず受け止めた。
「すき、ちゃた」
「……俺もお前が好きだよ」
こいつが何者でも、過去に何をしでかしてたとしても、好きになっちまったもんは仕方がない。思いは呪いだ。ここまで来たら、俺たちは"共犯"ってわけ。
だからここで生きていく。こいつとシドニーと一緒に。
「お前、シャワー浴びてこい。臭いぞ」
「んー」
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