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第18話 好きだとか、嫌いだとか
【好きだとか、嫌いだとか】
その日はシドニーが来週の遠足で電車に乗って隣町まで行くって言うから、いつもより小ましな靴でも買ってやろうかと財布にそこそこの金を入れて家を出た。
んで、電車でショッピングモールに行くために荒れたバラック群の隙間をスラムの方向へ歩いてたんだ。そしたらそんな時に限って、俺の顔を知らない――というか、|要注意人物《シュート》と俺がつるんでると知らない――ガキどもに狙われちまった。普段なら大して金も入ってない財布くらいくれてやるんだが、今日はコレが無くなったら困るしなぁ。
「だから金なんか持ってないって……」
「何も持ってないワケねーだろ」
相手は三人組で、持ってるのはナイフだけみたいだ。だからって非力な俺に撃退できるハズもなく、押し問答を続ける。
「ケガしたくなかったら持ってるモン出せ」
「やめろって、もう行くから」
伸びてきた手を押し退けて歩き出そうとしたけど、当然捕まえられて更に行く手を阻まれた。
「ほらもう諦めろよ」
「お前らこそ諦めろって……」
どうしたもんかなぁ。なんて思っていると見覚えのある横顔が路地の先を通り過ぎてったから思わず名前を呼ぶ。
「おいリドル!」
「てめぇこら、人呼んでんなよ」
グイッと肩を引かれて壁に押し付けられたけど、もう頭の中は「ラッキー」しかなかった。ちゃんと聞こえてたみたいで、リドルはひょっこりと角から顔を覗き込ませた。ありがてぇ、今だけはアイツが天の使いにさえ見える。今だけはな。
「よお」
「あれ、なんだ茶太郎?」
「ちょっと困ってんだよ」
ガキどもは体格の良いリドルが現れて少し迷っているようだったが、威勢良く俺にナイフを突きつけてきた。
「お前ら二人とも動くな!」
「なに、カツアゲされてんの茶太郎? ラッキー」
するとガタイの良い一人がリドルの言葉に反応して喧嘩腰で近寄って行く。
「なにがラッキーだこら、おい?」
まじで刺すぞ!ともう一人が叫ぶのと同時に俺は目の前にあるナイフを握る手にしがみついた。
「っあ、てめ……」
「ラッキーだろ、こんな所でっ……!」
俺がナイフ野郎と取っ組み合っている間にリドルは素早く他の二人をノックダウンして加勢しにきてくれた。
「イイところ見せられるなんて、なぁ?」
「はいはい」
デレデレしているリドルの下でまだ10代くらいに見えるガキは威勢よく騒いでいる。
「く……っ、離せ!」
「ほら、早くごめんなさいしろよ」
「わかったから離せって!」
リドルが離してやると、敵わない事がわかったからか暴れることもなく大人しく仲間二人を抱き起こして肩を貸してやる様子に俺はちょっと感心した。
「仲間を放って逃げないんだな」
「……別にあんたら、俺を捕まえてどうにかするつもりじゃないみたいだし」
「捕まえてどうするってんだよ、警察もいないこんな街で」
「……報復、とか……」
「ははは」
なぁ?と振り返るとリドルがギョッと驚いたような顔をして俺の腕に触れてきた。その手には血が。取っ組み合ってた時に切られてたらしい。必死で気付かなかったし、別に今もそんなに痛くない。
「こいつら、半殺しにするか……殺すか、しかないな」
「おい」
リドルはにこやかにガキの胸ぐらを掴む。ちょっとビビった顔をして、それでも観念して黙っているガキの様子に可哀想になってその手を止めた。
「おいやめろリドル。 それでもお巡りさんかお前は」
「元だけどな」
「ほら、もう行け。 散れクソガキ共」
早く行けと手で追い払うジェスチャーをすると仲間に手を貸して少し歩き始めてから、そいつは何か言いたげに振り返った。
「……悪かったよ。 あー、その、あんた……」
俺が何か返事をするより先にリドルがその背中を蹴り飛ばす。
「さっさと消えろ、クソガキ! 茶太郎が優しいのは誰にでもなんだからな!」
「キモい勘違いすんな。 謝ろうと思っただけだし、てめぇと話してねぇよクソ野郎」
「俺は別に優しかねえよ」
***
その後はゲートの横にある小さい警察の監視塔で簡単に止血をしてもらった。買い物行くと言えばリドルは「心配だから」とついてきて、なんだかんだと一緒に街まで行って、あれこれ見て、普通に友人と遊ぶみたいに楽しんだ。
「ありがとな、リドル。 なんか久しぶりに誰かとこうやって遊んだ気がする」
「こちらこそ楽しかったし」
帰りの電車でシドニーに買った靴を見返してみる。大したブランドじゃないけど、似合いそうなのを選んだつもりだ。
「気にいってくれると良いな」
「気にいるさ」
駅から出て歓楽街に近付くにつれすれ違う人間の様相が夜の香りを帯びていく。俺たちはその横にあるボロボロのコンクリートと鉄柵で出来てる"ゲート"を越えて、いつもの吹き溜まりに帰ってきた。
「住めば都とか言うけどさ、ほんと、こんな場所でも帰ってきたとか思っちまうもんだな」
「住めば都ってそういう意味の言葉だったか……?」
「そんな感じだろ」
「あー!」
ぶつくさ喋っていると、どこからともなく女が降ってきて少し驚いたけど、案の定リディアだった。
「ちゃたろーだよ兄さん!こんにちは!」
「おーこんにちは」
「ああ、馬鹿犬と一緒にいたとはな」
リディアに肩車されながら相変わらず偉そうな態度のオーサーに見下される。
「……な、なんだよ」
「|あいつ《シュート》がお前を探してたぞ」
そう言いながらオーサーは左目を指さした。
「は、ショットが? なんで?」
出かけるとは言わずに出てきたけど……別にいつも「今日はどこで何する」だの報告しあってるわけじゃねえし。ただ今日は絡まれた上にリドルとあれこれ見て回ったから、いつも洗濯や買い物で留守にしてる時間よりは遅くなったかな。
「そこまでは俺の知った事じゃない。 が、機嫌の悪い奴に出歩かれると、こっちとしてはただただ迷惑なんだ。 面倒な事になる前に早く顔を見せておけ」
「じゃあね!」
ひょいひょいとリディアはオーサーを肩車したまま建物の壁を登って消えて行った。わざわざ屋根の上ばっか歩くのはなんでなんだろうな。バカと煙は高い所が好きだからかな。
もしショットの機嫌が悪かったら面倒なことになるって言ってんのに、また「心配だから」とか言ってリドルはアパートまでついてきた。
「まじで知らねえぞ」
「シドニーの顔もたまには見たいしさ」
まあ助けられたのは事実だし、靴も一緒に選んでもらったから……くらいの軽い気持ちで一緒にアパートの崩れそうな外階段を上ってるとショットが出てきた。部屋の中から足音が聞こえたんだろうか。
「どうした?ただいま」
「ちゃた」
「おう……って、うわ!」
首にショットの腕が巻き付いてきて、引き寄せられたかと思うと口に噛み付かれた。つまりキスだ。
「かえれ」
「んなっ……」
俺から離れるなりリドルにそう言い放って、またキスしようとしてくるから流石に止める。一緒に出てきて何か言おうとしてたシドニーは「ひゃー」と言って手で両目を塞いだ。
「おい、こら、ショット……あれ?」
ふと見ると前に無くした義眼とよく似た色のがハマってる事に気付いた。なんだ新しくしたのか。
「なぁこれ」
「はやくかえれ」
よく見たくて頰に触れてみたけど、リドルが居ることがよっぽど嫌なみたいでゴキゲン斜めだ。
「俺は茶太郎と遊んでたんだし、テメーじゃなくてシドニーと喋りに来たんだよ」
「うるさいかえれ」
「ショット、ガキみてぇな事ばっか言ってんなよ。 リドルはさっき俺を助けてくれたんだ」
一旦体を離して駄々を捏ねてるショットを少し落ち着かせようとしてみたけど完全に逆効果だった。
「こいつ、ちゃたひどいことした!」
「それに関しては無防備に飛び込んだ俺も悪かったし、骨折ったお前が言うな!」
ショットは"あれ"がどういう事だったのかを理解してしまってから、一層リドルが嫌いになったらしい。
「ちゃたさわるのおれだけ」
珍しくあからさまに怒ったような顔をして、普段より一層低い声でそう言いながら抱きついてくる。
「そ……っ! そりゃ……」
俺だってそのつもりだけど。普通の大人はそんな恥ずかしい事を公然と口にしないんだよ。リドルも流石に困ったように押し黙っている。
「……ほら、威嚇すんのはやめろ。 あの時のコトはまあ……とにかく、リドルはそんなに悪いやつじゃねえから」
それに「茶太郎に酷いことをした」と、そうリドルがショットに説明したンなら、それは奴の自戒の念の現れだろう。
「いや、まあ……俺もあの時はちょっと変だった。 それは悪かった」
まあ男なら、ワンチャン有りな相手が突然家に来て自分のベッドに寝転がって、欲求不満だなんて騒がれたら据え膳かと思ったって仕方がないと思うし。俺のこと有りだと思ってるのは普通に頭おかしいと思うけど。
「なんで、ちゃた……ちゃた、おれきらい?」
予想外の言葉に思わず笑いそうになったが、遅れてイラッときて頭をポカリと叩いた。
「お前なぁ……これは誰が好きとか嫌いの問題じゃねぇだろが! 俺がお前を特別に思ってるとしても、だからって問答無用でどんな時でも味方につくとは思うなよ」
間違ってることは間違ってるって言うさ。俺はいつでもコイツを甘やかしてばっかだけど、学ぶべき事は学んでほしい。
「なあ。 わかるか?」
「むずかしい」
「難しくない!」
「ちゃた、おれ……きらいになった」
なんでそうなるんだ。さすがに聞き流せなくて「嫌いにはなってない!」ってすぐ言い返したけど、ぺしょぺしょになって落ち込みやがる。無表情なんだけど、なんていうか、目が。
「おれ……」
「あーもーガキか、このバカ!」
「ちゃたがばか!」
「……頭冷やしとけ。 俺も冷やす。 行くぞリドル」
シドニーもいるし、大丈夫だろ。このままじゃ話し合うこともできねえ。まだぎゃーぎゃー喚いてるバカを放って廊下の扉を乱暴に閉めて階段を降りた。
「茶太郎、いいのか?」
「いい。 少しは大人になってもらわなきゃ困る」
今後、俺が誰かの味方をする度に拗ねられたらたまったもんじゃない。こんな街だとはいえ、ショットに孤立してほしいワケでもない。普通の人間関係が築けるくらいには、精神的に成長してほしい。
「あー、あれも愛情表現なんだとは思うけど」
「お前はどっちの味方なんだよ」
しきりにショットを気にかけるリドルに思わずツッコむと苦笑で返される。
「いや、あいつ本当に野生的で本能的だからさ……」
それはそうだ。だから裏も表もないし。
「頭悪い分、やっぱそれだけ純粋なんだってのは分かる……。 だから、うーん……俺はもちろんアイツなんか大嫌いだけど……調子狂うな」
俺はショットの事をバカなガキだと思ってたけど、リドルの言葉で少しだけ思い直した。
「純粋……ねぇ……そうだな……」
「むしろ茶太郎、あんなに素直に真正面から好きだって全身で伝えられて、よくケロッとしてるな」
ショットの言動をそんな風に捉えていなかった俺は衝撃で気が遠くなった。
「は……、あ!?」
「いやだってそうじゃん」
「そっ!! そう……なの、か……!?」
いや、わかってたつもりだったけど……なんていうか……。ジワジワと体が熱くなって、恥ずかしさで爆発するかと思った。
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