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第30話 こいつはただの野生動物じゃない
【こいつはただの野生動物じゃない】
シドニーの宿題を見てやってると帰ってきたショットが珍しく興味ありげに覗き込んできた。
「お前も勉強するか?」
「むずかしい」
これが"シドニー"と名前を指さすと「ちゃたは?」と聞かれたのでカンジで"茶太郎"と書いて教えてやったら紙とペンを持って隣に座ると一生懸命に書き始める。
「ちゃ、た、ろ」
「か……可愛いやつ……」
「イチャイチャするなら他の部屋に行ってね」
宿題を見るのも忘れてそんなショットの様子をじっと眺めてると横から鋭くツッコまれて恥ずかしくなった。
「おーい茶太郎」
不意にどこからか呼ばれた気がして顔を上げると、窓の下から声が聞こえたようだった。
「なんだ珍しいな」
見下ろすとリドルがこっちを見上げてた。
「今晩、俺が住んでるトコの1階のバーがイベントやるんだってよ、一緒に行かね?」
「へぇー……」
最近外で飲んだりしてないな……と少し考える。
「行かない」
するとショットが俺の横に並んで窓の下を覗き込むと勝手にそう答えた。
「テメーを誘ってんじゃねぇ!」
「ちゃた行かない」
それだけ言って俺を室内に引っ張り込むと窓をピシャリと閉めるから、つい笑ってしまう。窓越しにギャーギャー騒ぐ声が聞こえてきたけど、無視しておいた。
「なんだよ、妬くなよ」
「あいつはダメ」
「あいつとじゃなきゃいいのか?」
「?」
そういえば、こいつが飲んでるところ見た事ねぇな。酔うのかな、なんて好奇心が湧いてきた。
「一緒に行かね?バー」
「……うん」
そうと決まれば話は早い。シドニーに「宿題が終わったら今日は夜更かしだぞ!」と伝えたら大喜びではしゃいでいた。
***
いったい何のイベントなのか不明だがバーは割と賑わっていた。ショットが来た瞬間に少しだけ緊張が走ったが、俺とシドニーが一緒にいるのを見て「まあいいか」という雰囲気になってホッとする。
「茶太郎、久しぶりだな」
「シュートも一緒なのは初めてか?」
「ああ、こいつって飲むの?」
「いやオレは見た事ねぇな」
何人かに話しかけられつつ、カウンターにショット、シドニー、俺の順で三人並んで座るとシドニーが元気に「俺コーラ!」と叫んだ。
「俺はジンにしようかな、ショットは?」
「ちゃたの一緒の」
口に入るモンの味にこだわり無さそうだもんな、血とか……と思った直後に下品な思考に飲まれそうだったので慌てて注文した。
それからショットは大人しくチビチビ飲んでて、俺とシドニーはなんでもない事を話して楽しく過ごしてた。
「もう無くなるな、次頼むか?」
グラスが空になってるのに気がついてそう尋ねるとコクリと頷くので、酔ってんのかまともなのか分かんねーなと思いつつ、暴れそうな空気はないので新しい酒を注文してやった。
「それでさ、隣のクラスのやつが……」
どれくらい喋ってたのか、俺は3杯くらい飲んで気分も良くなってきて、ショットはボケーッとしながらもう5杯くらい飲んでる気がした。興味あるのかないのか、前を見つめて無表情のまま頬杖をついて……楽しそうに喋るシドニーの声を聞いてんのかな。
なんて思ってたその時、ショットが不意に何かを呟いた気がした。
「ん、何か言ったか?」
俺の言葉にシドニーも振り返る。そしてショットがもう一度口を開いて発したのはどうも別の国の言葉のようだった。
「……え、今なんて言ったんだ?」
「とと?」
俺たちの声なんか聞こえてないみたいに表情を変えないまま、ショットは更に何事か話し続けている。
「ショット?おい……どうした」
「なんだ何言ってんだ」
「俺わかんねぇ、もっと西の国の言葉だな」
「誰かわかるか?」
その様子に興味を持った数名が取り囲んできて言葉を聞き取ろうとしていると、一人が「あ、俺の母国語だ」とショットの隣に座った。
そして続く独り言に何事か返すが、しばらくして「ダメだこりゃ」と立ち上がる。
「会話が成り立たない。こいつ多分、意味わかって言ってねぇよ、まるで壊れたテープレコーダーみたいだ」
「どんな事を言ってんだ?」
「……ニンナナンナの歌詞と、お前だけでも逃げろ、ありがとう、親父に会わせてやる、そんな事をぐちゃぐちゃに呟いてる」
「ニンナナンナ?」
「俺の国の子守唄だ。コイツにしてはイヤに言葉が流暢で気味が悪いぜ」
まだブツブツ言ってるショットが心配になって肩に触れようとしたら周りに止められた。
「待て!トリップしてるこいつを無闇に刺激するな」
「ああ……」
確かに、正気じゃないショットが何をやらかしても不思議じゃない。俺は念の為にシドニーと席を交換した。
"お前だけでも逃げろ"そして"親父に会わせてやる"……もしかして、これらはマウロアの言った内容なんじゃないか?マフィアといえば西の国が発祥だとも聞くし、そっちの言葉を話していたとしても納得がいく。
「ショット……」
それにしても、いったいどうしたんだ。
「こいつがそうか」
「え?」
急に言葉が変わった。今度は俺にも分かる言語だ。
その目はぼんやり遠くを見たまま、意識がハッキリして無いように見える。もしかして……酔ってアタマが寝てるような状態になって、座ったまま夢を見てんのか?こいつ夢遊病っぽい時あるしな……。
「そう、これがテッド、放っといていいよ」
続いた言葉に俺はサッと酔いの醒める気持ちがした。これは会話の再現だ。おそらくショットの母親と継父の。
「腹立つんだよ。物覚え悪いし、あんま喋んないし」
「……ショット」
本当にテープレコーダーみたいだ。普段のショットとは全く違う、流暢で粗雑な話し口調。理解して話しているというより、耳から聞こえた通りにただ真似しているだけという感じだ。
「気持ち悪い、可愛くないガキ産んじゃったな」
「おい、ショット!」
胸がズキッと痛むような感覚がして、思わずショットの手を掴んで名前を叫んでた。またパニックになって撃たれるかも。でも怪我なんて慣れてる。もうそれでもいい、一刻も早くこの夢からこいつを醒めさせたかった。
「ちゃた?」
すると慌てて距離を取って身を守ろうとした周囲の奴らの温度感とは正反対にキョトンとした顔でショットは俺を見つめる。
「大丈夫か、ショット……お前、今、何か夢を見てた?」
「ん……おぼえてない、夢みてたかも」
「覚えてないならいいんだ」
俺はもう酒を飲む気分なんかじゃすっかり無くなっちまって、さっさと支払いを済ませると二人の手を握って店を後にした。こいつには二度と酒なんか飲ませない。歩きながら俺は何故か勝手に涙が出てきて、悪態を吐きながら帰った。
「ちゃた、おこってる?」
「怒ってない」
「でも泣いてる」
悪いけど一人で支度して眠れるかとシドニーを部屋に帰らせてから、俺はどこかの部屋に入るのも|煩《わずら》わしくてアパートの廊下でショットに抱きついた。
「お前が泣かないから」
「おれ悲しくないよ」
泣いてると涙を舐められて、そのままキスされる。
「ふ、う……」
「ちゃた、泣いたらいやだ」
気持ちが落ち着かない。ショットの首に顔を埋めて泣いてると抱き上げられて、奥の部屋に連れて来られた。
「ちゃた」
「……もしかしてお前って今までに聞いた"音"全部覚えてんの?」
「?」
この予想は合ってる気がする。本人でさえ無自覚だし、記憶してる音……言葉の意味は理解できてないけど、きっと全部が鮮明に記憶されてるんだ。無意識の時にそれが勝手に口から再生されるくらい。
こういうのって、もしかしてサヴァン症候群……いや、|超記憶力《ハイパーサイメシア》ってやつか?こいつは目に見えたものを覚えるのが極端に苦手な代わりに、耳に入った音を全て記憶してしまうんだろう。
そうだとしたら、忘れてしまえばいいようなクソッタレな過去も、こいつの脳には鮮明に記憶されちまって一生消せないって事だ。名前を呼ばれると不機嫌になるのは、予想通りやっぱ嫌な思い出と直結してたからか。
母親と継父にどんな風に扱われて、どんな言葉を浴びせかけられていたのかなんて、簡単に想像がつく。いや、俺ができる程度の想像なんかより酷い内容かも。名前を呼ばれる事がトリガーになって、そういう"嫌な音"がフラッシュバックするのかもしれないな。
***
「よーぉ茶太郎!」
クレイグと廃材漁りをしに行くと、同じく工具でも探しに来たのかリドルがいた。
「あの日、結局バーに来てたんだって?しかもブラッドレイも一緒に!」
「あー、ちょっと来い」
俺はリドルの腕を掴んで、クレイグから会話が聞こえないように小声で話す。
「あいつの事、本名で呼ぶのはやめてくれ、頼む」
「な、なんでだよ」
いつもなら「嫌だね!」と速攻で断られそうなモンだが、俺が真剣に伝えたから一応理由を聞いてくれた。
「本人のいねぇトコで勝手に話すのは気が引けるが……」
「漏らしたりしねえよ」
「あいつ、今までに言われた言葉とかすげー覚えてるみたいでさ」
「ああ……残念ながら理解はしてなさそうだけど、言葉自体はやたら覚えてるよな」
こいつにも覚えがあるらしい。そういえば前に色々聞いたとか言ってたな、例の子作りの件で……。
「そう、それ。まじで尋常じゃないレベルの話みたいなんだ」
「……それで?あいつは名前と過去の記憶が直結するから、口にすんなって事か?」
「理解が早ぇじゃねえか」
だからって、目の敵にしている奴を通称で呼ぶのはポリシーに反するのか渋る。
「なあ、別にシュートって呼ぶ必要はねぇよ。オーサーだってあいつの事は"クズ"呼ばわりだしな」
「まあ……」
「頼むよ、お前にとっては憎い相手かもしんねーけどさ、俺にとっては大事な奴なんだ。わかるだろ?辛い思いをさせたくない」
小っ恥ずかしいこと言ってんなと思ったけど、ちゃんと伝えるべきだと思ったから言い切った。
「……あーもう、わかったよ!」
うんざりしながらも了承してくれたリドルに礼を言って、その後は三人で仲良くゴミ山を歩き回って宝探しに勤しむのであった。
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