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第33話 そしてあなたは眠りにつく

【そしてあなたは眠りにつく 1/3】  ――リンチに合うのも慣れたもんだ。  切れた口の中に滲み出た血と混じった唾液を床に吐き捨てる。 「チッ……」  自由時間に労働をして小銭を稼ぐのもジムで汗を流すのも図書室で本を読むのも、俺にとっては自由じゃない。どこへ行っても文句をつけられて殴られて追い出されるからだ。  看守どもはニヤニヤ笑ってそれを見てるだけ。ああいいさ、誰かに助けてもらおうだなんて思ってない。そう、親父にだって。 「新入りだ、喧嘩するなよ」  せっかく独房で、自分の牢屋だけは安息の地だったってのに。ウンザリしながら顔だけ扉に向けて驚いた。 「……まだガキじゃねーか」 「これでも16だ」  まじか?|13,14歳《ティーンになりたて》くらいにしか見えねえ。栄養が足りて無いのかヒョロヒョロの手足に着けられた手錠が痛々しい。 「おいたすんなよ、殺されるぜ」 「……」  確かにガリガリの体に伸びっぱなしのブロンドはパッと見で女に見えなくもない。だが俺はそういう"弱いモンいじめ"が大っ嫌いなんだ。鬱陶しい看守の背中を睨みつけた。 「はぁ……よろしくな。俺はマウロア」  そいつは聞いてんのか聞いてないのか、無反応だった。 「おい聞こえてんのか?」  すると「?」と言わんばかりに首を傾げて、髪の間から青い瞳が覗く。俺はそのあまりの綺麗さに思わずビクッとしてしまった。それはただの青じゃなくて、緑色にも見えた。  あんまり綺麗なその瞳が痩せた顔にギョロギョロくっついてるから、ちょっと不気味だと思ったけど態度には出さないように努めたつもりだ。 「……な……名前、なんていうんだよ」  それでも何も答えない。もしかして口が利けねぇのか?と思ったが、ゆっくりはっきりもう一度言ってみる事にした。 「俺はマウロア。あなたの《《お名前はなんて言いますか》》?」  これじゃバカにしてるみたいだなと思ったけど、キョトンとして気にして無さそうだから別にいいか。音に反応するって事は耳は聞こえてるみたいだ。言葉がわからないのか? 「あー……お前のこと、皆はなんて呼ぶ?」 「カディレ」  俺の質問が分かったというよりは、何を聞きたがってるのかを察したような感じだった。 「|カディレ《死体・ごみ》?」  多分本名じゃない。というか、そんなワケがあってたまるか。こいつにその意味は分かってないんだろう。 「……わかった。俺はお前をシュートって呼ぶ。"カディレ"から派生して生まれた言葉のうちの一つだ。でもこっちの方がずっとカッコいい意味なんだぜ」 「……」  ゴミや死体呼ばわりなんかより、何倍も良い。そんな事を話してるとちょうどベルが鳴って夕飯の時間になったので新入りに説明してやる事にした。  食堂に行くと点呼を取られて、トレーを受け取って配膳口へ向かう。時間通りに食堂に来なかったらとっ捕まえられて懲罰房行きだ。 「メシの後はシャワーな。それが済んだらさっさと自分の牢屋に戻ってさっさと寝る」 「……」  クソ不味い飯を受け取って二つ並びに空いてる席を探したがどこもまばらだ。なんか不器用そうな奴だけど、流石に一人で大人しくメシを食うくらい出来るか。 「おいロア、近くに来んじゃねえよ」  難癖をつけられるのもいつもの事。無視して空いてる席に座るとガタッと音を立ててそいつは俺の胸ぐらを掴んできた。 「くせぇんだよ、田舎モン」 「騒ぎを起こすと懲罰房行きだぜ」  看守がこっちを睨みつけている。こいつもいちいち突っかかってきて、大した暇人だな……なんて思ってたらガシャッと大きな音がして周囲の視線がそっちに動いた。 「おい!スープが掛かっただろ!」 「?」  どうやらシュートがトレーを乱暴に置いたせいでスープが飛び散ったらしい。 「なんだコイツ、新入りか?クソガキ!」 「待て待て!手が滑ったのか?シュート、ほら謝っとけ」  俺は殴られ慣れてるけど……なんて思った瞬間、ゾッと背筋が冷えた。シュートの瞳がまるで肉食獣のように見えたからだ。 「待……」 「テメーの同室か?マウロア!良い度胸してんな……新入りを使っていつもの仕返しか?」  だが奴らの怒りは運良く俺に向かったから、とりあえずその場は俺が殴られるのに少し耐えるだけですぐ全員懲罰房行きになって済んだ。  ***  懲罰房で一人鞭打たれた背中の痛みを感じながらさっきのシュートの瞳を思い出す。ああいう目をしてる奴らを知っている。何の感情も無く人を殺せる目だ。 「……」  それに、俺はあの瞬間、もっと本能的にただ恐怖を感じていた。殺される……そう思いさえした。あんなヒョロヒョロで弱そうな奴相手に。  牢屋に戻るとシュートは床に座って寝てた。 「おい、こっち使っていいぞ」  そう言って二段ベッドの上を指差す。ペラペラのマットにギシギシうるさい骨組みの最悪なベッドだが、それでも床に座って寝るよりずっとマシだろう。 「?」 「ここで寝ろ」  もう一度説明しても全然ダメだ。俺はちょっと笑っちまって、じゃあ下がいいか?と聞いてみた。 「ねる」  そう言って床に座ったままシュートがまた顔を伏せるから、俺は慌ててその腕を掴んでここ!ベッドで寝ろ!と言い聞かせた。隣の牢屋からうるせぇと怒鳴られたが気にしない。 「分かるか?お前はここで寝ていいんだ」  横にならせて毛布をかけてやるとしっかり目を開けたままだったから、そっと手で閉じさせる。 「目は閉じとけ。ほら、そしたらいつの間にか眠れるだろ?」  翌朝、様子が気になって早く目が覚めた俺はベッドの上で膝を立てて座った状態で眠るシュートを見て、こいつは寝転がって眠った事が無いのかもしれないと思った。 「シュート、これはお前のベッドだ。こうやって寝転がって寝ていいんだ」 「これはおまえのベッド」 「違う、お前ってのはシュートの事。これはシュートのベッド」  とにかく栄養を摂らなきゃなんも頭に入らねえな。お前は脳みそをもっと育てた方が良さそうだから、とにかくなんでも食え。と言って俺は朝食のベルが鳴るのと同時に食堂へシュートを引っ張っていった。

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