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第42話 俺は死んだ人間なんだよ

【俺は死んだ人間なんだよ】 「じゃあおやすみ、シドニー」 「おやすみとーちゃん」  そろそろシドニーが中学生になる。成長は喜ばしい事だ。しかし俺は頭を悩ませていた。  シドニーはスラム生まれ、法外地区育ち。このまま突き進めばストリートキッズまっしぐらなのでは……と。 「……」  それは避けたい。大事な息子に平和な人生を歩んでほしいと思うのは親として当然のことだろう。でも同時に大事なパートナーはこの街でしか生きていけないってのがこの問題の難しいところだ。  リビングに戻って、ペンを握りしめて"茶太郎"の練習をしているショットに話しかけた。 「……なあ、ショット」 「んー」 「もうすぐシドが|中学1年《Grade6》になるだろ」 「んー」 「で、14になったら高校生だ。3年なんかきっとあっという間だぞ、まじで」 「んー」 「中学はいいよ、でも高校は良いトコに行かせたいんだよな……」 「んー」  手元を覗き込んで間違ってる部分を赤ペンで修正してやりながら話しかけ続ける。話しかけてるというより、相槌を打ってくれるインコに独り言を聞かせてるような気持ちだ。 「その時は寮にでも入らせてさ……ほら、|ゲートの外《こんなとこ》にずっと居させられねぇだろ」 「んー」 「でもさ、保護者として俺たちは不適すぎんだよ」 「んー」  なにしろ、俺は戸籍上は死んだ事になってる人間だ。今更生きてましたなんて出て行く気も無い。この街で暮らしてくにあたっては、戸籍なんか無い方が気が楽な気さえしてくる。  それに、俺の母親は俺の死に掛けられた巨額の保険金を受け取っちまってんだよ。  *** 「|カディレ《死体》と戸籍上の死人に育てられてるだなんて、シドニーはゾンビの子だな」  シドニーを送って行きながらそんな事を言って|揶揄《からか》うとイジワルな顔で見つめ返された。 「ゾンビっぽさならとーちゃんこそ。たまに顔も体も青あざだらけでさ!」 「ははは……」  ごもっとも。  アパートに戻ると床が下手な"茶太郎"でいっぱいになってた。 「上達しねえなぁ、ペンの持ち方から直すか」 「ちゃた手ださないで!」 「イヤイヤ期かよ」  いくつか良い感じの出来栄えの"茶太郎"だけ残して残りはゴミ箱に捨てる。もう少し紙を節約して使うように教えねえとな。 「一生懸命なのは可愛いけどさ、そろそろ縄張りのパトロールに行かなくていいのか?ボスネコちゃん」 「うるさいちゃたあっちいって」 「反抗期かよ」 「保護者……住所も含めて俺の母親に頼むか……」 「?」  戸籍は多分、蒸発した母親のとこにあんだろうから、シドニー自身の身分証明はなんとかなるはずだ。  それも、高校進学の話が始まるまでにはちゃんとクリアにしとかねーとな。 「それか……いや、うーん……リドルに頼むか」 「なんでアイツ」  なんの話かあんま分かってないだろうけど、リドルって名前には鋭く反応する。 「ねぇとは思うけどさぁ、ここに暮らしててまともな戸籍持ってる奴なんて」 「ダメ」 「分かってるよ……」  何にせよ、俺たち家族の問題にリドルを関わらせたくないらしい。そりゃその通りなんだけどな。  ***  そんな、まだ考えも纏ってない段階で「高校生になったら寮に入らないか?」と本人にポロッと漏らしたのがマズかった。 「なんで?」 「なんでって……ここにいるより良いだろ、色々と」 「とーちゃんは俺に出て行ってほしいの?」 「違う!そういう話をしてんじゃ……」 「俺がいなかったら、ととと二人きりで楽しいもんね!」 「違うって!!」  シドニーが修学旅行から帰ってきた日、ショットと二人きりで過ごせる時間に夢中になって迎えに行くのを忘れて、危険な目に遭わせてしまった事……激しく自己嫌悪したけど、紛れもない事実だ。  あんな事があってまだ日も浅いのに、いきなり家から出て行く提案から切り出した俺の考えが浅かった。いつも聡明で聞き分けの良いシドニーが、まだ11歳なんだって事を俺はつい忘れてしまう。 「高校なんか行かない、ずっとここで生きていくから!」 「それは絶対にダメだ!!」  落ち着いて話すべきなのに、気持ちが焦ってまた頭ごなしに否定してしまった。寝室に篭ってしまったシドニーに扉越しに「気持ちが落ち着いたら改めてちゃんと話そう」と声をかけたが返事は無かった。  *** 「そろそろ中学だろ、あの子供は」 「はあ」  ちょうどそんな事があった2日後、突然|首領《ドン》に呼び出されて俺とショットはまた仰々しい部屋の応接用ソファに腰掛けていた。 「とりあえずこれは入学祝いだ」 「……」 「遠慮すんな。新しい靴でも買ってやれ」  シュートの|子供《ガキ》なら俺の孫みたいなモンだ、と笑う首領にどこまで本気なんだか……と思いつつも金は受け取る。確かに、新しいカバンを買ってやりたいと思ってたし、他にも教科書の購入なんかで金が|入用《いりよう》だった。 「先の進学については何か考えてんのか?」 「あー……」  適当に誤魔化せばいいのに、まさに今一番の悩みの種を突かれて思わず言葉に詰まってしまう。 「必要なモンがあったら言え。綺麗な戸籍も用意してやるぞ」 「いえ、結構です……」  用意できる"綺麗な戸籍"ってなんだよ。絶対にシドニーをマフィアと関わらせてたまるか。  マウロアに挨拶してから帰るというショットと別れて先に帰ると、部屋の中が妙に静かで嫌な予感がした。 「……シド?」  ***  朝からととととーちゃんをスーツの人が迎えに来てアパートにひとりになったから、俺は"家出"を決行する事にした。  いつか捨てられるなら、その前に出て行ってやる。もう捨てられる側なんてこりごりなんだ。 「オーサー!」 「なんだ、よくここが分かったな」  大声で呼ぶと廃ビルの屋上から顔を出したのは前に俺を助けてくれたオーサー。オーサーは俺より2歳年上で、窓枠や|雨樋《あまどい》を使いながら降りて来て、俺を背中に捕まらせて屋上まで連れ上がってくれたお姉ちゃんはリディアって名前らしい。  ふたりは大体どこかの屋上にいるってとーちゃんに聞いてたから、声をかけて探し回った。 「頑張って探したよ」 「無闇に騒ぐとまた危ない目に遭うぞ」  リディア姉ちゃんが連れ上がってくれた屋上から法外地区を見下ろすと、今にも崩れそうな家って呼べるのかも分からないボロの小屋が、幼い子の下手な積み木遊びみたいに積み重ねられてるのがよくわかる。  とーちゃんはこのぐちゃぐちゃな景色を「バラック群ってやつだ」って説明してくれた。こんなになってて、もし火事にでもなったらどうするんだろう? 「シド?」 「……っいいんだ、俺の事なんか誰も心配しないよ」 「茶太郎と何かあったか」  聞いてほしい……ってあからさまに態度に出しちゃったな。でもオーサーは優しくて、ただただ聞き手に回ってくれる。 「うん……高校生になったら、ここから出て寮に入れって」 「お前はそれが嫌なのか?」 「ウチから出ていけって言われたみたいに聞こえちゃってさ……」 「そんなつもりじゃないのは分かってると言いたげだな」  図星すぎて素直に認めるしかない。 「……うん、分かってるよ」  そう、分かってる。とーちゃんが俺の将来の事とかを考えて言ってくれてる事も。でも本当に何が正解かなんて、その時が来てみないとわからないじゃないか。  俺はととととーちゃんと離れて暮らす事を今は考えたくない。出て行く事なんて、考えるだけでも辛い。 「そもそも、学校ってそんな行かなきゃいけない?オーサーは学校行ってないけどすっごく賢いし、ちゃんと生活もできてるじゃん」  オーサーはなんでこんなに色んなこと知ってるんだろう?どこかで勉強してるのかな? 「学校は行っとけよ。行かせてくれる親がいるなら」  思ったより"一般的"な意見が返ってきてガッカリしかけたけど、「|こいつ《リディア》みたいになるぞ」と付け加えられて俺は思わず少しだけ笑った。 「|あの怖い人《シュート》よりはお勉強できるもん」 「……ととを悪く言わないでよ」  家出してきたつもりだけど、やっぱりととを悪く言われるのは嫌だと思う。  それから俺は二人といろんな事を話した。 「買い物?」 「ああ、少しデカい買い物をしたんだ」 「デカいって……家とか?」 「まあそれに近いな」  俺と2つしか違わないのに、家が買えるってどういうことなんだろう?オーサーは普段どこで何をしてるのかな?話せば話すほど謎は深まるばっかりだった。 「備えあれば憂いなしってやつだ」 「?」 「兄さんの言ってることはいつもよく分かんない!」  リディア姉ちゃんと話すとちょっとだけホッとする。 「二人は日給でその日暮らしだってとーちゃんが言ってたけど」 「それも間違いじゃない。日々の生活費だけはコイツに自分で考えさせて自力で稼がせてるんだ」 「しゃかいべんきょーさせられてるの!」  つまり、日々の生活費以外のお金はしっかりあるって事に聞こえる。やっぱり話すほど謎が深まっちゃった。 「ほら、夜になると危険だからそろそろ帰れ」

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