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第47話 ずっと水の中にいるみたいだ

【ずっと水の中にいるみたいだ】  あれから1週間が経っても、ショットは心を閉ざしたままだった。俺は一瞬でもこいつを一人にさせたくなくて、リディアにシドニーの送り迎えを頼む事にした。もちろんちゃんと給料を払って、仕事としてだ。  リディアは当然シドニーを背負った状態でも凄い速さで走るし、無駄に屋根に飛び上がったりというサービス(?)もしてくれて、そんなアクロバティックな登校はとても楽しいらしく、「いっつも楽しいよ!」と明るいシドニーの様子に安心する。 「ごめんな、せっかく中学に入ったばっかなのに……俺はショットに付きっきりになっちまって」 「いいよ、俺もとと心配だもん。とーちゃん一緒にいてあげてね」 「ああ、ありがとな」 「じゃあいってきまーす!」 「いってらっしゃい」  ショットは食いモンを手に持たせたら食べるし手を引けば歩いて移動もさせられるから本格的な介護や育児よりはずっと楽だけど、相変わらず焦点の合わない目でぼんやりしてて、当人の意識はここにないみたいだった。  もしもずっと夢を見ているような状態なんだとしたら、せめて苦しまない夢であって欲しいと願う。 「さて……昼寝でもするか」  心の傷を回復させるには睡眠が一番だと思っている俺はこの1週間ずっと時間の許す限りショットとベッドに横になって、髪や背を撫でてやりながらたくさん声をかけるようにしていた。 「シュート、もう誰もお前を傷つけない。もう大丈夫だからな」  そうしてると、ぼんやりした瞳でじっと見つめられる。でもやっぱり視線は交わらない感じで、俺の事が見えてるのかどうかすら怪しい。  色んな事を話しかけてる俺に対して力の抜けたあどけない表情でゆっくり瞬きだけを返すショットはいつも以上に赤ん坊みたいだ。 「寒くないか?なあ、いったいどんな夢を見てるんだ?」  毛布を被せてやりながらそう言って笑いかけると、ほんの少しだけショットの表情も綻んだように見えた。  ***  まるで水の中にいるみたいだ、とシュートは感じていた。景色はぼんやり歪んでいて、音も分厚い水の壁を通したみたいにくぐもって聞こえにくい。  この感覚を知っている。今までも、心が限界を迎えるたびにこうして外の世界と自らを隔離することで自分を守ってきた。  今どうしてこんな所にいるんだったか、何も思い出せない。ただ、誰かが優しく頭を撫でて、手を引いてくれている事だけが薄らと分かる。  何か思い出さなければならない事がある気もするが、このままこの水の中にいたら、悲しいことも辛いことも起こらない気がした。  ただマウロアのことを考えていた。いつでも当たり前に隣にいてくれたハズなのに、どうしてここにはロアがいないんだろう?と不思議だった。  でも考え続けるのは疲れるので、またすぐに思考はぼんやりと濁っていった。 「ちょっとズレろ」  そんな声がして、隣に誰かが座った。 「あれ、ロア?」 「なんだよ変な顔して」  シュートは何故か物凄く久しぶりにマウロアの顔を見たような気がして、まじまじと見つめてしまう。 「ロアがいる」 「そりゃいるよ。いっつも。お前の隣にいるよ」 「ロア小さくなった」 「お前がデカくなったんだ」 「……うん」 「なんだよ」  変なやつ、と隣で笑うマウロアを見ているとシュートはなんだか胸がポカポカして、抱えた膝に顔を埋めた。 「大丈夫か?シュート」 「ちょっと、つかれたみたい」 「生きるのってしんどいよな」  マウロアは少し考えた後に、優しく言った。 「もしお前が本当に辛かったら、もう頑張らなくてもいいよ」 「……」 「ありがとな、ここまで頑張ってくれて。お前に生きて欲しかったのは、俺のワガママだから……」  お前を外の世界に連れ出して、いろんな事を教えてやりたかった。楽しいとか嬉しいとか、知って欲しかった。その役目は"あいつ"に譲る事になっちまったけどな……と少し寂しそうに、しかし嬉しそうに呟く。 「でもそのせいで、余計に辛い思いをさせちまったのかな」  マウロアに出会うまで、ずっと水の中のような感覚で生きてきたシュートは幸せを知らない代わりに無茶苦茶な人生に対して何の悲しみも感じずにいられた。 「……わかんない」 「わかんないかぁ」  二人は並んで座って、黙ったまましばらくお互いの呼吸の音を聞いていた。  そうしてどれくらいの時間が経ったのか、不意に立ち上がったマウロアはシュートを見下ろして「でも、もうちょい生きてみたら?」と言った。 「でも、おれ……」 「怖がらなくていい。お前を愛してくれる人がいるだろ」  ほら立てよ、とその腕を雑に掴んで立ち上がらせると胸元を握った拳の側面でドンと叩いた。 「お前は何ひとつ失くしてないよ」  *** 「いて……」  夜中にふと痛みを感じた気がして目を覚ますと、背中から抱きしめるように回してた俺の右手の指先にショットが噛み付いたみたいだった。 「ん、どうした?ショット?」  話しかけてみると、小さく何か言ったように聞こえた。 「……」 「なに……っ今、俺を呼んだのか?」  久々のショットの"反応"に思わず跳ね起きて、頬を掴んでその顔を覗き込む。色素の薄い青緑の瞳が動いて、その右目が俺を見た。  目が合う。明らかに今までとは違って、意識がある。 「ッショット、ショット!」 「ちゃた」  呂律があんまり回ってないけど、確かにそう言った。 「ちゃた、おれ……」 「……ああ、どうした」 「おれ、こわいゆめ、みてた」  そしてショットの目尻から涙が流れた。 「……っそうか……もう大丈夫、大丈夫だからな」  強く抱きしめてやるとまだ上手く体が動かないのか、弱々しく背中に腕が回される。 「ちゃた……ここに、いる?」 「ああ、いるよ。ほら……わかるか?」  その手を取って俺の頬に当てさせるとホッとしたように表情が緩むのが分かった。 「なんか……うまくうごかない」 「お前、心と体がバラバラになっちまってたんだ。すぐ良くなるから心配しなくていい」  感覚も鈍いのか、不器用な動きで確かめるようにペタペタと顔中を触られる。 「ゆめじゃない……?ちゃた」 「ああ」  不安そうな瞳に見つめられて、どうすれば安心させてやれるだろうかって考えて、俺自身が泣いてた事に気が付いた。 「あ……わり、これはつい安心して……」  雑に頬を拭ってると服を引っ張られたような感じがして「よんで」と言われた。 「もっとちゃたのこえ、ききたい」  すぐに思い切り抱きしめて、耳元で何回も何回も名前を呼んでやる。 「シュート、シュート」 「んん……」  そうすると背中に回されてる手に少しずつ力が戻ってくるのが分かった。俺たちは抱きしめ合ったまま、いつの間にかまた寝ちまったみたいだった。  ***  結局、ショットはあの日の出来事を夢だと思い込んでくれたようで、酷い後遺症もなく次の日にはすっかり元気になった。  けど……あの銃声は間違いなく記憶のトリガーになってるだろうから、オーサーに貰った護身用の銃は別のモノに変えようと思う。今度こそ、実弾入りで。  ショットの罪を一緒に背負ってこの街で生きてくって事について、俺は認識を改めた。  本気で人を撃てる覚悟をしなきゃならねえんだ。「共犯者で良いから誰よりもショットを守りたい」って言うなら、あの時、本当に必要だったのは自分を撃つ勇気じゃなくてリドルを撃つ勇気だった。  悔しいけど、俺はまだまだ"まとも"だったんだ。人の道を踏み外す覚悟なんか、全然出来てなかった。だから「今のうちにここを出て、あいつの事を忘れて生きていけ」って言われちまうのも仕方がねえな……。  リドルが住んでたバーの上にある部屋は扉が破壊されたまま、中の荷物もそのままになってた。泥棒が入ってなくて良かった。 「……」  床に落ちてたショットの銃を拾い上げて部屋の中を見回す。そしたらリドルが持ってたリボルバーも部屋の隅に落ちてたから、俺はちょうど良いと思ってそれを拝借する事にした。  これも何かの運命かもな。コイツを撃って本当に俺が人の道を踏み外す事になったら、そりゃ大した皮肉だ。それを想像するとなんとなく気分が良かった。  俺がこんなモン撃たなくていいように、"まとも"でい続けられるように……精々守ってくれよ、お巡りさん。  *** 「ただいま。見つけて来たよ、お前の銃」 「よかった」  どこにあった、なんて言わずに渡してやると呑気に嬉しそうに受け取って、いそいそとホルスターを腰に装着し直す。 「もう失くすなよ?そのうち|首領《ドン》に呆れられるぜ」 「んー」 「とと、学校のモノを壊したり失くしたりしたら、反省文なんだよ!」 「そうだな、次は反省文だな」  でもコイツにペンと紙を渡したら"茶太郎"しか書かないか……と考えて、思わず笑った。

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