54 / 231

第54話 二人なら地獄に堕ちるのも悪くない

【二人なら地獄に堕ちるのも悪くない】  その日は何故かやけに眠くて、俺はシドニーを連れて帰って来た後は晩メシ手抜きでいいかと二人に相談して部屋で寝かせてもらってた。 「……ん」  どれくらい経ったのか、気付けば窓の外はすっかり暗くなってて、さすがに寝過ぎたと慌てて飛び起きたら立ちくらみがした。 「う……」 「とーちゃん?」  転びかけて扉に手を付くとガタッと音が鳴っちまって、リビングへ入るとシドニーが心配そうにこっちを見てた。 「わり、立ちくらみだ」  寝過ぎたかな……と笑えば手を引いてイスに座らせてくれる。優しい自慢の息子だ。 「あいつは?」 「出かけちゃった。ととって外好きだよね」 「ああ、俺なんか用事が無ければずっと家にいるけどな」  ショットは基本的に外をウロついてるか、寝てるか。ここにいる時はメシを食うか、俺に甘えてるかだ。  定期的に体を洗う事、歯を磨く事、服を着替える事は覚えてくれてるから助かったが、ホームレス時代はきっとそんな事も知らなかったろうと思えば、あいつにとって少年院が学校みたいなモンだったのかもなと予想する。 「マウロアは苦労したんだろうな、あいつのしつけ」 「だあれ?」 「んー、ショットの兄貴……みたいなもんかな、多分」 「?」  不思議そうなシドニーの頭を撫でながら「俺もよく知らねえんだ」と笑う。 「とにかく、あいつの大事な人ってこと」 「とーちゃんとどっちが?」 「うーん……比べるモンじゃねぇんだ」  その存在を知った時は俺も嫉妬したわけだから、偉そうに言える事はなんもねーけど……。 「なんかやだな、俺……ととの大事な人はとーちゃんだけがいい」 「お前も大人になれば分かるさ」  ちょっとカッコつけてそんな事を言ってみるとしばらく複雑そうにしてたが、宿題するから入ってこないでね!と部屋に閉じこもっちまった。  いよいよシドニーにも思春期が来たのかな……なんて下世話な事を考えながらパスタを茹でる。ショットがいたら食べさせるのが面倒だから麺類は避けるんだが、茹でてオイルやガーリックと和えるだけのアーリオオーリオは手軽で美味い、最高な献立だ。  メシにするぞと声をかければ、しばらくしてご機嫌そうなシドニーが出てきてホッとした。  ***  翌朝、ベッドにショットはいなかったが帰って来てはいたみたいで、リビングに置いておいたパスタは無くなってた。うまく食べれたのかなと心配するが机も床も汚れてはいない。 「うー……風邪ひいたかな……」  昨日から妙に頭が重い。 「とーちゃん、大丈夫?」 「うん、熱もないし早めに寝るよ」  季節の変わり目だからな、と上着を着てアパートを後にする。ウチからゲートまでは徒歩で20分くらい、更に中学まではそこから25分くらいかかるから毎朝シドニーは本当に偉い。  雨なんかの時は学校の前まで送る日もあるけど、「ひとりで歩くのには慣れてるから」と言うシドニーに甘えて俺はいつもゲートで引き返してる……でも、もしかして遠慮させてるのかなってふと思った。 「じゃあ……今日も頑張ってな」  一瞬、学校まで行こうかなと思ったけど今更でなんとなく気恥ずかしくて立ち止まる。 「あ!とーちゃん!」 「ん?」 「忘れるとこだった、はいこれ!」  突然手渡されたそれは手作りらしい封筒だった。ご丁寧に糊付けまでされてキチンと封がされてある。 「なんだよこれ?」 「お手紙!受け取りのサインちょーだい!」 「手紙に受け取りのサインなんかいらねぇだろ」  そう笑いながらもシドニーの可愛いごっこ遊びに付き合って差し出された手作りの伝票にサインをしてやる。 「それで?何を書いてくれたんだよ」 「俺が書いたんじゃないよ!ととからだよ」 「え」  その言葉に驚いて思わずバッと封筒の宛名を見ると確かにそこには見慣れた下手な"茶太郎"の字があった。送り主の名前は書かれていないが、ウチでこんな汚い字を書く人間はひとりしかいない。 「ま、まじで?」 「まじで!」 「……」  心臓がドキドキしてる。毎日一緒にいる人間から届いた手紙にこんなにも胸が躍るなんて、我ながら単純すぎて恥ずかしい。 「どうぞごゆっくり!」  シドニーはそんな俺の反応にニヤニヤしながら去って行った。 「まじ、かよ」  手紙?あいつが?俺に?いったい何が書かれてるんだよ……"茶太郎"以外も書けるようになってたのか?いや、シドニーに教えてもらって見様見真似で書いたんだろう。  それはどうだっていい。シドニーの言い方からして、中身の文章を考えたのもアイツって事だ。  体調が優れなかったことなんかすっかり忘れて、ほとんど走ってる勢いで早歩きをして、俺は10分くらいでアパートまで帰って来た。 「はぁ、はぁ……」  リビングに入ってすぐ、馬鹿みたいに緊張しながらポケットのナイフを取り出し、傷をつけちまうのが勿体無いような気持ちでその上部を薄く切り取る。  中には一枚だけ便箋が入ってて、そこには下手な字で  ――茶太郎が好きです。  ――いつも一緒にいてくれてありがとう。  S  ……それだけが書かれていた。  シドニーに教えてもらったんだろう、きちんとした文法で、辿々しい線で……それでも時間をかけて丁寧に書いた事が分かる。  どんな|経緯《いきさつ》で俺に手紙を書こうって話になったのかはわからねーが、こういう内容にしたいってアイツから言ったのかな。だとしたら嬉しすぎる。 「まじかよぉ……」  いつだってアイツの隣にいてやりたいと思って、それをなるべく体現してること……ちゃんと気が付いてたんだなって思うと嬉しくて、照れくさくて。  二人なら、地獄に落ちるのだって構わない、とか。前にも思ったような事を改めて真剣に思っちまうくらいには俺はもう、とっくにどうかしちまってんだ。  感情が大渋滞を起こして処理しきれなくて、俺はその手紙を持ったまましゃがみ込んでしばらく固まってた。 「ちゃた、なにしてる」 「うわ!」  いろんな事を考えていっぱいになってると、いつの間に帰って来たのか後からショットの声がして慌てて立ち上がった。そしたらまた立ちくらみがしてグラリとよろけたけど、すぐ腕を掴んで抱き寄せられる。 「っと……わり、昨日からちょっと貧血気味っぽくて」  顔を上げると心配そうな瞳と目があって、さっきの手紙の内容を思い出すとカッと顔が熱くなるような気がした。こいつと"そういう"関係になって、もう1年以上経つってのに……今更なんでこんなドキドキしなきゃなんねえんだ。 「ちゃた顔あかい、ねつ?」 「いや違う、心配すんな」  そう言ってんのに問答無用で担ぎ上げられて寝室に連れ込まれた。手に持ったままだった手紙を落としそうになって咄嗟に掴むと軽く握りつぶしちまった。 「お姫様みたいに扱えってワケでもねーけど、テメェもリディアも、人をモノみたいに持つな!」 「なに」 「お、わっ」  雑にベッドに落とされて、これ以上潰してしまう前にサイドボードの引き出しにすぐ手紙をしまい込んだ。 「ねる。ちゃたも」 「わかったよ」  靴を足だけで脱いでベッドの下に蹴り落とすとショットも真似をする。こういうのをシドニーも真似したらいけねぇな……と思いながらも一度横になるともう起き上がりたくなくなっちまった。 「ショット、手紙……読んだ。ありがとな」 「ちゃたはやくねて」 「聞けよ」  心配するように頭を撫でられて、もう少し話したい事もあったけど今は大人しく目を閉じることにした。

ともだちにシェアしよう!