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第57話 お前が幸せならそれでいい
【お前が幸せならそれでいい】
二人がコインランドリーの2階で暮らし始めてから少し経った頃……シュートにとって初めての、"ひとりじゃないマウロアの命日"がやってきた。
親友を永遠に失った事を理解してから毎日を生きる事がただ辛くて、シュートは終わりの見えない地獄の底でなんとか自分を手放さずに生きているだけの状態だった。
ただこの3年間、毎月28日が来ると足が勝手にマウロアの墓へ向かった、その日以外は墓場に来るなと首領に言われて、とにかくマウロアの近くに行けるその日だけを心の頼りに生きていた。
――ここにマウロアが埋まってる。
そう初めて説明された時は全く意味が理解できなかった。この下にマウロアがいる?じゃあ早く連れてきて、会わせてほしい。シュートはただそう思った。
それから"死ぬ"という事を教えられて、マウロアが死んだのだと言い聞かされて、その事を理解するのは本当に辛かったが、目を逸らしはしなかった。
「ロア、おれ……」
"あの時"はこんな未来が来る事を知るはずもなく、初めて味わう悲しみと孤独がこのまま死ぬまで続くのだと、足元が崩れ落ちるような気がするほど絶望した。
今、茶太郎が隣にいて、いつでもそばにいてくれて、毎日が楽しい。楽しいけど……"自分だけがこんなに楽しくていいのか"という事に、シュートは悩んでいた。
「……」
罪悪感……それもまた初めて知る感情だった。しかしこの時のシュートにはまだそれを言語化するだけの語彙力さえなく、とにかく正体の分からない不快な気分に、悶々と悩んでただ墓の前で黙り込む。
もしもマウロアがここにいれば、「バカだな、シュート」と笑っただろう。シュートが自分の人生を心から楽しめる事……それこそが、マウロアが一番望んでいた事だった。自分に遠慮して悪く思うなど、言語道断だ。
やがて陽が落ちて、あまり長居している事がバレると首領に怒られると知っているシュートは墓場を後にした。
何か落ち着かない気持ちだが、それを上手く頭の中で整理できない。特にこの頃はこんな風にどんどん溢れてくる様々な新しい感情に対して言葉の成長が全くついて来ず、いつもモヤモヤしていた。
「……」
少し前にアパートで住み始める直前にリドルと出会って茶太郎を殴って気絶させてしまった時にも、"心配"や"不安"という知らない感情でいっぱいになった。
今まで"話す事"や"言葉"に興味さえ無かったが、そういったもどかしさを繰り返して、シュートは自分の気持ちを知って心の中を整理したり、人に気持ちを伝えたりする為に言葉があるのだという事をなんとなく理解し始めたのだった。
***
「ちゃた」
「ん、どうした?」
リビングで座ってゆっくりしてると、後ろから出かける準備を済ませたショットが抱きついてきて、手に持ったコーヒーをこぼしかけた。カップを机に置いてから首だけ振り返ると頬にキスされる。
「なんだよ、シドがまた|あっち《高校の寮》に帰っちまったから寂しいのか?」
「んー」
「またしばらくは二人きりだな」
今日はマウロアの墓参りに行く日のはずだ。11年目の命日だから。
「うん……」
「ショット?本当にどうした?」
ちょっと寂しいだけかと思ったが、やっぱりそれだけじゃなくどこか様子がおかしいから心配になって、体ごと振り返る。
「きょう、ロア……」
最近は更に話すのが上手くなったと思ってるが、まだこうしてなかなか言葉が出てこない時はある。そういう時は大抵、ネガティブな気持ちになってる時なんだと俺は知ってる。
「ああ、そうだな。今日は命日だろ?」
手を握ると指先が冷たい。相変わらずの無表情ではあるが、泣きそうなように見えて胸が苦しくなった。「どうした」「何が不安なんだ」と聞きたくなるが、こういう時は質問するほどに追い詰めてしまう事も知ってる。
もう8年もずっと一緒にいるんだ。こいつのこと、誰より理解してるって自惚れたって構わねぇだろ。
それでもこんな時、俺には寄り添う事しか出来ない。自然と話したい気分になってくれるまで、ただ側で安心させてやる事しか。
「俺も一緒に行こうか?」
「……うん」
こうして心の頼りにしてくれるだけ良かったと思う。俺の知らない所でこいつが泣く事だけは本当に嫌なんだ。
***
マウロアの墓に着いてもやっぱりショットの様子はおかしくて、早めに帰るか?と聞いても微妙な反応しか返って来ない。
「ゆっくりでいいから、思ってる事……話せるか?」
「うん」
俺はその場にショットと並んで座って、何か言葉が出てくるのをひたすらに待つことにした。
「ちゃたがいて」
すると少しして、ポツリとそう呟く声が聞こえた。
「シドも、いて」
「そうだな」
「おれ、まいにち、しあわせで……」
そう呟くショットの声が暗く沈んでて、言葉を間違えたのかと思って確認する。
「ん?毎日幸せなのか?」
「……うん」
それって良い事なんじゃね?と思ったが、ショットの目にじわじわと涙が溜まってきたから焦った。
「ショット、幸せなのになんで泣くんだ」
「ロアのこと、わすれるのこわい」
その言葉に驚く。咄嗟に左手に触れると思いきり握られて痛かったけど、黙って我慢した。
「ロア、いないのに……おれっ……」
「ショット」
「ずっと……たのしい、の……っこわ、くて」
ポタッと涙の粒がこぼれ落ちて、思わず笑う。
「何を心配してんだ、お前がマウロアを忘れるわけねーだろ」
「だって、おれ、ばかだから」
ポロポロと涙が止まらないショットの頭に左腕を回すように抱き寄せて肩に押し当てさせると背中にしがみつかれた。その事がずっと心につっかえてたのか、吐き出して感情のダムが決壊したように俺の胸元でえぐえぐと嗚咽を漏らす。
「ったく……28の泣き方じゃねぇよ」
まあ、マウロアに出会ってから人間になったと思えばまだ12か。なら仕方ねーか。
「泣け泣け、すっきりするから」
こいつがこうして色んな事を考えて、笑ったり怒ったり、悩んだり悲しんだり……本人は至って真剣なわけだから笑っちゃいけねぇとは思いつつ、俺は顔が綻ぶのを抑えられなかった。マウロアだって絶対に「バカだな」って笑ってると思うし。
「心配すんな。お前がバカなのはマウロアの事を忘れない為に脳みその容量を使ってるせいだよ」
「でも、おれだけ……」
こいつが毎日幸せな事、マウロアも嬉しく思ってるに違いない。だって|首領《ドン》がそう言ってたじゃねえか。マウロアが「幸せを教えてやってくれ」って言ってたって。幸せで何が悪いんだよ。
そういった事を優しく言い聞かせてもガキみたいに泣いて聞いちゃいない。言葉が前よりも使えるようになって、自分の気持ちを具体的に言い表せられるようになって、感情の表現が前より豊かになったんだろうな。
「……マウロア、悪い。また来るよ」
首領の部下が庭の入り口に見えた。ショットのこんな姿を街中で晒しながら帰るわけにゃいかねえから、ご厚意に甘えて送ってもらう事にしよう。
「また泣いてんのか、シュートは」
「また?」
「もう11年前だけどな」
初めてマウロアの死を理解した時、ショットはひとりでここで何時間も泣いてたらしい。酷い雨の中、ずぶ濡れになって。
「あの時……俺はシュートに何をしてやればいいのか分からなかった。俺だって、本当の弟みたいに可愛がってたロアを亡くしたばっかりだったんだ」
「……」
「だが……今はコイツが泣いてても隣にお前がいてくれて、本当に安心してる」
出来る事なら11年前のその日に遡って、独りで泣いてる背中を抱きしめてやりたいと本気で思った。
***
散々泣いて疲れたのか、部屋に着くとショットは靴も履いたままベッドに撃沈して寝ちまった。
「ったく、脱がせにくいのに……」
モタモタと靴を脱がせながら俺も疲れたのか瞼が重くなって、カクッと自分の首が揺れたのを自覚する。
「シュート」
あれ?俺の声か?意識せず勝手に口が動いたような気がした。
「シュート、ありがとな」
やっぱり俺だ。俺が喋ってる。でも俺の意思じゃない。手も勝手に動いて、ショットの頭を乱暴にわしわしと撫でる。
「……ろあ?」
ショットの目が虚ろに開かれて、俺は驚いた。その両眼が青緑色にキラキラ輝いてたから。
「もしお前が俺を忘れちまったっていいんだ。時々思い出してくれたら、本当にそれで充分なんだぜ」
これは夢なのか、現実なのか、頭がフワフワしてよく分からない。ただ口から勝手に声が出る。
「それだけ今お前が幸せだって事が嬉しんだ、俺は。わかるか?」
「……うん」
その瞳をもっと近くで見たかったけど、ふと気が付いたら俺はショットに抱き込まれるような格好で寝てて……。さっきのは、やっぱり夢だったんだろうか。
「……」
でもすやすやと眠るショットの寝顔があまりにも安らかで、こいつも同じ夢を見たならいいと思った。
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