64 / 231

第64話 なんなんだろうこのひと

【なんなんだろうこのひと】  シュートと茶太郎が路上で行動を共にし始めてから初めての冬が来た頃、寒さが厳しくなると人々の心は荒れやすくなるのか、ストリートキッズ達がチーム同士でぶつかり合う事が多くなった。 「まだ鳴り止まねえな……」  あちこちから聞こえる銃声に茶太郎は「こっちに行こう」と細い路地を曲がっていく。モチロンどこにも行くアテなんか無かったが、とにかく銃声から離れる事を考えていた。 「あっ、おい大丈夫かよ?」  張り出していた柱に気付かずガツッと頭をぶつけたシュートはそう聞かれて首を傾げた。大丈夫か……だなどと、心配されたのはマウロアと一緒にいた頃が最後だった。 「……」 「ケガしてねぇな?」  ――なんなんだろう、このひと。  気が付いたら一緒にいて、食べ物をくれる。こっちに来いって呼んでくれる。俺の目をまっすぐに見てくれる。不思議な人。シュートは言われるがまま茶太郎の背を追いながら、そんなような事を考えていた。 「うわっ!」  ガタガタッと大きな音がしたかと思うと二人の青年が揉み合いながらバラック小屋の壁を壊して飛び出してきて地面に転がった。  二人は茶太郎たちの事など見えていないかのように怒鳴りあっている。その手にはナイフ。 「……行こうぜ」  まだここに来て日の浅い茶太郎は不快そうに二人から目を逸らし、別の道を進んだ。 「嫌だな、ああいうのは」  "普通"の暮らしをしてきた茶太郎は怒鳴り声なんか滅多に聞く事などなかった。それに、もし聞き慣れていたとしても気分の良い人間などいないだろう。  シュートもそれは同じで、何日も続く銃声と度々目に入る争い事に落ち着かない心持ちがした。街全体が緊張感に包まれ、ピリピリしている。  そんな嫌な空気がどれくらい続いたのか、住居の密集しているバラック群でそんな騒動が起きればあちこちで火の手も上がる。  ただここで暮らしているだけの非犯罪者……一般人――とはいえ不法滞在者であったり、不法移民ではあるのだが――が巻き込まれて被害が出始め、いよいよ警察までもが動き始めた。 「……珍しいな、警察だ」  シュートがお尋ね者である事を知っている茶太郎はゴツゴツと重い靴音を鳴らしながら二人一組で警戒して回る警察官を見て路地の奥へ隠れようとした。  その時、真横から「火事だ!」と声が上がり、ドタバタと人が走ってきた。 「やべ、まじかよ!」  身を隠そうにも袋小路で引き返すしかない。逃げていく人に紛れて立ち去ろうと慌てて「行くぞ!」とシュートに声をかける。離れ離れになって一般人として堂々としていればいいものを、この頃からすでに茶太郎は無意識であったがシュートの面倒を見る責任を自らに課していた。  すれ違う際に警察官と目が合ったが、火事の方に気を取られて気付かれずに済んだらしい。  また別の場所に辿り着いて、辺りに人影のない事を確認してから崩れたブロック塀に腰かける。 「どっか身を隠せる場所、知らないか?」  そう聞かれてシュートは|首領《ドン》の家を思い浮かべたが、28日にだけ来いと言われてるのでダメだなと思った。28日だけというのは墓参りの話だったのだが、この時のシュートはそれを理解していなかった。  いつもスラムにある大きなビルの電光表示に出ている日付を見ては今日もまだ行けない……と肩を落としていたのだ。 「……」 「まあいいや、そのうち静かになるだろ」  何も答えないシュートに気を悪くもせず、茶太郎は疲れたように空を仰いでふぅと息を|吐《つ》いた。 「あ」  その時、茶太郎の目に道の先で争うストリートキッズの集団が見えた。銃を持っている。遠いから大丈夫だろうが、もし流れ弾でも当たったら損だなと思って反射的にシュートの腕を引き寄せた。するとパンと軽い銃声が鳴り響き、わぁっと声が上がる。 「まじで撃ちやがった、こんな往来で……」  呑気にそんな事を呟く茶太郎とは正反対にシュートは"腕を引かれた直後の銃声"という、マウロアを喪った時と全く同じ状況に頭が混乱して、正常な意識を失っていた。 「あ、わり、急に引っ張って……おい?」  まるで"あの瞬間"の続きにいるかのように思えて、ただ「守らなければ」という事だけが頭を埋め尽くしていた。"ちゃたを"なのか、"ロアを"なのか、自分にも分からないまま。  とにかく"敵"と思える人間を全て殺さないといけない。そうしないと何か恐ろしい事が起きる。そう思った。 「わぁ!?」  もう視界には肝心の茶太郎の姿が入っておらず、ただ何か邪魔なモノがあった気がして突き飛ばし、ほとんど本能的に走り出した。 「う、っゲホ、ゲホッ!!お、おい、どうした……どこ行くんだよ!?」  急に銃声のした方向へ飛び出したシュートに慌てた茶太郎はどうするつもりなのかも分からないまま立ち上がりその背中を追って走る。その手が背中のアサルトライフルに伸びているのを見て「シュート!!」と叫んだ。 「やめろ、ガキ相手に何する気だ!!」  何がキッカケだったのかなど、この時の茶太郎には知る由もない。ただ全速力で走っているつもりなのに全く追いつけなかった。  しかし茶太郎の大声にこちらを見たストリートキッズたちはキレているシュートに気が付くと敵も味方もなく逃げ出したので、結果的に追って良かったのかもしれない。  向かってくる"敵"には敏感だが逃げ出した相手に対してどう動くべきか分からずシュートが立ち止まる。そこへ茶太郎が遅れて追いついてきた。 「はぁっ、急に、どうしたんだよ……っいてて……」  まじで放っとけねーやつ……と突き飛ばされた胸元を押さえながら笑う茶太郎を見て、少し今の状況を思い出したシュートはパッとその手を無造作に掴んだ。 「ちゃた」 「ぎゃあ!」  変に小指と薬指が捩れたまま馬鹿力で掴まれたせいでその指はポキポキと簡単に折れた。 「痛い痛い痛い!!」 「……」  元気に騒いでいる茶太郎を見て、生きてる……と思うのと同時に、何か"怖い事"が起きたら、この人も死んでしまうのだとシュートは思った。 「放せこのバカ!!」  何か嫌がっているようなので手を離すと頭を叩かれる。こんな風に"叱られる"のは数年ぶりだった。  結局、茶太郎は右手の指2本に加えて突き飛ばされた時に肋骨も何本か折れていたのだが、そのシュートの暴走のキッカケが自分だったのでは……と理解する日がくるのは数年後の事になるのであった。  ***  そんな事があって"茶太郎も何かあったら死んでしまう"のだとシュートが理解してから更に半年と少しが経った頃、リドルがこの街に襲来した。 「お前を探していたんだ、セオドール・A・ブラッドレイ!!」  唐突に叫ばれた自身の名前に頭の中が真っ白になった。視線の先にいたはずの警察官の男は真っ黒な化け物に姿を変えたように見えた。殺されると思って、恐怖からシュートは銃を抜いた。  そこからは記憶が曖昧で、ふと気がつくと少し離れたところに茶太郎が倒れているのが見えてゾッとした。 「ちゃた……」 「おい、どこ見てんだコラ」 「ちゃたっ?」 「おい!」  駆け寄って抱き起こすが力の入っていない首がだらりと仰反る。 「ちゃた、ちゃた!!」 「おい何やってんだよ、首がどうにかなんぞ」  横から手が伸びてきて茶太郎の頭を支えた。ハッとそっちを見ると知らない男がいて、|狼狽《うろた》えているシュートに「落ち着け」と声をかけた。 「お前が突き飛ばしたんだろ?頭でも打ったんじゃねえのか……息はしてるから大丈夫だよ。なんか冷やすモンでも持ってこい」 「ちゃた……」 「おいこら!氷を持ってこいって言ってんだ!」  どこに店があるかも知らねーんだよ!とリドルに怒鳴られてようやく何か持ってこいと言われている事に気がついた。 「……なに……」 「氷だよ!冷やすモン!」  とにかく何かを探しに行かなければならない。そうしたら茶太郎は死なない。そう思ってシュートは何も分からないまま駆け出した。  氷は分かるが、どこでもらえるかなど知らない。|首領《ドン》の家はここからだと走っても往復で30分はかかる。  ――どうしよう、その間に茶太郎がもし……。  それを考えると前にも後ろにも進めなくなった。どうしよう、どうしよう。その時、遠くで茶太郎の声が聞こえた気がした。 「ちゃた」  シュートは目から入る情報を処理するのが苦手な代わりに聴力が非常に優れていた。苦手な音も多くフラッシュバックを起こす為、本来であれば耳栓を使っていたほうがずっと生きやすいはずだった。  しかし優れ"すぎている"聴力のおかげで、本人も無意識ではあるが周囲状況の把握を耳で行っている部分も多く、片目であるハンデはほとんど無かった。  少し引き返してみるとやはり声が聞こえる。シュートは慌てて来た道を駆け戻った。 「ちゃた!!」 「おー」  角を曲がると茶太郎は体を起こして何事も無かったかのように喋っていた。心底ホッとすると共に、その隣にいる警察官を見て「"嫌な格好"をしたヤツがいる」というような事を思った。 「ちゃたからはなれろ」  すると茶太郎は珍しく笑顔を見せて「何もされてねえから安心しろ」と言った。喋って動いている姿を見るだけで胸の辺りがじわっと暖かかったのだが、更に笑いかけられてシュートは反射的にこの人の事が好きだと思った。  この時はまだ好きという概念がよく分かっていなかったシュートは、その感情をとても不思議な気持ちで受け止めていた。 「ちゃた、いきてる」 「おかげさまで」  それは茶太郎からすれば嫌味のつもりで言った言葉だったが、何か分からないけどニコニコしてるのが嬉しくてシュートは茶太郎を抱きしめた。

ともだちにシェアしよう!