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第79話 そういう機能だけにしてくれ
【そういう機能だけにしてくれ】
風邪をひいた。完全にひいた。眠る前から熱が出そうだなと予想していたが、やっぱりな。
「ゲホ、ゲホッ……クソさみ……」
寝苦しくて起きちまったがまだ日の上がる前の早朝だ。去年の秋の暮れにもそういえばちょっと体調崩したな、と思い出す。あの時はやけに眠くて……でもそうだ。あの日はショットが俺に手紙をくれて、嬉しすぎてそんな事すっかり忘れてたんだ。
だってのに、こんな時に限ってあの子供体温が隣にいない。妙に心細くてポツリと「シュート」と呟いた。今度は俺が分離不安になりそうだ。
「はぁ……、シュート」
なんとなく名前を呼ぶだけでも癒される。なんか、すごい事だな、好きって。なんて、熱のせいか恥ずかしい事を考えてるとドタドタと足音が聞こえてきて、下着しか身につけてない上に髪の毛がビチャビチャな状態のショットが駆け込んできた。帰ってたのか。
「ちゃたっ!」
「悪い、驚かせたか」
なんでもないよ、と慌てて体を起こすと顔を掴まれて心配そうにじっと見つめられた。
「ちゃた、あつい」
「ああ、風邪ひいちまったみたいだ」
ポタポタとショットの髪から水滴が垂れてくる。その手に持ってたタオルを取って拭いてやるとキスしようとしてきたから避けた。
「|感染《うつ》すと悪いから」
「……」
寒いんだからお前もちゃんと服着ろよ、と着替えを取ってやる為に立ちあがろうとしたが、後ろから抱きつかれて動けない。
「ちゃたしんどいから、ねて」
「分かった。じゃあちゃんと髪乾かしてこい。な」
「うん」
「歯磨いて、暖かい服着てな」
「ん」
毛布で|包《くる》まれて寝転がらされながらそう言い聞かせると心配そうな顔をしながら部屋を出ていく。
「ドアは開けといてくれ」
「ん」
さっきまで寂しかったけど、リビングの方からガタガタとショットが寝支度をしてる音が漏れ聞こえてくるだけでもう平気だった。
「ゲホッ……うー……」
|感染《うつ》すと悪い、なんて言いながら別の部屋で寝ろとは言えない自分に苦笑する。言ったって聞かないとは思うし。
ちゃんと髪を乾かして服を着てから戻って来たショットは毛布に潜り込むとぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。
「ちゃたみずいる?」
「いや、今はいいから、このままくっついてて」
「ん」
もう少し眠ろうと目を閉じたが咳が出そうになって口元を押さえる。慌てて寝返りを打とうと身じろぐと手を取られてキスされた。
「あっ、こら!」
「んん」
「ん、ゲホッ、やめ」
咳が出るから、と言っても舌を捩じ込まれる。まったくどうしたら言うことを聞いてくれるんだコイツは。俺の咳はショットの口内に吸い込まれちまった。
「ん……んぅ」
そういえば鼻水が垂れてなくてマジでよかった。このバカなら舐めかねない。
***
丈夫さだけは自信があるし、シドニーとショットが一生懸命に看病してくれた甲斐もあって、俺はその日の夕方にはもうだいぶ楽になってた。
まあショットのは看病というより、観察というか。ずっと無意味に構われてただけなんだが……本気で心配してくれてる気持ちだけはしっかり受け取った。アイツがいなかったらもっと回復が早かった気もしなくもないが、それは考えないでおこう。
「じゃあおやすみ、シド。今日はいろいろやってくれてありがとな」
「うん、明日も無理しないでいいからね」
「お前も風邪ひかないよう、暖かくして寝ろよ」
「うん!」
このまま明日の朝まで眠ればもうすっかりいつも通り動けそうだ。今更だが今日は|他所《よそ》で寝るように言ったのに案の定ショットは頑なに俺の隣に潜り込んできたから、早々に諦めて背中を向けて寝た。
***
ふと、何か聞こえた気がして目を覚ます。明け方だった。
「ショット……?」
モゴモゴ言ってて最初は分からなかったけど……歌だ。歌ってる。確か、ニンナナンナって子守唄だ。
俺はハッとして、前に異母妹騒動の時にオーサーから渡されたボイスレコーダーの存在を思い出した。慌てて、でも起こさないように慎重に、クローゼットに突っ込んだままにしてあったカバンの内ポケットからそいつを取り出して録音状態にする。
「なあシュート」
ショットの口から飛び出した言葉に思わずドキッとした。まさか……マウロアの言葉か?
「シュート、俺、本当はファミリーのみんなが大好きなんだ」
ボイスレコーダーを握る手が震える。一生知ることは出来ないと思ってた、マウロアの言葉……。それに、これは絶対に|首領《ドン》に聞かせてやらねぇとって、ちゃんと録音状態になってるか画面の表示を再確認した。
「親父と喧嘩して出て来て、ヤケになって、とっ捕まっちまってよ……バカなことしたなって後悔してた」
マウロアの夢を見てるのか、ショットの目から涙がこぼれ落ちる。俺はそれを指で拭いながら静かにその言葉を聞いてた。
「でもお前に会えたから、これも神サマの思し召しってやつだったのかもな」
ショットと出会いさえしなかったら、マウロアはひとりで大人しく刑期を終わらせて、生きてここに帰って来れたかもしれない。それでもコイツと出会えたこと……最期まで後悔しないで死ねたんだろうか。
しばらく沈黙があって、もう記憶の再現は終わったのかと思ったけどまたショットが口を開いた。
「シュート、お前を愛してくれる奴が、きっといる」
「……!」
「お前も、そいつが大事だと思ったら……ちゃんと、言葉で伝えるんだ。『愛してる』って」
まるでショットの口を借りて、たった今、マウロアに話しかけられているような気がした。
「わかったな」
そして続いた念を押す言葉に思わず少しだけ笑っちまった。今も昔も、コイツの面倒を見てる人間は「わかったか?」と念を押す運命にあるんだよな。わかるよ。
「本当に好きで……大事な奴に言う言葉だ」
愛してる、なんて言葉……一体誰に聞いて知ったんだと思ってたけど、そうか。やっぱりマウロアだったか。
すぅ、とショットの寝息が深くなるのが分かって、もう寝言は言いそうに無いなと思ったからボイスレコーダーを止めた。これはまたどっかのタイミングで首領に聞かせてやろう。
出来るなら、コイツの中にある"ネガティブな音"は全部消えて欲しい。でもこんな風に誰かがショットに優しい言葉を掛けてくれてた過去を知れるなら、記憶の再現も悪くないなと思った。
***
数時間後、スッキリした気分で目が覚めたのでまだよく寝てるショットの寝息を確認する。コイツは喉風邪でも引きやすいのか、たまに寝息にザラザラとした音が混じってる事があるから|感染《うつ》してないか心配だった。まあ、あれはただのイビキなのかもしんねーけど。とにかく静かに寝てるようだから安心して、起こさないよう気をつけつつリビングに出る。
さっきの寝言、ちゃんと録れてるかなってボイスレコーダーの中身を確認しようとして"あの男"の声が流れちまったから慌てて停止ボタンを押した。寝てたし、聞こえてねえよな……?
「とーちゃん?何してんの?」
「おっ……!おはよう、シドニー」
一瞬だけ悩んだが、俺はそのデータを完全に消去した。ショットには……俺たちには必要ないモノだ。
「なあに、隠し事?」
「いや……忘れたい事だ。もう消した」
「ふーん」
こういう時に聞かせて聞かせてって言ってこないシドニーに感謝する。気にならないわけじゃ無いんだろうけど、踏み込んで欲しくない領域をちゃんと分かってくれるのが有り難かった。
「風邪、良くなった?」
「もう完治したよ。俺は非力だけど、その代わりに丈夫さだけは自慢だからな」
サマーキャンプから帰ってきたばっかりなのに看病させて悪かったな、と言えばシドニーはくすくすと笑った。
「とと、ずっと俺の後ろをくっついて回って、寝込んでるとーちゃんにしてあげられる事を探してたよ」
その様子を想像して俺も笑う。
「アイツの相手をしながら家事すんの大変だったろ」
「俺がやるから座っててって言っても聞いてくれないから、もう出てってよ!って怒っちゃった」
最終的にずっと俺の横に座ってずっと様子を覗き込んできてたのはシドニーにリビングから追い出されたせいだったんだな。
「不器用だしバカだけど、ああいうトコがまじ……」
好きなんだよな、と言いそうになって口を閉じる。
「ゴホン……憎めないんだよな」
「好きなくせに」
「はい」
バレバレだったみたいだ。
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