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第80話 退屈しのぎにちょうど良い

【退屈しのぎにちょうど良い】 「そうか。わかった」  予定通り、"例の取引"の金が振り込まれている事を確認してから携帯の電源を落とした。無駄に電源を入れていると鬱陶しい連絡が止まらん。  窓の外では雨が降っている。 「兄さん、おはよー」 「今日は雨だから俺はここにいる」 「わかったぁ」  馬鹿は雨も風も気にしない。元気良く出かけて行ったみたいだ。俺はどんなに高価なブランドの服が破れようが濡れようが気にしないが、気に入りの銃だけは濡らしたくない。 「退屈だな」  仕方が無い、たまには親の相手でもしてやるか。俺は孝行息子だからな。  パソコンを立ち上げて会社内部のチャットステータスを在席中に切り替えるとすぐにいくつかの反応があった。くだらない挨拶は無視してメールを確認する。重要なモノ以外は自動的に消去されるようになっているので数ヶ月ぶりのログインでも5通しか溜まっていなくて助かった。 「……」  俺に振るまでも無い内容をわざわざ送ってくるのは無能だ。勝手にお前たちで解決して動かしておけ。  さっさとメールを片付け終え、横にある紅茶を飲もうと手を動かすとマウスにぶつかり、つい舌打ちが出た。|あの馬鹿《リディア》がゲームしたい、マウス付けてとうるさいから買ってやったモノだ。すぐ壊すくせに。俺には必要ない。邪魔なソレを抜き取って投げ捨てた。 「……ん」  社長からメッセージが入った。相変わらず親バカの様子だ。生活には困ってないから心配するなと返しておいてやると大変喜んでいるようだった。たまにはこうして家族サービスするのも悪くない。  一人息子としての責任を果たしたのでチャットを離席中に切り替える。あっという間に仕事も終わってしまった。  ***  俺は賢い子供だった。いや、賢い赤ん坊だったらしい。さすがに1,2歳の頃の記憶はほとんどないが、3歳の時にはすでに最低限必要な義務教育レベルの知識は得ていたように思う。  とにかくいつも退屈で、本を読んでいれば多少は紛れた。学ぶ事が好きだった。目で見た物をそのまま記憶できる俺の頭の中の本棚には幼少期に読み終えた世界中の書物が陳列されている。 「……」  語学は後からついてくる。今の俺に読めるか読めないかは気にせず、とにかく興味のある分野の本を片っ端から目に入れ、記憶した。  世界中に支社を持つ大手企業の最高経営責任者であるローウェル家の長男……俺の父は「オーサーは本が好きだね」と喜んで何冊でも本を買い与えてくれた。  俺は今、自ら立ち上げた事業で稼いだ金でその借りを返している。たとえ親であっても、借りを作るのは嫌いだ。とはいえ他人を雇い、その人生の責任を背負い続ける事も性に合わない。ある程度まで事業が落ち着けば誰かに主権を譲り、俺は一線を退く予定にしてある。運用を間違えなければ、金は金が稼いでくれる。  父の会社には肩書きだけの役員として在籍し、こうして気が向けば相手をしてやっている。母もキュベット家という代々続く貴族家系で会社を持っているが「あなたの好きなように生きて良いのよ」と俺を縛りつけはしなかった。  悪いが経営に興味がないと言えば、二人とも後継者には養子を取り当てがってくれた。なので、俺には会ったことの無い義理の兄が二人存在する。  両親の会社を少しでも傾けようものなら家から追い出してやろうと考えていたが、どうも熱心な働き者のようなので俺は安心して7歳の時に自立する事に決めた。  学ぶ機会と自由を与えてくれた両親には感謝しているが、俺は何よりも退屈が嫌いだ。何もかもが分かってしまう生活に興味などない。  ひとまず世界を回り、銃のコレクションが趣味だった俺は"この街"にたどり着いた。ここは合法で人を撃てる最高の場所だと思った。  それに、思いもよらないような出来事が毎日のように起きるのも退屈しのぎにちょうど良い。そんな気持ちでスラムを見下ろせる位置にあるマンションの最上階フロアを買い取り、防犯対策を完璧に仕込んだ上で仕事場兼住居とした。  |あの馬鹿《リディア》と出会ったのは、そうして悠々自適な生活と法外地区の散歩を日課にしていた頃の事だ。  ***  その日も法外地区で見かけたお尋ね者を的にして射撃を楽しんでいたのだが、大抵は肩や足を撃ち抜けば戦意を喪失するはずが予想外にも襲いかかられた。  まだ反動に体が負けてしまう幼い俺に扱えるのは殺傷能力の低い銃しかなく、分厚い脂肪に守られたそいつは足を撃たれても大したダメージにはならず動けてしまった。 「テメェが最近ウワサのクソガキか!!」 「ふん、大人しく逃げておけばいいものを」  手にはナイフを持っている。距離は離れているが、走って逃げるのは得策ではないだろう。もう一発その太ももに撃ち込んでみたが、やはり男は動き続けた。  アドレナリンが出ている人間は撃たれても動き続ける事もある。こういう事態も会社の経営をするだけでは味わえないリアルなスリルだ。 「さて……」  どうしたものか。瞬時に打開策を練る。頭の中で人体の急所について書かれている書物をいくつか思い出した。威力の弱い銃でも相手を死なない程度に戦闘不能に出来る場所は……。 「ねーえ、ケンカしちゃだめだよ?」  そんな声が聞こえて、上から女が降ってきた。 「こんなちっこい子、いじめてるの?」 「ソイツが先に撃ってきたんだよ!」 「まあまあ、ケンカしないでさ」 「おい、ちっこい子ってのは俺のことか?」  なんだこの頭の弱そうな女は。どこから降って来やがった。 「私がダメだよって言っとくから、ほら、ね!」 「ね!で済むか!こっちは撃たれてんだぞ!」 「ダメだこりゃ、逃げよっか」  女は問答無用で俺を抱き上げると驚くほどのスピードで走り出した。 「おい、なんなんだお前は」 「リディアだよ!」 「俺はオーサーだ。いいか、俺を子供扱いするな」 「子供じゃないの?」  リディアと名乗った女は俺を片手で抱えたままヒョイヒョイと法外地区のバラック群に積まれたゴミ箱や壁の小さな引っかかりを利用して屋根の上に飛び上がった。 「大した足だな」 「ねえ兄さんお腹すいてる?」 「兄さんというのは俺のことか」 「うん!」  まあ小さい子と呼ばれるよりはいいか。 「あっちに美味しいパン屋さんがあるんだよ」 「奢ってやる。それでこの借りはチャラだ」 「いいよおそんなの」  そうして俺はこのバカのおかげで危機を脱したわけだ。  パンを奢ってやって食べながら話していると、どうやらリディアの出身は俺も知っている良家だった。 「それがこんな所で何をしている」 「私のおとーさんとおかーさん、死んじゃったの」 「……ああ、そうだったな」  俺が生まれるよりも前の出来事だが、めぼしい書物を読み終えてしまった頃に目についた新聞を片っ端から暇つぶしに読んでいた。コイツの両親は痛ましい事故により揃って他界していたんだった。  経済界においてそれなりに名の知れた夫婦の突然の死。そしてその一人娘、リディアの行方について……メディアは面白おかしく取り上げていた。 「"しせつ"に引き取ってもらったんだけど、私、とっても力が強いから、いろんなモノ、壊しちゃって」  小学校でも友達ができなくて、10歳になった時に施設からも追放されたらしい。 「……ふ」 「えへ!」 「面白い奴だな、お前」 「ほんと!?」  どうだ、俺の足になる気はあるか?と聞いてみると「なにそれ!面白そう!」と元気よく頷く。頭が悪いな。 「ひとまずは月間契約から……俺は見返りに食事と寝床を提供し、身なりもキチンと整えさせてやる。それでどうだ?お互いに利用価値があると思えなくなれば解散だ」 「うん!よくわかんないけど、私のお友達になってくれるの?」 「そんな所だ」  こうして俺はリディアと行動を共にする事になり、軽い退屈しのぎくらいに考えていたスラムでの生活が想像以上に性に合い、これから長く暮らしていくことになった。

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