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第85話 何があっても離さない ※暴力

【何があっても離さない】  その夜は何か嫌な予感がした。アパートの下からガシャガシャと何かが壊れるような音がして、苛立ちを隠そうともしない足音が階段を登ってくる。 「……シド、部屋に隠れててくれ」 「うん」  まだ髪を乾かしてる途中だったけど、タオルを持たせてすぐにシドニーを寝室へ行かせた。  バンとアパート入り口の扉が開かれる音がして、ナイフを手に廊下を確認するとショットが立ってた。とりあえず強盗の類では無かったことにホッとするが、明らかに様子がおかしい。 「ショット」 「……」  その全身には|夥《おびただ》しい量の返り血がついてて、腕には怪我をしているようにも見えた。 「怪我したのか?見せてくれ」  部屋から出て近寄っても返事がない。危険だとは思いつつ放っておけなくて、手の届く距離まで足を踏み入れた瞬間、冷たい瞳と目が遭った。 「ショ……」  本人的には邪魔な障害物をどけるくらいの感覚なのかもしれないが、裏拳でガツッと左頬を殴られて壁にぶつかる。本気の力で殴られたわけでもないのに、口の中が切れて血の味がした。  外で何があったのか分かるはずもないが、とにかく今のショットは正気じゃない。でも……ここに帰ってきた。無意識の中でも、ここに帰ろうと思ってくれてんだよな。  シドニーが心配だったが、部屋に入っていった背中を追うとショットはフラフラと俺の寝室へ向かった。そして血だらけの格好のまま、大人しく壁際に座り込んで眠り始めた。 「……そこで寝るのか?」  初めて出会った頃、ショットはいつもこうして壁に背中を預けて膝を抱えて眠ってた。ここで暮らすことになってから、ベッドで寝ていいんだぞと教えてやればそのうち寝転がって眠るようになっていったけど。  とにかく次に目を覚ました時にはいつもの様子に戻っててくれたらいいんだが……そう願いながら、俺はベッドに横になって同じ部屋で眠ることにした。  ***  ギッという音がして、マットレスの沈むような感覚の直後、突然左腕を乱暴に引っ張られてベッドから引きずり落とされて一瞬で目が覚めた。 「あ、ぅぐ……!」  肩の関節が抜けちまって、あまりの痛みに呻くと腹を蹴り上げられた。 「っぐ、う!!」  床に転がって壁にぶつかり激しく咳き込む。息が……息ができない。もがき苦しんでると髪を掴んで床に後頭部を押さえつけられて、服をビリビリに破かれた。 「う……ショ……ット……!!」  なんとか動かせる右手で髪を掴んでる手を引き剥がそうとしたけど、抵抗したのが気に障ったのかもう片方の手で顔面を殴られた。 「く、う……」  奥歯が欠けてブチブチと髪の毛が何本か抜けた。将来的にハゲたら絶対にコイツのせいにしてやる。 「はっ、はぁっ、はぁ……っ!」  欠けた歯をプッと吐き出すと鼻血が垂れてきて、どう考えてもそんな場合じゃねえのに反射的に「床が汚れる」と思って手で押さえる。 「あ、ぐっ、ショット、目を……覚ませっ」  腹の上に馬乗りになって破けた服を剥ぎ取られて、首に爪が立てられた。そのまま肩や胸元までバリバリと引っ掻かれて、切れ味の悪い刃物で無理やり切り裂かれるような痛みに声が漏れる。 「は、うぐっ、う……」  でもキレちまってる時のショットは俺の声にすら苛立つらしい事を前に学んでるので、なるべく押し殺して耐えた。  あちこちから流れ出した血に吸いつかれて、無遠慮に歯を立てられる。 「はぁ、はぁっ、い……っショット……っ、……!」  早くいつものお前に戻ってくれ、と願いながら何度も名前を呼んだ。でも血のニオイに余計に興奮したのか動かせない左腕にかぶりつかれて、ゴリゴリと腕の中の筋が|抉《えぐ》られるような痛みがする。  ――まじで喰われる。  反射的にそんな言葉が脳内に浮かび上がって、さすがに叫んだ。 「れ……|赤《レッド》!!止まってくれ!!」  だが案の定セーフワードにも全く無反応でそのままブツッと肉を食いちぎられて、本格的にヤバいと思った俺は心の中で謝りながらショットの腹を本気で蹴り上げ、慌てて扉へ飛びついた。  ヤリ部屋の壁に設置してある"緊急ボタン"を押しに行こうと思ったんだ。 「う、ぐっ!」  でも扉を開ける前にまた引き倒されて再び腹を蹴られて床に転がる。扉近くで胃の中のモノを吐いて痛みにのたうってると襟首を掴まれてベッド横の壁に叩きつけられた。側頭部を打ち付けて視界がグラグラ揺れる。俺はそのまま床に仰向けになって動けなくなった。 「う……」  逃げようとした事に余計に怒ったのか、重いブーツを履いたままのショットの足音がゴツ、ゴツ、と近寄ってくる。普段なら好きだと思うその音も今は死神の足音にしか聞こえなくて場違いにも少し笑った。  それでも、ショットは銃を抜かない。そもそも本気だったら、俺なんか一発目でとっくに殺されてるはずなんだ。正常な意識がなくても、どっかで俺のこと分かってくれてんだろ、なあ。 「ふぅっ……う……」  フラフラと近寄ってくるショットを見てハッと今更シドニーの事を思い出した。このまま隣の部屋にいさせると危ないかもしれない。 「シド!奥の部屋に隠れてろっ!!」  倒れたままそう叫ぶと隣の部屋のリビングへ続く扉がバタンと開かれる音がして、ドタドタと足音が遠ざかって行った。もしショットが正気を失って暴れるような事があれば、俺が何をされてても絶対に身を隠してくれってシドニーとは約束してある。  どんなに心配でも、そんな状況になってしまったらシドニーの力でコイツを止められる訳がないから、せめて自分の事は守ってくれって。そんな、いつ爆発するかわからねえ時限爆弾みたいな奴と同居させてるのが親として正しいのかは、やっぱりわからねぇけど……。  ああ、ボタンの事も説明しておけば良かった、なんて後悔先に立たずってやつだ。とにかく離れた場所へ避難させられただけでも良かったと思うしかない。 「……ショ……ゲホ、ゲホッ……」  鼻血が喉に流れてきて咽せる。こんな状況だってのに、俺にはショットが酷く怯えてるように見えてた。だって、いつだってコイツが正気を失うのは、辛いことがあった時なんだ。  こいつが初めて人を殺した時はクズな親たちに殺されそうになったからだし、実家での時は俺が「テッド」って呼んじまったのがキッカケだった。あの時はまだ意識と無意識が半々くらいだったから、ここまで無茶苦茶はされなかったけど……。 「ショット」  何か、心が耐えきれないくらい怖いことが起きた時、自分を守ろうとして暴走しちまう……そうなんじゃないのか。今日もどこかで、辛い気持ちになったんじゃないのか。 「ショット……大丈夫、だから……」 「……」  破壊衝動が少し落ち着いたのか、静かに立ち尽くしてるショットに話しかける。 「ゲホッゲホッ、う、ぐっ」  また吐きそうになったけど、腹に力が入ると感じたことのない痛みが体中に広がって吐くことすらままならない。 「はっ、はっ……う、ぅ……」  俺が朦朧としてると、今度は首を掴まれてベッドに投げられた。まさか……そう思ったけど容赦なくズボンに手がかけられて、頭から血の気が引いていく感じがした。

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