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第88話 成長期って知ってるか
【成長期って知ってるか】
「やっと着いた!!ただいまーっ!」
「ああ疲れたな……ただいま」
「暑い!!ヤバい!!」
「水飲め」
高校で寮生活をしているシドニーが夏休みでこっちへ戻ってくるので、俺は朝からターミナル駅まで迎えに行って、スラムにあるバーガーショップで一緒にメシを食ってから帰ってきた。炭酸の抜けた甘いだけのサイダーも安心する地元のグルメのひとつだ。
「あれ、ととは?」
「いないのか?ショットー?」
一応奥の部屋も見てみたがどうもいないらしい。
「おかしいな、今日はシドニーが帰ってくるぞって言ってあったのに、忘れて出かけちまったのかな」
お喋りしてる声が聞こえたら思い出して帰ってくるかも、とシドニーが言うから確かにそうだなと笑った。
リビングに戻るとシドニーは自分の部屋に戻って何やら荷物の整理をしているらしいのでちょっと早いが晩メシの準備でもし始めるか……とキッチンへ向かう。
「とと、俺の部屋の掃除してくれてたの?」
背後から声がしたので少し声を張って答えた。
「ホコリが被らない程度にな。不必要には入ってねえし、余計なモンも詮索したりしてねーよ」
「ありがとう」
良い兄貴分でいてくれてるオーサーには自室への侵入を許可してるらしいが、俺は一応じんわりイヤがられてる。別に何か隠してるってわけでも無さそうだが、単に親が部屋に入るのがイヤなんだろう。
まあもしもスケベな本の2冊や3冊くらい出てきたところで健全に育ってるなと思いこそすれ、|揶揄《からか》うつもりも微塵もない。
「あー……シドももう16か」
なんだか感慨深くなってそう漏らすとガタガタと音がして、荷物の整理を終えたシドニーがリビングのイスに座ったらしかった。
「晩メシ、カレーでいいか?」
「うん、父さんのカレー好き」
「張り切って作るよ」
それにしても、最近は具材を切ったりするのをショットに任せっきりにしてたから少し手間取る。
「何か手伝おっか?」
「いいよ、久しぶりなんだからゆっくりしてろ」
むしろ久しぶりなんだから一緒にやりたい、と言ってシドニーはキッチンへ入ってきた。
「あーあ、いいなぁ二人は」
「なにがだよ?」
突然すぎて全然脈絡が読めない。にんじんを手渡しながら聞き返すとシドニーは不機嫌そうに唇を突き出す。
「俺、戸籍は母さんのとこにあるままじゃん?」
「ああそうだな」
「学校とかでさ……公的な書類だと、シドニー・ウィリアムズって書かなきゃいけないの、嫌だもん」
母親のことを嫌いになったというよりは、自分とは別の人生を歩んでいく人間なのだと理解できたという感じがする。その上で、シドニーは俺と同じ名前を名乗って生きたいと思ってくれているようだ。
「お前も"なんでも俺と一緒がいい"のか?」
「うん、そうだよ」
「はは……お前の気持ちは嬉しいよ。その選択で後悔しないかどうか、あと少しだけよく考えてくれ」
「分かってるよ……でも俺は決めてるから。18になったら父さんと同じ名前を名乗るって」
「でも俺の名前は正式に継ぐ事はできねえんだからな?」
なにせ"生きてる"戸籍がないから、正式にシドニーを養子に迎える事はできない。残念だけど、それはどうしようもない事実だ。
「別にいいよ。勝手に名乗ったモン勝ちなんでしょ」
「まあな。公的な場ではまだ難しいけど……ってか、名乗るのなんて今から好きにすればいいじゃねえか。友達間なんかでよ」
「そうじゃなくてさ……」
提出書類なんかにも堂々と書きたいらしい。学校やアルバイト先なんかで戸籍と違う名前を堂々と書いたりしたら変に悪目立ちして損をするだけだ。
それは何歳になったって一緒だが、学生の生きる社会の広さと社会人じゃ大きな違いがある。大人になれば好きな名前で生きやすい人生も見つけられるだろう。気持ちは分かるが大人しくしとけとアドバイスしておいた。
そんな話をしている所へガタガタと物音がしてショットが帰ってきたみたいだ。普段なら帰ってくるような時間じゃないから、やっぱシドニーが帰ってくる事ちゃんと分かってたんだろうな。
「あ!とと、おかえり!」
「……」
「ショット?どうした?」
するとしばらく入り口で突っ立ったままボーっとしていたショットは「シド?」と呟いた。
「そうだよ、ただいま」
「こえちがう」
「あ、そう最近ちょっと声変わり始まったみたいで」
確かにその声は少し掠れていたが思春期の成長に無闇に触れるのはどうかと思って遠慮してたのに、ズケズケと踏み込めるショットの無神経さが面白くて羨ましい。
「間違いなくシドニーだよ、わかるか?」
「……ん」
だんだん身長も伸びてきて見た目にも変化はあるんだが、ショットにとっては声の変化の方が強烈な違和感に感じられるらしい。
「へん」
「おいこらお前だって昔は違う声だったろ?」
「?」
もしかして声変わりするまで喋ったこと無かったとかあるかな。そりゃさすがに無いか。
「ととが毎日色んなこと勉強してるみたいに、俺も成長してるんだよ」
不躾なショットの発言に気を悪くした様子もなく、シドニーは「もう簡単に抱っこできないから!」と言うが軽く持ち上げられてキャアキャア笑っていた。
「スモウレスラーくらい太らなきゃコイツは降参しねーぞ、俺ですら片手で担がれんだからな」
とはいえ最近分かったんだが、本当に生まれながらの怪力であるリディアと違ってショットはそんなに力自体が強いわけではないみたいだ。
ただ、普通の人間には怪我しないように備わってるハズの筋力のリミッターが外れてる状態みたいで……つまり常に鍛冶場の馬鹿力状態ってことだ。
「あんま無茶すんなよ、怪我すんぞ」
その腕に触れてシドニーを降ろさせるとショットは|徐《おもむろ》にポケットから何かの包みを取り出した。
「ん」
「何これ?」
「今日シドかえるから」
それは万年筆だった。これからシドニーは高校3年生になって、大学へ行くか就職するかインターンに行くか……もしくは海外留学でもしてみるか……色んなことを考え始める時期になる。
「どうしたんだ、こんな立派なの」
「オーサーに言った」
モノはオーサーが用意したんだろうが、何でも無償でほいほい与えてやるヤツではない。
「……お前が、働いて買ったのか?」
実は数日前にオーサーからそれらしき事を聞いていた。
リビングの床に座り込んでガラクタを足で押さえながらドライバーを扱ってた時の事だ。
「おい、労働の対価は正しく支払われるべきだと思わないか」
「突然なんだよ、勝手に入ってくんなよ」
窓からリディアとオーサーが現れた。
「俺が与える|現物《モノ》なんぞ、単なる労働の証明にすぎん。それはいわば|請求書《インヴォイス》だ。ヤツの求めている対価がお前には分かるな?」
「なんの話だよ!!」
「とりあえず感謝の言葉を前払いで頂いておこうか」
「全く話が見えねーけど、ありがとな」
ヤケクソでそう言えばオーサーは満足げに「確かに受け取った。この件についてわざわざ出向かなくていいぞ」と言い残して去って行った。
俺の質問にシドニーは心底驚いたような顔で「え!?」と叫んだ。
「うん」
「じゃあ|万年筆《コレ》が……その"|労働の証明《インヴォイス》"ってやつか?」
「うん」
大した請求書があったモンだ。わけがわからないという顔をしているシドニーがおかしくてつい笑う。
「支払い方法は?」
「えがおで」
「えへ!ありがとうとと!」
「じゃあ俺からも」
シドニーの笑顔と、俺からのキスもおまけで支払ってやった。
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