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第87.5話 これ以上、傷つかないでくれ

【これ以上、傷つかないでくれ】 ▼シュート26歳の春 『何があっても離さない』後  夜中に痛みが走って目を覚ますと、ショットに左腕を思いっきり掴まれてた。爪が食い込んで痛いけど、それどころじゃない。様子がおかしい。 「ショット」  縮こまるように背を丸めてゼェゼェ肩で息をしてる。喉が狭まってんのか、息を吸うたびに激しい喘鳴が部屋に響く。たまに寝息が変な時はあるが、こんな症状は初めて見る。 「ショット、落ち着け」  背中をさすりながら顎を持ち上げてなるべく息がしやすいようにしてやるけど、すげぇ辛そうだ。出来ることなら代わってやりたい。 「はっ……う、ぅ……っ」 「大丈夫だ。大丈夫だからな」  俺のことは分かってるみたいで必死にしがみついてくるから、苦しくないように緩く抱きしめて耳元で声をかけ続ける。 「シュート、シュート」  しばらくしたら今度は咳き込みはじめて止まらなくなっちまった。混乱してんのか体を起こそうとするから慌てて止めさせる。 「じっとしてろ、水を持ってくるから」  でも離れようとするとまた腕を掴まれてどうしようもない。そこに騒ぎを聞きつけたシドニーが部屋に来てくれた。 「とと!どうしたの、大丈夫!?」 「シド、水を持って来てくれるか」 「うんっ」  その時、錯乱したショットが自分の首を絞めるような動きをしたから心臓が握りつぶされるような心地がして、ほとんど反射的にその腕を掴んでベッドに押さえつけた。 「シュート、やめろ……っそれだけはやめてくれ!!」  もしかしたら苦しくて喉を引っ掻こうとしたのかもしれねえけど、そうは見えなかった。 「とーちゃん、乱暴にしちゃダメだよ!」  シドに肩をタップされてハッとする。俺までパニックになってどうすんだ。押さえつけて怒鳴ったりして、余計に混乱させちまったかと思ったけど、意識が朦朧としてるのか反応は無かった。 「とと、水飲めそう?」 「今はまだ難しいな。近くに置いといてくれ」 「SOSボタン押す?」 「いや、ちょっと落ち着いてきた。様子を見よう」  |BB《バイロン》が介入すると余計に落ち着かねえだろうし。はくはくと浅く早い呼吸を繰り返すショットの頬に手を当てるとさっき掴まれた時に切れてたのか、腕から血が流れてて顔を汚しちまった。 「おっ……悪い、血が……」  拭こうとした手をパッと掴まれる。 「ケホ、ケホッ……はっ、う……っ、ちゃ、た」 「喋らなくていいから、ゆっくり深呼吸しろ」 「っふ……、う、ちゃた、ケホッ」 「喋るな」  喋るなっつってんのに声を出そうとしては咳を繰り返すから、このままじゃ治るモンも治らねぇ。 「ちゃ、ゲホッ……う」 「どうしたんだよ?ここにいるから、安心しろ」  どうしても起き上がりたいみたいだから手を貸して壁にもたれさせる。ベッドを降りてシドからグラスを受け取って口元に水を持っていくと少しだけ飲んでくれた。 「ゆっくりでいいから。咽せるなよ」 「はっ……はぁっ……」 「シュート……」  背中をさすってるとショットの目からポロポロと涙がこぼれだした。泣いてンのもそれはそれで心配だが、意識がハッキリしてきた証拠かと思えば少しだけホッとした。 「わかるか?もう大丈夫だからな」  チラッとシドニーの方を見たら察して「俺、リビングにいるからね」って静かに出て行ってくれた。  しばらくベッド脇に立って泣いてるショットの頭を静かに抱きしめてると不意に力が抜けてズシッと体重が掛けられた。 「おっと」 「ふぅ……、う……」  支え切れずにベッドからズリ落ちちまいそうだったから押し返して寝かせてやる。気を失ったのかと思ったけど、うっすらと目が開いて視線が動いてた。 「ショット、ここにいるからな」 「……ん」  体が動かないのか、だらんとしたままの手を握ってみても握り返してこない。まだ息が荒くてフスフス言ってるけど、とりあえず落ち着いたみたいだ。 「怖い夢でも見たのか?」 「……」  汗と涙と俺の血で濡れちまった顔を服の裾で拭ってるとまた涙が出てくる。 「どうしたんだよ……」  お前が泣くと俺も辛いよ、と頬にキスすると小さく「ごめん」って聞こえた。参ったな。謝らせたいワケでも、感情を抑え込ませたいワケでもない。 「なんで謝るんだ?」 「ふっ……ちゃた、おれ……、っう」  話そうとしてまた咳が出始めたから落ち着かせるように胸元に手を当てると心臓が脈打ってるのが分かる。無理に話さなくていいって言いかけたけど、何か言いたいみたいだから黙って待った。 「き……きら、い……言わないで」  震える声で、言葉に詰まりながら、苦しそうに、途切れ途切れに……でも確かにそう言った。言ってからまた次々に涙があふれてくる。 「言ったコトねぇだろ!」  俺が酷いこと言う夢でも見たのか?この前の暴走をずっと気にしてんだろうな。それでこんな状態になってるっつーのかよ。バカ。 「言ってないし、言わない。わかるか?」 「ん……」  夢で何か聞いたとしたら、それは本当じゃないから忘れてくれって繰り返す。 「なあ、二度とバカなコト言って泣くなよ……」 「……ん……」 「何があったって離れねぇって、前に話したろ。今更お前にちょっとケガさせられたくらいで嫌いになるかよ」 「……」  息はしてるけど目の焦点が合わなくなってきた。顔色が悪い。 「ショット……?おい、大丈夫か?」  焦ってて気付かなかった。どうも熱がある。 「まじかよ」  風邪で弱ったせいで悪夢を見たのか、悪夢を見たせいで熱が出たのか……とにかく冷やしてやらねぇと。  声をかけても何の反応もないから、そっと布団をかけてからリビングに出る。心配そうな顔をしたシドニーが寄り添ってくれた。 「とーちゃん、大丈夫?」 「ああ、夜中にごめんな。熱があるみたいなんだ」 「前に買った風邪薬、まだあるよ」 「辛そうなら飲ませてみるか」  ケガしてるよ、と救急箱を渡されたけど自分の手当てなんか後でいい。 「氷あったかな……」  タオルを氷水に浸しつつ、暖かいココアでも淹れてやろうと湯を沸かす。シドニーが出してきてくれた風邪薬も念の為にポケットに突っ込んで、先に寝とけよ、と頭を撫でた。 「何かあったら呼んでね」 「ありがとう、おやすみ」  寝室のサイドボードに看病グッズを用意して、絞ったタオルをショットの額に当てる。ベッドの端で寝てるから少し奥に移動させたかったけど、首が座ってなくてグラグラだったからやめといた。 「はぁ……う……ぅ」 「しんどいな」  気持ち悪いのかうーうー唸ってるショットの手を握る。 「吐きそうか?」 「……」 「ココア飲むか?」 「……」  意識があんのか無いのか分からねぇけど、どっちにしろ今は話せそうにない。俺がそばにいた方が安心するだろうと思ったから、余計なコトはしないで隣に寝転がった。 「寝てる間に良くなるからな」  頭を撫でてそう言い聞かせながら俺も目を閉じたものの、また呼吸が乱れないか心配で、定期的に熱を確認して手を握る。 「……ショット」  静かに寝てるけど、目尻にはまた涙が伝った跡があった。 「……」  お前を許せない人間がいるみたいに、俺だって、お前を傷つけてきた奴らが許せねぇよ。せめてこれから先は傷つかないでほしい。それなのに、夢の中までは守ってやれないのがもどかしい。  それでも出来る限り安心して眠ってほしくて、頬にキスをして「好きだ」って繰り返した。悔しいけど、俺に出来るコトなんか精々この程度だ。 「シュート、愛してる」  まだ熱っぽい体を抱きしめて、穏やかな朝が来るのを待った。

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