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第97話 命の代償 3
【命の代償 3】
俺はシドニーと手を繋ぎ、リディアがショットを背負ってくれて、何か考えがあるらしいオーサーについて歩き出したが混乱で思う方向に向かえなかった。
「騒ぎが西の方で起きているな……今は無理に進むのは危険そうだ」
予想外の事態に珍しく苛立ちを隠さず苦々しい顔をして次の動きを考えているオーサーを邪魔しないよう黙って周囲を警戒する。その間も銃声が響いてくるし、あちこちで火事が起きて変なニオイのする煙が流れてくる。
「……」
クレイグやマフィアたちは大丈夫かな。心配だが、俺の両手はもう|守るべきもの《シドとショット》で埋まっちまってる。
「兄さん!あぶないよぉ」
「ああ」
崩れたバラックから降ってきた瓦礫をリディアが殴り飛ばすと、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らして「仕方ないな」と呟き、オーサーは歩き始めた。
コレを見越してリディアにイカついグローブを嵌めさせてたんだろうな。それにしても、庇われても全く動揺しない様子に二人の信頼関係が窺える。
「状況が読めない。とにかく今は行ける方向に逃げるしかない。こんな風に無策に動くのはポリシーに反するが……」
「仕方ねえよ、一旦は避難する一般民の流れに沿おう」
モチロン避難誘導の流れに乗って進みすぎるとゲートで待ち構えている警察にショットが捕まっちまう。とにかく崩れそうなバラックや火災の煙を避けて人波に従いつつ、俺たちは適当な場所で横道に逸れた。
ゲートの東側は大量の廃墟ビルがそのまま放置されていて、スラムとバラック群の間に東西に長く敷かれている|境目《ゲート》も曖昧になっているエリアだ。
人が入れないようコンクリートの壁と金属製のフェンスが張り巡らされてるものの、リディアが易々とフェンスを歪めて通れるだけの穴を作ってくれた。それを見て他の住人たちも雪崩れ込んでくる。そのうち警察が気付いて追って来ちまうだろうな……。
「この辺りは相変わらず辛気臭いな」
「でもまだ静かだ」
この奥なら安全なんじゃないか?と安直に考えたが、オーサーの表情は未だ険しい。むしろこのまま東側からスラムを抜けて行くことも考えたけど、事前に強固なバリケードが設置されている事を確認済みだ、と教えられた。
そうとも知らずにこの先から逃げられると思って走って行く他のヤツらに何か言ってやりたい気もするが、言ったところでどうしようもない。そうか、だからこの前「不穏な流れがある」って教えに来てくれたのか。それにしても、まさかここまで大々的な計画だったとは。
「すぐに騒がしくなるだろうが、怪我人もいる。とにかく一度休むか」
入り口の壊れているビルのひとつに入り込むと1階は割れたガラスや壊された備品が散乱していたが、非常階段を見つけて2階に上がり、鍵の開いている適当な部屋に入ってみるとガランとした空間が広がっていた。
「この部屋の形状……多分、会議室だったみたいだな」
「懐かしいか?」
「俺、会社員やってたってお前に話したっけ?」
「情報通なんでな」
埃っぽいが気にせず床に座り込む。肉体的にもそうだが、精神的疲労が半端ない。もう立ち上がりたくない。リディアは相変わらず呑気そうにしていて、ショットを壁際にそっと下ろしてくれた。血が足りないのか顔色が悪い。
「シド、お前は大丈夫か?」
「うん」
「本当は西の方に移動したかったんだが……真逆に来てしまった。計画が崩れたな」
オーサーは心底不満そうにしてるが、とりあえずこのビルの中は今のところ静かだ。
「ここに居続けるのはやっぱり良くない、よな……」
「移動するのも危険を伴うが、もしここで閉じ込められて身動きが取れなくなったらそれもまずい」
「まあな……」
それに、こんな状況がいったい何日続くのかも分からねえし、確実に安全だと保証されてる場所があるんなら、そこに行きたいに決まってる。絶対にショットを捕まえさせるワケにはいかねぇんだ。
「うーん、くさりは簡単にちぎれたけど、|コレ《手錠》はかたーい」
「ありがとう、鎖だけでも充分だよ。手ぇ切れてないか?」
俺の腕に付けられた手錠を壊そうとしてくれているリディアの手を掴んでやめさせる。筋力の問題以前に、無理をすると皮膚が切れちまう。
「ごめんねちゃたろー」
「充分だって。実質これで両手とも自由なんだし」
今更だが、鉄製の鎖を引きちぎれるだけでも相当な怪力だ。でも諦めるのはパワータイプの|矜持《プライド》に関わるのか「壊せるものを探してくる!」とどこかへ走って行っちまった。
「あまり離れるなよ」
「はあい!」
「なあオーサー、どこに向かう予定だったんだ?」
「静かにしろ。いま道を考えてる」
真剣な様子のオーサーに水を差さないよう、俺はショットの隣に座って頭を膝の上に抱き寄せた。意識が薄いのかぐったりしてるけどやっぱり痛いのか辛そうで、少しでも楽になれば……と頭や肩を撫でてやりつつ、もう片方の手で隣に来たシドの背中をさする。
「とーちゃん……」
「大丈夫だからな。危なくなったらリディア姉ちゃんにしがみつけ」
不安そうなシドニーを見てオーサーは口を開いた。
「ゲート沿いにある西側の廃駅に昔の防空壕が残ってる。俺は少し前にその一部を買い取って、地下シェルターとして改造しておいたんだ」
「は……はあ?」
「そこには数日分の食料と医療キットも置いてある」
「おま……っなんでそんなもん所有してんだ?」
「言うだろう、備えあれば憂いなしってな」
横から小さく「あ、言ってた」とシドニーが言う。
「家みたいなものを買ったって、前にオーサー言ってた」
「まじかよ、備えのレベルが高すぎんだろ……よし、そこを目指そうぜ」
「当然、駅も包囲されているだろうが地下道を伸ばして別の場所に出入り口を作ってある」
警察の動きを確認して急ピッチで作業を進めたから所々突貫工事だが、崩れはしないだろう、と少し不安になるような情報をしれっと言われたけど、それしか希望が無いから聞かなかったコトにしておいた。
下から発砲音や騒ぎ声が近付いてくる。この場所もいつ警察に踏み込まれるか分かったもんじゃないし、医療キットがあるなら早く行きたい。ショットのケガが心配だ。
「俺たちはリディアみたいに屋根の上を飛び回れねぇんだ。地上を行くルートで向かう。その出入り口の場所を教えてくれ」
「ああ、ヘリも来てる。目立つ行動は控えたいから俺たちも地面を走るしかない」
「そうか……じゃあ一緒に行こう」
ショットが動けない上にシドニーも一緒にいる状況で、リディアとオーサーに引率してもらえるなら心強い。
「ちゃたろー!いいのがあったよ!」
嬉しそうに走って戻ってきたリディアの手にはビルに備え付けられている緊急脱出用の赤い斧が握られていた。
「おい怖いからよせよ」
「なんでこわいの?」
でも妙に似合ってて少し笑った。
「それは窓を割ったり扉を破壊する用だ。使えるかもしれないから持っておけ」
「はい兄さん!」
そんな話をしてるとバラックで起きた火災がこっちにまで回ってきたのか、ビル内に警報器の音と何か重いものが作動する振動が伝わってきた。スピーカーからも何か音が鳴っているが、ガビガビな音声で聞き取れない。
咄嗟にショットを庇うように抱きしめるとオーサーはシドニーの腕を掴んでリディアの近くに連れてってくれる。
「なに?オーサー、なんか怖いよ……」
「火災を感知したようだ。防火壁が閉じてしまうと脱出経路が分からなくなるかもしれない」
「えっ!廃ビルなのに?」
「防災関係の設備は停電してても作動する仕組みになってる。早く脱出するぞ」
流石の俺でもこんなビルの避難経路までは把握してない、と言ってオーサーはリディアに自身とシドニーを抱えさせた。
「おい、ついて来れるか」
「追いかける!」
俺はすぐ気を失ってるショットを肩に乗せて担ぎ上げた。いつか教わったレンジャーロールだ。
「まじで役に立つ時が来るとはな!」
「いいから早く来い」
服の上からは細身に見えるがしっかり筋肉の詰まってる体はズシリと重い。でもなんとか俺とショットの体格差でも立ち上がることに成功した。これならギリ走れそうだ。
表の入り口にはもう警察隊が集まっていたから、俺たちは裏口を探した。
「あっちに搬入口があるようだ。その角を曲がれ」
遠くの壁に貼られている地図も視界にさえ入ればオーサーは読める。指示を受けて迷いなく進むリディアの背中を追いかけた。
「とーちゃん、いけるー!?」
「う……、キツい!」
気を抜くと転んじまいそうだ。そうなったらもう一回担いで立ち上がるのは絶対に無理だと思った。
「仕方ないな、おい交代してやれ」
「はぁい」
もう廊下の先に出口が見えてたから、リディアは二人を下ろして先に走らせると駆け戻って来てくれた。
「貸して!」
「はぁっ……わり、ありがとな……っ」
「おい馬鹿共、防火壁が降りてる、走れ!」
リディアはショットを脇に抱えても変わらぬ俊足で半分降りてきてる防火壁の下を素早く潜り抜けたが、俺は足が限界で出遅れた。
「とーちゃん!早く!」
「今行く!」
「無理はするな、他にも出口はあるかもしれない」
さっき見た地図を思い出して繋がってる道を探してくれてるのか、オーサーが考えるような仕草をする。
「でもっ……!」
迂回して別の出口から出て別行動を取るのは不安だし、ショットから離れたくない。
「ちゃたろー、来て!」
ショットを外に投げ捨てたリディアが猛スピードで戻って来て俺の服の裾を掴んでくれる。
「|Shoot《すべって》!」
スライディングなんて中学ン時以来だ。下手な体勢を取ってガッと左肘が地面に当たった瞬間、肩が外れちまったのが分かった。
「あっ!」
痛みに反射的に勢いを殺してしまって俺の体は防火壁の真下で止まったが、容赦なくズルズル引き摺られて無事に抜け出せた……と思った。
でもその瞬間、ガツッと嫌な音がして左肩に強烈な負荷が掛かる。
――しまった。
「手錠が」
関節が抜けちまって引き寄せられなかった左腕の先……手首の手錠が防火壁に挟まれちまったようだった。
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