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第98話 命の代償 4

【命の代償 4】 「ダメ、ビクともしないよ」 「さすがのお前でもこれを持ち上げるのは無理か」  50cmはありそうな分厚い防火壁の下に手錠が挟まった状態で、完全に左腕が抜けなくなっちまった。古いビルで安全装置なんか備わっていないのか、異物が挟まってるってのに壁は上がるどころか下まで閉じようと少しずつ確実に俺の腕を押し潰していってるのがわかる。 「はっ……はぁっ……!」  やばい。どうしたらいい。 「……銃声が近付いてるな」 「みんなやっつけちゃう?」 「相手は|警察隊《正義の味方》、手を出せば俺たちが犯罪者だ。経歴に傷はつけたくない。戦闘は回避しろ」  今は手錠がつっかえ棒になってるが、そのうち手錠ごと腕が潰されるだろう。辺りが騒がしいおかげで壁が動作し続けてることに誰もまだ気がついて無いみたいだ。 「……う」  ギリギリと手錠が軋んでる。押しつぶされていく腕が圧迫されて、血が指の先に滞留して苦しい感覚がする。 「うーん……ねえちゃたろー、どうしよ?」 「……」  リディアに投げ捨てられたショットを探して首を持ち上げると地面に転がったまま意識を失ってるようだ。シドニーが必死で声をかけてくれてる。  よりによって俺のミスのせいで、こんな所で足止めを喰らわせるわけにはいかない。 「オーサー、リディア」  苦渋の決断ってやつだが、背に腹は変えられなかった。 「俺は、なんとかするから……。シドとショットを連れて先に行ってくれ。報酬なら、今支払う」 「……俺はそれでも構わないが」 「とーちゃん、やだよ!俺は悪いことしてないし、捕まらないから……だったらせめて一緒にここに残る!!」  辺りからは爆発音や発砲音がひっきりなしに聞こえてくる。ここも安全じゃない。 「これは取り締まりなんてキレイなモンじゃない……ただの粛清だ。無差別攻撃に巻き込まれる可能性もある……いいから早く逃げろ」 「それって、ここにいたら殺されるかもって事じゃんか!!」  その声に気が付いたのか、ショットがピクリと動いて顔を上げた。 「う、ぅ……ちゃ、た……」 「……ショット」  俺だって離れたくねぇよ。こんな状況で、アイツを俺の目が届かない場所に行かせたくない。マウロアにだって「俺がアイツを守る」って誓った所なのに。でも……。 「でも、だからってここに全員で揃っててもどうせ殺されるか一網打尽にされるだけだ……っ仕方ねぇだろ!!」  そんなの、俺だって一緒に行きたいに決まってる……そう強く思ったその時、ハッと気付いた。  ――いや、ある。ひとつだけ、ショットのそばを離れない方法が。 「……」 「とーちゃん?」  パッと視線をリディアに投げかけた。 「……リディア」 「なあに?」  その手にはさっき移動中に拾ったログピック付きの赤い脱出用斧がまだ握られている。 「そいつで……切ってくれ」 「切るって、ちゃたろーの手を?」 「そうだ。手首を落としてくれ」 「とーちゃん!?」  その瞬間、シドニーの驚いた声が辺りに響く。俺の言っている事にショットが気付いちまう前にコトを運びたい。 「シド、平気だから」 「平気じゃないよ!!」 「正気か?一度切り落とした腕はもう生えてこないぞ」 「知ってるに決まってンだろ!!早く!!」  これがやり直しボタンがあるゲームじゃないコトくらい、俺が一番分かってる。それが出来ンなら、ほんの数十秒前の選択をやり直したい。 「ごめんね、ちゃたろー」 「何を謝ってんだ、お前は何も悪くねえだろ」 「覚悟は出来てるんだな」  動悸が激しい。覚悟なんか出来てるわけがない。俺はふうふうと呼吸をなんとか落ち着かせて、少しでも心拍数を下げようと努力した。  時間がない。どうせもうすぐ潰されるしかないんだ。だったら今すぐ切り落としちまえば、一緒に行ける。 「早く、早くやってくれ」  オーサーはサッと俺の横に膝をつくと少しだけ腕を引っ張って、どうしても抜けないか最後にもう一度試してくれた。 「……安心しろ、死なせはしない」 「信用してるよ」  そしてリディアのポーチから何かの紐を取り出して、手際よく俺の腕に止血帯代わりに巻きつけてくれる。その後ろで「やめて、手錠を壊して」とシドニーが叫んでいた。 「ちゃ、た……?」  ただならぬ気配を察したのか、ショットがズルズルとこっちへ這い寄ろうとしてるのが見えた。ダメだ、まだ何も気付くな。 「リディア、早くやってくれ!!」 「わかったぁ」  呑気に返事をして、リディアが斧を手に近付いてくる。 「オーサー!お願い、やめさせてよ!」 「シド、黙って目を閉じてろ」 「……っ!」  こいつ馬鹿力なのは良いけど、狙い通りに斧を振り下ろしたりも出来んのか?でも、もはやそんな事を怖がってる場合じゃないよな……。 「じゃあやるね?」 「ああ」  リディアが大きく振りかぶったのを見て強く目を閉じた。 「せーのっ」 「ちゃた!!」  その時ショットが俺の足に触れたのが分かって、いつまでも衝撃がこないから目を開けるとリディアの邪魔をするように俺を庇ってやがった。無理に動いたのか、足が痛むようで苦痛に呻き声を漏らす。 「バカ、近寄んなっ!」 「ねえあぶないよぉ」 「なんで!なにしてる!」  上げた斧を振り下ろせないリディアを見て、シドニーが目に涙を溜めながらもショットを引き剥がそうとしてくれる。 「とと、ジャマしちゃダメ……」 「なんで……いやだ、いやだっ、ちゃた!!」 「ショット!離れてろ!!」  少し前、何があってもショットを守るって俺はマウロアに誓った。あの誓いは俺にとって、神サマに誓うよりもずっと重たい意味を持ってる。命さえ投げ出す覚悟だってとっくにした。腕一本切り離すだけでお前のそばを離れなくて済むなら、それでいいんだ。 「シド、そいつを黙らせておけ」 「で、でも……」 「本気だ。俺も、こいつも。出来ないなら俺が黙らせる」  離れろと本気で睨みつけたが、ショットはシドニーの腕を振り払って、リディアから隠すように俺に覆い被さって喚いた。 「いや、いや、いやだ!ちゃたにさわるな!!」 「うーん、イヤみたい。どうしよう?」 「ショット……聞いてくれ、あのな」  ぎゅうぎゅう抱きしめられて、耳元で何度も「ちゃたはおれがまもるから」って繰り返されて、何も言えなくなる。 「とと……」 「いやだ、いやだ……っいやだ!!」 「もういい。眠らせる」  オーサーは冷たく言い放つと俺の腰からスタンガンを抜き取り、少しだけ猶予をくれた。 「ちゃたっ……はぁ、はぁっ……」 「ショット」  防火壁に押しつぶされた手錠が歪んできて、手首に食い込んでる。早くしないと、いっそ切るより痛い目に遭いそうだ。 「シド、耳を塞いでやってくれるか」 「う……うんっ」  右手でショットの左耳を塞いでやると、シドニーが駆け寄ってきて後ろから抱きつくようにして右耳を塞いでくれる。 「俺の声、ちゃんと聞こえるか?」 「……ちゃた……」  モタモタしてる時間が勿体無い。それでも今は焦ったり痛がる顔を見せたくなくて、無理やり口元に笑みを作った。なるべく安心させてやりたかった。 「ショット、大丈夫だ。さっきは怒鳴ってごめんな。危ないから離れててくれ」 「ちゃた、なんで……」 「心配すんな、大丈夫だから。早く家に帰ろうな」 「……ん……いっしょに、かえる」  するとリディアに後ろから引っ張られたらしく、ショットの体が一気に俺から離れた。その直後にバチバチッと音がして意識を失った体が崩れ落ちる。 「ととっ」 「心配するな、軽くやけどする程度だ」 「おい、もっと優しくしてやってくれよ……」 「手荒で悪いな。さて、残念ながらお前は寝かせてやれないぞ。"脱出"した後は自分の足で歩いてもらわなきゃ困る」 「ああ」 「舌を噛むなよ」  口に何か布を突っ込まれて歯を食いしばると、今度こそリディアが斧を振り下ろした。  *** 「ひと段落だな。さて……生きてるか」 「……う」  痛み止めが効いてんのか頭がクラクラする。オーサーの呼びかけに目は覚めたけど、瞼が重くて持ち上がらない。  あの後、リディアがショットを担いでオーサーはシドと手を繋いでくれて、俺は意識を失わずにその背中を追うだけで精一杯だった。正直、必死すぎて周りの様子がどうだったのかとか、ほとんど覚えてない。  よく捕まらなかったモンだとこぼせば、オーサーは「西側はもう完全封鎖した気で警察隊が油断していたんだろう。そして大半が東側へ逃げ出していった住人たちを追って行ったことで手薄になっていたんじゃないか」と言ってから「銃を抜く羽目にならずに済んで良かったな、この腰抜け」と|揶揄《からか》うように付け足された。小さい悪魔め。  実際、車が通れる広さの道路は全て封鎖されてるだろうからって、こんな道あったのかって思う路地裏を何度も曲がった。ガキ共が普段高い場所を移動してるのは、そうやって街の地形を上から見て記憶する為だったのかもしんねーな。  それにしても元々ボロの積み重ねで出来てるバラック群は爆撃であちこち崩れまくって火災で更にぐちゃぐちゃになり、そこら中が土埃と煙にまみれてた。  でもそうやって地形が変わっちまってても正しい方角を見失わないオーサーは潰れて通れない道があっても迷わず進み続けて、落ちてくる瓦礫で追加のケガを負いつつもなんとか離れ離れになる事もなく俺たちは全員で生きて地下への入り口まで辿り着いた……ってトコまでは記憶がある。  最後まで歩かなかったなと厳しく怒られた。結局、リディアがショットと俺を両脇に抱えて歩いてくれたらしい。ズボンの膝が擦りむけてボロボロだ。他にもいつの間にやら全身キズだらけで、今は痛み止めで何もわかんねえけど、しばらく風呂に入ると痛いだろうな。それどころじゃねえか。 「|ここ《地下シェルター》じゃ最低限の治療しか出来ない。表が静かになり次第、すぐ病院へ連れて行く」  なんとなくだけど、申し訳なさそうにしているような気がした。もしかして"無事"に助けるって話だったからか。  でも俺にとってはこんな状況下でショットが捕まらずに済んだだけで充分すぎる成果だ。悔しいけど……オーサーがいなかったら、きっとダメだった。 「心配すんな。俺が、自分で選んだことだ」  眩しさに眉を顰めつつなんとか少し目を開けてそう言うとオーサーは気が楽になったように、いつもの捻くれた笑顔を見せてくれた。 「……ふ、そうか。お前は"そういう嗜好"の持ち主だったな」 「|身体改造目的の四肢切断《アンピュテーション》じゃねえよ」  いつもの軽口に少しホッとする。薬の副作用で身体中の筋肉が弛緩してて、呂律も回りにくいけど。 「武器庫の場所は……また、落ち着いたら案内するから」  そう言いながら俺の腹に突っ伏して寝てるらしいショットの髪を撫でた。体に力が入らなくて目視で確認することすら叶わねえけど、触り心地でこれはショットだと分かるくらいには撫で慣れた頭だ。 「入り口の鍵は、虹彩認証になってんだ。首領と……|コイツ《ショット》の右眼だ」 「ふ、お前も大概だが……やはり|奴《首領》もなかなかの"親馬鹿"だな」 「はは」  視線を動かすと左腕は止血のためか天井から吊り下げられてて、肘から先には袋が被せられてるから傷を見ないで済んだ。見てしまったら貧血でも起こして気を失ってた気がするから助かった。 「……守るなんて言って、俺……何もできなかったな」  つい弱音を吐くとオーサーは「人ひとりに出来る事などたかが知れている。お前は馬鹿で非力なりに充分やった」と多分、慰めてくれた。 「それにしても、まさかお前にあの判断が出来るとはな。おそらく、あそこに残れば死んでいただろう。腕を潰されて出血性ショックを起こすか、争いに巻き込まれるか……」  防火壁が作動し続けてる事、気付いてたのにあの態度だったのかよ。 「んだよ、褒めてくれてんの?」 「ああ、大したものだ」  調子が狂うな……なんて思いつつ、胸元のショットが動いたので髪を撫でる手を止めた。 「ショット?うるさかったか?」 「……」  ムクリと起き上がったかと思えば黙ったまま見つめられて、ほとんど癖でその頬に右手を添えるとスリッと甘えるような仕草をする。 「足は平気か?」 「ん……」 「起きたならちょうどいい。おい、|そいつ《茶太郎》にメシを食わせてこの薬を飲ませておけ」 「?」 「抗生物質だ」  傷口はカバーしてあるが、細菌感染には気をつけろと言い残してオーサーは立ち去って行った。古い防空壕に手を加えて地下シェルターにしたと言ってたが、もはや立派な住居にしか見えない。つくづく末恐ろしいガキ。  そうして2日後には外の騒ぎもおさまり、俺はリディアに担がれていつもの病院へ運び込まれた。怪我人だらけで病院は嵐のような状態だったが、飄々とした態度を崩さない例の医者に「今回はプレイ?性癖?」と聞かれて、俺は「勘弁してください……」と返すのが精一杯だった。

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