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第99話 命の代償 5

【命の代償 5】  あのとんだ大騒動から、半年後……。  |法外地区《ゲートの外》を治めてるマフィアは無事に新しいボスが決まって再建……すっかり力を取り戻し、情報操作の面ではオーサーも裏で何かと動いてくれたらしく、死者も逮捕者もそれなりの数にはなったものの、結局この街はまた以前の姿に戻った。  焼き払いでもしない限り、肥溜めは肥溜めってことだ。警察関係者にも被害は多かったらしいし、無実の人間の死傷者も少なくない。世間の批判を受けてそう簡単には次の取り締まりを行えはしないだろう。  できればもう|スラム《俺たち》の事は一生放っておいてほしいが、そうもいかねぇとは思う。俺も"地下シェルター"……備えておくか。なんて思った。  俺たちのアパートも多少は荒らされていたものの、修繕してまた住んでる。電気ガス水道は軒並み止まっちまってたが、首領の遺言によってこれから先も甘やかされ続けるらしいショットの恩恵に預かり、また通してもらった。  ひとつ良い部分があったとすればショットに恨みを持って絡んでくるような奴らも一掃されたから、日課の散歩の後に血を流して帰ってくる可能性がほとんど無くなったってコトかな。とはいえ治安自体は相変わらず。  新しく就任した"ボス"は以前からよく俺たちの面倒を見てくれてた首領の一番部下で、あの後しばらくは歩けないショットと片腕の生活に慣れない俺の世話を焼いてくれたりもした。  その時にいっそもっと良い場所への引っ越しも勧められたんだが……ま、住めば都ってやつだ。俺たちはここが気に入ってる。  その事を伝えたら「俺だって|そいつ《シュート》の事はもう10年見てきたんだ……これでも、弟みたいに思ってるんだぜ。困ったことがあればいつでも頼れよ」と言ってくれた。 「銃の撃ち方を教えたのも筋トレを教えたのも俺だ」 「なんだそりゃ」 「筋トレは健康にも精神衛生にもいいんだぜ。お前もやれよ」 「俺の精神は常に安定してるからいいや」  こんな風に周囲から想われてる事をちゃんと理解してんだかどうだか、ショットは相変わらずフラフラして、前述の通り絡まれたワケでもねえだろうに、どっかで頭でもぶつけたのかたまにケガをして帰ってくるから心配は尽きないけど。  28日になればマウロアの所に二人で挨拶に行くコトも珍しくはなくなって、寮生活の始まったシドニーは長期休暇には帰るからって言ってくれてるし、その時は皆でメシにしようなって約束もしたから、今はそれを楽しみに過ごしてる。こんな日々にまあまあ満足してるかな。  あと、オーサーはどうも俺が思ってた以上に筋金入りのガンマニアだったらしく、例の私的武器庫へ案内すると首領の残した秘蔵の一丁とやらを手に入れてそれはそれはご満悦の様子だった。  珍しく年相応にはしゃいだ顔をしてアレコレ|蘊蓄《うんちく》を聞かされたが、何ひとつ覚えてない。俺はショットみてぇに聞いた事をそのまま記憶する能力もねえし。  ああ、なにやらその昔、オークションで|600万ドル《当時6億6,000万円》の価格がついた伝説の歴史ある銃だとか言ってたな。金額だけは耳にこびりついた。  そうそう、武器庫の中は全く荒れてなくて、それどころか備蓄食料と、俺とショットへのちょっとしたギフトまで置かれてたから、首領は有事の際にはここをシェルターとして使えばいいと思ってたのかもしれねえなって後から気が付いた。  今回はショットと別行動しちまってたし、どうせここには辿り着けなかったんだけど……次からはここを緊急時の集合場所にしようって、近々話しておこう。  ちなみに、入る時に虹彩認証しようとしたらショットがずっとフラフラキョロキョロして無駄に苦労した。「ここを見ろ!」って示す俺の指先をじっと見つめてきたり。  出る前にオーサーがなにやら自分のパソコンを繋いでハッキングしてるなと思ったら俺の虹彩も追加で登録させてくれた。  お前ならショットがいなくても開けられたんじゃねーの?と聞けばフンと鼻を鳴らされた。武器庫の場所も知ってた可能性が高いな。  そして今日、突然オーサーに買い出し中に捕まってスラムのカフェまで連れて来られたかと思えばカウンターに並んで座って手始めに紅茶を奢らされた。  俺にケガを負わせた事をやっぱり気にしてたみたいで「アフターケアは無償で引き受けてやったぞ」と口を尖らせながら報告された。並びで座ったのは顔を見られない為か?可愛いとこあんな、コイツ。 「ん?なんだよアフターケアって」 「読め」  小型端末でネットニュースを見せられる。 「なに……世間を騒がせた、あの若き殺人鬼……セオドール・A・ブラッドレイの、死亡が……確認された……?」  俺が目を白黒させていると横からオーサーが「ほらな。"もっと良い物"が手に入ったろう」と不敵に笑った。 「な、な……っ」  異母妹事件の時に用意してあった"公的な死亡診断書"を使って、この混乱に乗じてセオドール・A・ブラッドレイを死んだ人間とさせたらしい。 「さあ、これでお前たちは晴れて名無し同士だ。精々自由に生きろ」 「オーサー!お前って……まっじで天才だ!!」 「知ってる。もっと言っていいぞ」 「最高!神童!世界一偉そうなクソガキ様!!」 「偉そうじゃない、偉いんだ」  相変わらず小さな体を全力で抱きしめると顔面をグーで殴られた。  ***  俺はアパートに戻るなり、リビングで何やら文字の練習をしているショットに飛びついた。 「ただいま!」 「おかえり」 「ショット!お前も、俺と一緒で"もうこの世にはいない人間"って事になったんだ!」 「なに」 「俺たちは死人なんだよ!」 「ちゃたうれしそう」  今日はどうも"シドニー"の練習をしてたらしい。後ろから抱き込むように手を回してスペルの間違ってる部分を赤ペンで直してやりながらその頬に何度もキスをする。 「こしょばい」  死人……そう、もういないんだ。セオドール・A・ブラッドレイも山代 茶太郎も、死んだ。今ここにいるのは単なるシュートと茶太郎なんだ。 「なあ、なあ……新しいファミリーネームを考えたんだ。俺とお前とシドニーの」 「おれとちゃたと、シドの?」  嬉しくて嬉しくて、顔が緩むのを抑えられない。そしたらキョトンとしてたショットもだんだん嬉しそうに目元を緩ませて珍しく満面の笑顔になった。 「ちゃた、うれしそう」 「ああ、嬉しいんだよ!」 「ちゃたうれしいの……おれうれしい」  可愛い事を言いやがるからついキスをして話が中断しちまった。 「マウロアのファミリーネームと一緒にするのも考えたんだけどよ、そうしたら俺たちもあのファミリーの一員みたいになっちまうだろ。それは俺の中では違うからさ……」  ショットの持ってるペンを借りて、俺は机の紙に"KANOA"と書いた。 「か……の、あ?」 「そう。なんだお前、いつの間にか|単体の文字《アルファベット》そんなに読めるようになってたんだな」  偉いぞ、と額にキスしてやる。 「|マウロア《永遠》と同じ国から来た言葉でな。自由って意味なんだ……カノア、なあどう思う?」  んで、マウロアのファミリーネームは欲張って俺とお前のミドルネームに頂こうぜ。と言えば、分かってんのか分かってないんだか、よく分からねーけど、とにかく嬉しそうに頷くんだからいいだろ。  俺はそのままその紙に"|Chute《シュート》 Lewis KANOA"と書いた。 「あ……なあ、結局お前って|滝《Chute》なの?|撃つ《Shoot》なの?」 「なに」  世間的には通称"Shoot"で通ってるみたいだが、俺はその前にこいつが"|Cadere《カディレ》"と呼ばれていた事を知っている。だとすると、マウロアはそこから派生させて"|Chute《シュート》"とコイツを呼び始めた可能性も大いにあると今では思っていた。 「お前の名前のスペル、これで合ってる?」 「わかんない」 「そうだよな」  お前の記憶の中のマウロアに訊いてくれねえ?と冗談混じりに言ってみたが、俺は"Chute"を選んだ。これなら、カディレと呼ばれていたコイツの過去も含める事ができる。 「な。じゃあ今からお前の名前はシュート・レウウィス・カノア」 「レウ……イス……?ロアといっしょ」 「そう、んで俺も一緒。茶太郎レウウィス・カノア」  こんなもん、勝手に決めて名乗ったモン勝ちだ。だって今の俺たちには名前がないんだから。 「いっしょの……名前……」  そう言ってショットは俺の文字の近くに"茶太郎 Lewis KANOA"と真似をして書いた。 「はは、もう茶太郎ってスラスラ書けるようになったな」 「ちゃた、これ」 「うん?」  するとパッと振り返って腰を抱き寄せられる。 「いっしょの名前……おれとちゃた……"ほんとう"の家族みたい」 「……バカ、本当の家族だっつってんだろ、ずっと前から」  左腕を首に回しながら右手でその頬に触れて、額をくっつけ合わせた。 「ちゃた……おれ、うれしい」 「俺も嬉しいよ」  何度も何度も軽く触れるだけのキスをすると腰と背中に回されたショットの腕に更に力が込められて、どんどん仰反るようなポーズになる。 「ちょっ、お前まだ足が……!」 「へいき」 「こら!」  俺も人のことは言えねぇが、コイツだって大概な丈夫さだ。アキレス腱を断裂されたってのに……。 「俺たちにとっては、この世が既にあの世みてーなモンだよな」 「なに」  痛みも、苦しみも、この世界の生き辛ささえも、その全部が……こいつとなら心から愛おしい。 「本物の地獄に堕ちる日まで、精々仲良くお付き合いしてくれよ」  そう言って笑うとショットもへらっと笑った。

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