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Side 4 誰にも変えられないもの

【誰にも変えられないもの】  どんなに傷がついても、どんなに汚されても、変わらないものがある。それが人間としての本質なんだと思う。  "あいつ"の人生は綺麗なばっかりじゃない。傷つけた人も、奪った人生もある。他にも罪をたくさん犯してきた。それらを無かったことにはできないって分かってる。  それでも、生まれ持ったあいつの優しさと無垢な心だけを愛したこと、俺は死ぬまで誇りに思うだろう。  ***  朝から昼過ぎまでオフィスワークをして、買い物をして帰る。メシを作って、夜まで働いて帰ってくるシドニーを待つ。それが今の俺のルーティン。  俺の存在がシドニーの足を引っ張ってんじゃねえかなって時々考えるけど、良い人が出来たら遠慮なく結婚して出て行くから気にしないでって言われた。  本当かねぇ……と疑いつつもその言葉を信じて、今は家族で暮らせる日々を大事にしてる。 「じゃあおやすみ、父さん」 「おう、おやすみ」  そうして1日が終われば、俺は寝る前にサイドボードに置いてある水を換えて、デザートイーグルを軽く磨いてからベッドに潜り込む。 「……」  ひとりで寝転がってるとたまにあいつの体温を思い出しちまう。汗だくになるくらい暑い日でもくっついて寝てたな。  こういうことを考え始めると眠れなくなるから、潔く諦めて"アイツ"との思い出に浸ることにしてる。  いつか、シドニーが中学校の恋愛事情に悩んだ時に「ととのどこが好きなの?」みたいなことを聞いてきたことがあったな。あン時は照れ臭くてロクになにも答えられなかったけど、今ならいくらでも語れるくらい俺の神経は図太くなった。  ちょっと眠いだけで「ちゃた、しんどい?」って心配してくるところ。飲み物に咽せて咳き込むと落ち着くまで背中をさすってくれるところ。伝えたいことがある時、俺が察するまでじっと見つめてくるところ。名前を呼ぶと「なに」って返してくるところ。俺にだけワガママを言って、俺にだけ笑顔を見せてくれるところ。  俺の作ったメシが食べたいって言ってくれるところ。俺の名前を書けるようになってくれたところ。いつでもポカポカあったかいところ。手に乗せたモン、なんでも口に入れちまうところ。愛してるって、真正面から言ってくれるところ。全身で好きを伝えてくれるところ。優しくて、素直なところ。  宝石みたいな青緑の瞳も、傷痕の残る左頬も、サラサラの金髪も、不器用で無骨な手も、俺の顔を舐める舌につけられたピアスも、辿々しく「ちゃた」って呼ぶ低く掠れた声も、全部好きだ。今も。  気がつけば朝になってて、いつの間にか眠ってたみたいだ。あいつの夢を見た気がする。寝る前にあんなに考えてたからだな。  今日は仕事が休みだから、シドニーを見送ってからひと息ついて、オーサーに電話をかける。もうすぐ秋になるから。 「……あ、もしもし」 『いつ来るんだ』  携帯を耳に当てたまま思わず笑う。 「挨拶もなく要件かよ」 『久しぶりだな』 「ああ、相変わらずそうだな」  まあ例年通り10月下旬にそっち行くからさ、と伝えれば「部屋を用意しておく」と言ってくれた。みんなで暮らしたアパートはもう完全にボロになっちまって、浮浪者が住み着いてるらしい。  俺も一度見に行ってみたけど、1階のコインランドリー跡地にあった洗濯機のガラクタは使えそうな部品だけ盗まれてて、床に染みついた血の跡があった。ありゃ"あの時"のだな。 「シドはそんなに休みが取れないみたいで、命日に合流するってさ」 『わかった。じゃあ食事は11月2日でいいか』 「そうだな、早めの時間で頼む。そのまま帰るから」  ありがとな、と伝えれば鼻で笑われた。オーサーは来年の半ば頃を目処にあのマンションを退去して旅に出る予定らしい。もちろんリディアも一緒に。  *** 「さて、今年も汚れてるだろうから綺麗にしてやらねえとな」  まだこっちで仕事があるシドニーを残して、先にスラムへ向かう朝。BBに連絡したら駅まで迎えに行くって言ってくれたから、今日はまず墓場の掃除からだ。  俺が清掃作業も含めて墓参りを楽しんでることを理解してくれてンのか、BBは芝生とマウロアと首領の墓だけマメに手入れしてくれてる。それとも、「お前が清掃しねえと汚れてくぞ」って、俺の生きる目的を作ってくれてンのかもしんねえな。 「あんまりひとりで無理しないでね」 「やりたくてやってんだ」 「だからってケガしない保証にはならないでしょ。ととが心配してまたケンカになるよ。お墓になんていない、いっつも父さんの近くにいるに決まってんだから」 「はは、わかってる」  こういうのは生きてる側のエゴなんだ。俺だって、あいつが墓で大人しくしてるとは思ってねえ。シドニーの言うとおり、きっとあいつは俺の近くにいるだろう。今も背中にへばりついてるかも。 「寂しがりだからな」  そう言うとシドニーはガキの頃と変わらないイタズラな笑顔を見せた。 「それって、ととが?父さんが?」 「……さあ、どっちだろうな」 【誰にも変えられないもの 完】

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