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Side 6 引越し準備と思い出話
【引っ越し準備と思い出話】
引っ越しの準備をしてると、いよいよこのアパートを出ていく実感が湧いてきて、寂しい気持ちになる。それは父さんも同じみたいで、何かを思い出すみたいにゆっくりゆっくり荷造りしてた。
「父さん、荷造りできた?」
「そうだな。まあ持って行くべきモノなんかほとんど無いけど」
家具は全部あっちの家に新しく用意されてあるし、服もボロばっかりだから買い直すまでの期間分だけ。
「……なあ」
「うん?」
呼ばれて振り返ると父さんは手に俺が小さい頃に作った手作りの封筒を持ってた。その中にはととの手紙が入ってる。
「今更だけどさ、コレ、どういう|経緯《いきさつ》で作ったんだ?」
「ええ?キッカケはなんだっけなあ……」
***
休みの日、朝ごはんの後にリビングでととが"茶太郎"を書いてるのをぼんやり見守ってると、とーちゃんが「なんか今日やたら眠くてさ、俺もうちょっと寝ててもいいか?」だなんて確認してきた。晩メシは手抜きになるかも、なんて。そんなこと、いちいち断らなくてもいいに決まってるのに。
「いいよ、風邪?大丈夫?」
「いや、眠いだけ」
今日は休みだから、俺が退屈するんじゃないかなって心配なのかもしんないけど、ひとり遊びには慣れてる。とともいるし。
「ゆっくりしててよ」
「ありがとな」
寝室に入ってった背中を見送って、また机に目を落とす。
「とと、これ線が足りてないよ」
一緒に練習してるうちに俺も"茶太郎"が書けるようになった。これはとーちゃんのお父さんとお母さんの国の文字なんだって。線が多くて難しい。
真剣なととの横顔を見てるとなんだか微笑ましくて、ふと思い立った俺は「とと、とーちゃんにお手紙書く?」って聞いてみた。
「なに」
「お手紙。いつもありがとう、大好きだよって伝えるんだよ」
床に放り出されてる紙の端に"いつもありがとう"って書いて、「ほら、いつもありがとうって書いたよ」と説明しながらととに渡してみる。そうしたらととはしばらくまじまじとその紙を見つめてた。
「……」
「ねえ、とともする?」
「する」
とーちゃんの調子が悪いって気がついたらきっと心配して落ち着かなかったと思うし、この提案はちょうど良かったなって自画自賛した。
「じゃあまずは内容を考えなきゃね」
どんな"ありがとう"が言いたいかな。そう呟いたら、ととは無表情のまま3分くらい固まってた。こういう時に俺は何も言わずにぼーっとして、ととが口を開くのをじっと待つことにしてる。
「……いっしょに、いること」
「一緒にいること?」
聞き返したら「ん」と小さく返事があった。
「いつも」
「いっつも一緒にいてくれること、ありがとうって言いたい?」
確認したらととは新しい紙を目の前に持ってきて、ペンで真ん中辺りを示しながら「ここ」って言う。
「わかった。あとは?」
俺は質問しながら"いつも一緒にいてくれてありがとう"って手元の紙にメモをした。
「ちゃた好きなこと。ここ」
そう言いながら、さっきより少し上の辺りをペンで指す。
「……いいね。とーちゃん、感動して泣いちゃうよ」
メモに"茶太郎が好きです"って文も追加して、ととの前に置いてみた。
「こっちが、好きってこと。こっちが、いっつも一緒でありがとうってこと」
「わかった」
ととが慎重に文字を書き写してる様子を見守りながら、俺は封筒もあればいいのに……なんて考えてた。紙とノリで自作できるかな?
「書けた?間違いない?」
「……ん」
ととは疲れてるみたいだったけど、せっかくだから最後に"S"だけ書き足してもらった。
「なにこれ」
「ととからのお手紙だよって目印!」
「……」
Sでいいんだよね?と思いながらその紙を預かる。ととは一回ふうって息を吐いて立ち上がるとフラフラ外に出て行っちゃった。満足したのかな。すぐ渡さないなら、封筒も作ろうかな。
なんて考えてたら寝室からガタッて音がしたから振り返った。
***
「……詳しくは忘れちゃったけど、父さんが眠いって言って、俺とととだけで過ごした日があったでしょ」
「なんとなくそんな日もあったような……」
「あの日に、文字の練習の延長で作ったんだよね」
確か封筒はその後に俺が手作りしたんだったかな。内容はととが考えたし、全部ちゃんと直筆だってことも伝えると、父さんは「ああ、そうだろうなって思ってた」って珍しく仏頂面を崩して微笑んでた。
「ととって、"照れる"みたいな概念がないよね」
平然と「ここに好きって書く」「いつも一緒にいるのが嬉しい」だなんて言えるのすごいなあと思う。
「いや、あいつ照れるよ」
「ええ?ウソだあ」
父さんが変な顔しながら「こんな感じの顔するよ」って言うから笑っちゃう。そんな顔するとと、俺は見たことない。
「やっぱ父さんは特別なんだね」
「……そりゃなあ」
ととと違って父さんは照れ屋だから、こういう時にモゴモゴするのが面白くてつい笑うとジロッと睨まれた。
「お前の荷造りは終わってんのかよ?」
「うん。高校で寮に入る時に大事なものはもう持ち出してるし」
ここに残してて回収していきたい物といえば、緊急ボタンくらいかな。そう言いつつ壁に取り付けられたSOSって書かれてるボタンを取り外して見せると父さんはくつくつ笑った。
「そうだな、俺もひとつ持っとく。何かあれば押せよ。いつでも駆けつけるからな」
「頼りにしてる」
【引っ越し準備と思い出話 完】
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