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Side 9 残された最後の断片

【残された最後の断片】 ▼茶太郎 46歳の年の年末  ――手紙でも書くかって言われたけど書くことなんか無くて困っちまうな。  ああ、ここはまじで快適だ。親父に言っておけよ、もう二度と帰らねえかもな。――  たったそれだけの短い手紙。いや、手紙と呼べるのかすら怪しい、何かの書き損じの裏に書かれた雑な文字たちに少し笑う。こういうのって検閲がかかって、お行儀の良い文章に正されるんじゃねえのか?って思うけど、まあテキトーだったんだろうな。 「……にしても、ガキくせぇ強がりだな」  俺は先月バイロンから預かったアタッシュケースを机に置いて、消印の古い順からマウロアの手紙を読み始めた。さっきのはその1通目だ。次に古い手紙はそれから2ヶ月後くらいだった。ほんの少し緊張しながら内容に目を向けて、書き出しからいきなり弱音が書かれてあったから俺はまた笑った。  ――参ったよ、俺は絡まれてるだけだってのに。このままじゃ刑期が永遠に延ばされちまうな。  そうそう、今日、新入りが来たんだ。残念ながらひとり部屋生活は終わりってこった。でも大人しいやつで助かったよ。  変なあだ名で呼ばれてたみたいだからさ、|シュート《Chute》って呼ぶことにした。なかなかいい名前だろ。――  その名前に思わずドキッとした。そりゃアイツのコトが書かれてるからバイロンが俺に渡してきたわけで、当たり前なんだけど……改めて目の当たりにするとやっぱり、妙な感じがする。俺以外の人間がアイツのコトをこんな風に語ってるなんてな。  変なあだ名ってのは"カディレ"のことだろう。そのコトも、マジで本当にあった過去なんだなって実感する。懐かしいような、どこか寂しいような、なんとも言えない気分だ。  思ったより1通ごとの内容が少ないから、さっさと読んじまうのが勿体無い気がして俺はコーヒーを淹れることにした。  今日は仕事が休みだから家の片付けや洗濯を終わらせてからこの手紙に手をつけ始めたんだが、シドニーが帰ってくるまではまだ4時間くらいある。慌てなくていい。あと3通の手紙を、たっぷり時間をかけて読もう。 「……」  多分、これらの手紙から読み取れる過去の断片が、俺に残された"アイツについて知れるコト"の全てだから。 「……さて」  コーヒーで汚しちまわねえよう、カップを机の端に置いて3通目の手紙を手に取った。  ――よお、元気か?そろそろ俺が恋しいんじゃねえのか。  なあ、シュートって単に大人しいのかと思ってたけど、言葉も何も知らねえだけなんだ。教えてやると、いろいろ話すようになってきたよ。  でもすげぇ素直だし良いヤツだよ。粗雑だけど他にも色々、共同生活ってやつを教えてやってる。ま、今じゃ俺の可愛い弟分ってトコかな。――  この手紙のいくつかの行は黒く塗りつぶされてて、どうやら検閲に引っかかったようだった。暴力的なことでも書いてあったのか、マフィアたちへの秘密の暗号でも書いてあったのか。そうでなくとも、そうだと判断されて消されたのかもしれない。 「余計なコトしやがる」  そこに何かが書かれて、誰かが意図的に消したと分かってしまえば、"初めから何も無かった"状態より何倍も気になるじゃねえか。  俺はその紙を窓越しに太陽に透かしてみたりしたけど、全く読めそうに無かった。 「仕方ねぇな」  また一口コーヒーを飲んで、ふうとひと息つく。  可愛い弟分、か。少年院に入れられたばっかのアイツはどんな感じだったんだろうな。手紙から察するに、ほとんど喋らなかったんだろう。  素直で粗雑って表現があまりにもピッタリで笑えちまう。決まった時間に起きて、メシを食って、運動をしたり労働をしたり……社会生活ってのを、きっとここで教わっていったんだろう。  次の手紙はそっからまた何ヶ月か空いたみたいだった。マウロアはマメじゃなかったんだな。  ――しばらくぶりだな、兄弟。前に手紙を書いたのっていつだったか、もう忘れちまった。なにしろシュートとの生活が大変でよ。  なあ笑えよ。俺、たまに|子守唄《ニンナ・ナンナ》を歌ってやってんだぜ。そうしないと目を開いたまま一向に眠らねえ時があんだ。  俺はコイツが心配だよ。俺より刑期が長いんだ。俺が出て行ったらどうすンだって。誰かがちゃんと見てやってくれんのかよ。最近は毎日そんなコトばっか考えてる。――  この手紙にも消された跡がいくつもあった。その部分に関しては諦めるしかないが……とにかくアイツのコトばっか書いてるな。他に書くような出来事も無いんだろうけど、それにしてもだ。  俺だって大概だと自覚はあるが、過保護な"前任者"の痕跡に胸が苦しくなって、らしくもなく涙が出そうになった。 「……」  次の手紙が最後だ。今日はやめておくか、悩むけど正直気になる。でも、コレが最後なんだって思うと躊躇もする。  とはいえここまで来て手を止められるワケもなく、俺は少しだけ深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから最後の手紙を開いた。  そのほとんどは黒く塗りつぶされていて、ほとんど文章として読み取れないくらいだった。それでも多少は残しておいてくれてる分が係の優しさなのか、それとも問題の無い内容に書き直させるのが面倒だっただけなのか、俺には知る由もない。  ――シュートを守ってやりたかった。もっと栄養のあるモンを食わせてやりたい。ちゃんと毎日太陽の光に当たらせたら、まだ成長期に間に合うかも。  良いヤツなんだ。モノを知らねえだけでさ。優しいトコもあるんだぜ。誰もそれが分からねぇだけなんだ。  なあ兄弟、頼むよ。もし俺が――  読めたのはそれが全部だった。間にも所々消されてる単語はある。でもとにかく、マウロアがアイツの身を案じてたってのはよく分かったし、もしかしたらバイロンに託すコトになる可能性を予想してたのかもなって思った。 「……はぁ……」  手紙を丁寧にアタッシュケースに戻して蓋を閉じてから、3時間くらいあるシリアスな映画にどっぷり浸ったような気分で机に突っ伏す。 「うー……」  今日はもう、立ち直れそうにない。そこそこ精神的にダメージを受ける覚悟をして読むことを決めたつもりだったけど、やっぱりしんどかった。  頭の中でグルグルとアイツの過去についての想像が膨らんでいく。ああ、ダメだ。このままもっと昔のコトまで想像しちまって、地の底まで落ちそうだ。  もっと昔……少年院に入れられるまで、どこかで1人だけでも、アイツの人生を拾い上げようとしてくれる人間がいたんだろうか。いや、いたからってなんなんだ。もしいたとしても、結末は変わらない。 「……」  アイツは幸せだったんだ。生きてて良かったって、確かに言ってくれた。それが全てだ。それを忘れはしない。俺の関与できなかった過去の出来事に引き摺られて、アイツの人生を不幸だったなんて考えるのはダメだ。  まだ今の俺には読むのは早かったなと苦笑しながら、吐き気のする胃を左腕で押さえつつアタッシュケースをクローゼットに片付ける。いつかヨボヨボのジジイになれば、この手紙も懐かしい気持ちで微笑ましく読める日が来るかもな。  ちょっと横になりたくて寝室でベッドに乗り上げると即刻寝落ちしたようだった。心配そうなシドニーに揺り起こされて、その日は薄味のチキンスープだけを飲んでさっさと寝た。 【残された最後の断片 完】

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