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番外編◆もしもの世界のBOX 未来の話 1
【もしもの世界のBOX 未来の話】
茶太郎 高校3年(16歳) テッド 中学1年(11歳)
俺の住んでる海沿いの街からパロスベルデス・ドライブウェストへ乗り込み、トーランスにあるデルアモファッションセンターを通り過ぎてテッドの家へ向かう。信号待ちをしながら調子よく鼻歌なんか歌って、指先でハンドルをトントンと叩いた。
先月、長年の願いが叶い無事に免許が取れて、晴れて俺はようやく一人でテッドに会いに行けるようになった。とはいえまだ16だから条件付き免許で、夜間早朝の運転と20歳未満の同乗者は認められないけど、今のところ大満足だ。
どうせ学校終わりに立ち寄るか休日にこうして顔を出しに行って、夕食をいただいたらお暇するっていうルーティンになってる。何の不都合もない。
だから18になって条件が無くなったら、テッドと二人きりでドライブをするってのが次の楽しみなんだ。最近は気持ちを言葉で伝えてくれることも増えて、テッドの穏やかな声を思い出すだけで胸がポカポカする。
「……」
今は父さんが普段使ってない車を借りてるけど、大学生になったらアルバイトも始めて、自分の車を買おう。なるべく静かで、揺れが少なくて、座り心地が良いやつ。
なんてすっかり浮かれながらテッドの家に到着して車を降りる。あれ……変だな。この頃は俺の車の音に反応してテッドが出てきてくれるのが当然だったのに。
家に近づくとリビングの窓の遮光カーテンが閉じられてる。嫌な予感がして、無意識に手汗をズボンで拭った。
「……|Hello《こんにちは》?」
中は薄暗くて静かで、明らかに"刺激"を減らすようにしてる。それだけでテッドに何かあったんだと分かった。
「茶太郎くん」
「どうしたの?こんな、薄暗くして……」
そっとリビングに入るとお母さんがいて、俺は不安な気持ちが膨らんで挨拶より先に「テッドは?」と尋ねた。
「その、驚かないでね」
そう言いながらソファに誘導されてついて行くと左目の上にガーゼを貼られて元気のないテッドがぼんやり横たわってた。
「……テッド」
声をかけても反応しない。目は開いてるから、起きてるはずなのに。痛みに鈍感なところがあるテッドは普段からケガをしてしまうことはあるけど、こんな姿は見たことがない。ましてや、俺の声に反応しないなんて。
「な、何があったの」
思わず取り乱しそうになったけど、出来るだけ穏やかな声を出すように努めた。
「実は……」
今日、テッドは学校を早退したんだと聞かされた。昼休みに、倒れてケガをしたから。それも……クラスメイトたちのイタズラのせいで。
突如として湧いた無邪気な好奇心に晒されたテッドは突然囲まれてイヤーマフを奪われて、両耳を後ろから手で塞がれたらしい。呼吸が浅くなってフラついて、転んだ拍子に机の角で額を切ったって。
「わざとじゃなかったらしいの」
「……」
俺は生まれて初めて感じる耐え難いほどの"怒り"に腹の中が気持ち悪くなって、吐く息が震えた。
「わざとじゃなかったら、なんなんだよ」
まだ幼さの残る柔らかいテッドの頬に触れる。真っ白なガーゼが痛々しい。傷口を見たら俺は倒れてしまうかもしれない。
「……」
「テッド……」
反応は無いままだけど、小さい手がゆっくりと俺の手に重ねられた。
「子供のしたことだし、反省してくれたから」
倒れたテッドの血に驚いたクラスの子たちがすぐ教師を呼んで保護してくれて、大事には至らなかったと説明されたけど、納得できるハズがない。
「だからって、これがもし階段での事故だったりしたら?もし切れたのが目だったら?」
「……そうね」
「傷跡が、一生残るかもしれない……っ」
悲しいような、悔しいような……自分でも説明のできない感情が溢れ出して、泣きそうになった。俺の介入できない場所で、テッドが辛い目に遭うことがまったく受け入れられない。
「もう学校なんか行かなくていい、全部オンラインに切り替えようよ」
「とにかく、しばらく中学校はお休みさせるから」
落ち着いて、と背中を撫でられてふーっと息を吐く。目の前がくらくらした。
「絶対にオンラインにしよう」
「気持ちはわかるけど……」
「人との関わり方は俺が教えるから」
切実に訴えたけど、「過保護に守るだけが正解なのかわからない」と言われて目尻に浮かんだ涙を乱暴に拭う。
「紅茶でも飲む?せっかく来てくれたのに、ごめんね」
お母さんがキッチンに向かったから、俺はテッドの頬に当ててた手を耳に滑らせて、額に口付けた。
「……」
「守れなくて、ごめん」
テッドに触れていいのは俺だけなのに。
それから結局テッドの通学は短縮登校に切り替えることになって、学校側との連携を強化したから安心して、と言い聞かされた。そんなこと言われたって正直イヤだ。
心配で仕方ないけど……俺はまだそこまで口を出せる関係性じゃないから、押し黙るしかなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
茶太郎(20)テッド(15)
大学やアルバイトの後にテッドに会いに行くのが今の俺の日課だ。早く車を買うためにアルバイトは忙しいけど、それでもテッドに会わない選択肢はない。
あの"最悪な事件"から4年が経って、テッドは通信制の高校へ通うことになった。あんなことは二度と無かったけど、落ち着いて学べる環境の方がテッドに向いてるんじゃないかって。俺は大いに同意して、今じゃテッドの自宅学習の手伝いもさせてもらってる。
読み書きはやっぱり苦手みたいだけど、散歩と料理が好きだってことがハッキリと分かって、最近はよく喋るようにもなった。
「……んー……テッド」
「なに」
今日もテッドの部屋で一緒に勉強をしてたけど、ずっと俯いてて肩が重くなってきたから、立ち上がって「ちょっと外の空気でも吸おうか」と提案する。
「そと?」
「ああ。デルソーンパーク行こうぜ」
そう提案すれば、テッドは嬉しそうに「いく」と言ってくっついてきた。車ですぐの公園はいつものお決まりの場所だ。俺とそう変わらない身長になってきたテッドはすくすく成長中で、たまに熱を出す時もあるから変化を見逃さないように気をつけてる。
「あ、待って茶太郎くん」
「うん?」
出かけようとしてるとお母さんに呼び止められた。
「突然ごめん、来週と再来週はウチに来てもらえないの」
「え……なんで?」
そんなコトを言われるのは初めてだったから、反射的に聞き返す。
「お義母さんがね、会いに来てくれることになって……2週間くらいこっちで過ごすの」
お義母さんって……つまり、テッドのおばあちゃん?恋愛結婚に反対してて、テッドのことも認めてないけど、誕生日プレゼントだけは毎年贈ってくれてるのを俺も知ってる。
「いよいよ本格的に和解?」
「うん、そうなることを願ってる」
それはめちゃくちゃ良いコトだし、そこに俺が出入りしたらまた話をややこしくしちまうんだろう。
「わかった、じゃあ公園で会えばいいかな」
「ありがとう。送り迎えはするから」
別に会えないってわけでもないんだし、俺は特に気にせずテッドといつも通り過ごしてその日は帰宅した。
家に帰って寝る準備をしてると姉貴が突然「ねえ、あんたたち……大丈夫なの?」と話しかけてきた。
「はあ?何がだよ」
「ネットニュース、見てこれ」
差し出されたスマホを見ると、SNSで年齢差のあるカップルが盗撮拡散されて酷い誹謗中傷に遭っているという記事がまとめられていた。
カリフォルニアの"同意年齢"は18歳で、成人と未成年の交際に対する世間の目は厳しい。
「……年齢……」
そうか、俺とテッドだって20と15……ずっと当たり前に一緒にいたからちっとも意識してなかった。
「特にあの子みたいな大人しい子が相手だと、20と15っていう表面的な数字しか見ない人たちはきっと『あんたが搾取してる』って捉えるから」
実際にこうしてSNSで晒されて強烈なバッシングを受けたり、警察が介入するケースも珍しくはない。
「……気をつける」
同じように誰かが俺たちの様子を撮ってネットに晒す可能性はゼロじゃない。そうなると俺たちは"不適切"とみなされて引き離されるかもしれない。なにより、万が一にもテッドが世間に晒されて議論のネタにされるなんて絶対にダメだ。
***
次の週末は雨が降ったからデルアモで過ごすことになった。けどつい周りの目が気になって、俺は一日中ずっとぎこちなかったと思う。
「テッド……じゃあ、また来週な」
「……ん」
買い物をしてたお母さんと駐車場で合流して解散する時、どうもテッドの元気が無いように見えた。俺の変な態度のせいかな……と反省しつつ顔を覗き込もうとするとパッと手を握られたから反射的に振り解いちまった。
「っあ……」
「……」
違うってすぐに言いたかったけど、テッドの傷ついたような顔に気が動転して何も言葉が出なかった。
「お待たせ、どうしたの?」
「いや、その……テッド」
弁解する余地もなくテッドは車に乗り込んじまう。慌てて何か言おうとしたけど拒絶するみたいに手で耳を覆うからもう何も言えなくなった。
「テッド?疲れたのかな……耳栓はちゃんとしてる?」
お母さんが振り返ろうとすると後続車がクラクションを鳴らしたから、「また電話する」と車は行っちまった。
家に帰ってからすぐ電話をかけたけど「帰ってすぐ寝ちゃったの。成長期のせいで体が痛い時もあるみたいだし、疲れてるのかも」って言われた。
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