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番外編◆現代日本の世界のBOX 1

【現代日本の世界のBOX】 ◆大学生茶(19)中学生撃(14) ◆リディア(8)オーサー(3)クレイグ(9) ◇マウロア(撃と同い年) (今回は出番なし、学校で撃の面倒を見てくれている)  ***  新宿駅の人の多さは何度体験してもクラクラする。俺はこういうの苦手だ。人は少なければ少ないほどいい。でも今日はどうしても大きめの文房具屋に行かなきゃならなかったから、ゲンナリしながら駅構内を歩く。  その時、何かが足に当たった。 「ん?」  それは聴覚過敏の人が着けているような、防音用のイヤーマフだった。壊れてしまっているようで、持ち上げると片側の耳当ての部分がプラプラと揺れた。  なんでこんな所に。こういうのって高いんじゃないのか?そうでもないんだろうか?よく知らないけど。  なんとなく気掛かりでそれを手に持ったまま辺りを見回すと、足早にすれ違い続ける人波の先、コインロッカーが大量に並んでいるエリアの片隅に何かが見えた気がした。 「……」  全くの見当違いかも。そう思いつつ近付いて行けばヘルプマークを付けた学生鞄を背負っている金髪の少年が硬直したように突っ立って手で両耳を押さえながらガタガタ震えてた。  背負ってるのはランドセルではないけど、小学生くらいに見える。 「はっ……はっ……」 「おい」  声をかけても反応がない。こんな小さい子に「おい」ってのもまずかったか。触れても平気だろうか。驚かさないよう視界に入る位置まで回り込んでからそっと肩に触れた。 「……っ」 「大丈夫だから、一旦座ろう」  背中を支えてやりながら一緒にその場にしゃがみ込んだけど、ここは人が多くて落ち着けない気がする。とはいえ人のいない場所を探す方が難しい駅だ。  せめて少しでも外部刺激を減らしてやろうと覆い被さるように俺の体で壁を作ってなるべく薄暗くて狭い空間を作ってやった。 「……あ、そうだ」  俺はノイズキャンセル機能のついてるイヤホンを持ってる事を思い出して急いでポケットを漁った。 「ちょっと嫌かもしんねーけど」 「は……はぁ……っ」 「ごめんな、大丈夫だから」  少し嫌がるように体を引かれたけど、とりあえず着けさせてくれたので、スマホを操作してノイズキャンセルをONにする。 「……っ、……」 「な、ちょっとマシだろ」  少年は驚いたようにパッと顔を上げてこっちを見た。 「お……」  その瞳がやけに綺麗な青緑色でビックリした。金髪は染めてんのかと思ってたけど、どうやら自前だったらしい。 「おわっ」  グラッとその体が揺らいだから慌てて抱き止めて床に座らせると手を握られた。指先が氷のように冷たい。 「大丈夫」 「……」  大丈夫だ、と言い聞かせてやると少しずつ落ち着いてきてるのが分かってホッとした。  5分くらいそうしてたかな、床に座り込んでる少年に合わせてずっとしゃがんでたから足が痺れてきた。俺も床に尻つけちまうか、と少し身じろぐと握られてる手に思いきり力が込められて「いてて」と声が漏れた。 「俺も座るだけだから安心しろ」  そう言いつつ空いてる方の手で頭を撫でるとまたじっと見つめられたので、嫌だったかなと思って離した。でも意外にもその手を捕まえて猫みたいに頬を擦り寄せられる。気持ちよさそうにしてるからスリスリと撫でてやった。 「よかった。落ち着いたみてぇだな」 「……」  この少年にどんな風に世界が見えてるのかは分からないけど、普通の聴覚の俺でもこんな場所にいたら人酔いしてドッと疲れちまう。  不慮の事故で突然イヤーマフが壊れちまったんだとしたら、人の足音、衣擦れの音、息遣い、話し声、その全てが突き刺すような刺激になって一気に襲いかかってきたのかもしれないと想像するだけで胸がぎゅっとなった。  俺にも覚えがある事でいえば、ドライヤーを使ってる時なんかにノイズの中に着信音や自分を呼ぶ声が聞こえるような気がする時がある。これは広範囲の周波数の音が一気に聞こえてると無意識にそういう音を耳が追ってしまう現象なんだとか。  こういうイヤーマフを使ってるって事は、一定の音で何かパニックに陥る事があるのかもしれない。この人ゴミの雑音の中、聞きたくない音が脳内で反響しまくったとしたら。 「……怖かったな」 「……」  俺の言葉が分かってるのか分かってないのか、くりくりの瞳でまじまじと見つめられ続けて気まずい。 「えーと……」  つい視線を逸らした瞬間、背後で「あー!いたぁ!」という大声が響いて、金髪ツインテールの少女が駆け寄ってきた。 「シュート、ごめんね、だいじょーぶ?」 「この子の友達か?」 「うん!おんなじおうちにすんでて、おんなじインターナショナルスクールに通ってるの!」  声がデカいな。今は俺のイヤホンを貸してるからいいけど、どうやって帰らせよう?イヤーマフは壊れちまってるってのに。 「予備の耳栓とか持ってるか?」 「うーん、もってないの」  俺のイヤホンをこのまま使わせてやるにも、スマホと連動してないとノイズキャンセル機能が切れちまう。 「……え、同じおうちって……君らは兄弟なのか?」 「ちがうよ!あのね、ようごしせつなの」 「ああそう。どこの?」  仕方ねえな、乗りかかった船だ。 「八王子だよ」 「また遠くから来てんだな……なんでこんなトコでこんなコトになってんだよ」  少年に手を貸して立ち上がらせると腹に頭を預けられた。もう辛くは無さそうに見えるけど、懐かれたかな。 「あのね、兄さんにおたんじょーびのプレゼントしたくて、ないしょでさがしに来たの。でも私、まちがえてシュートのマフこわしちゃったから、シュートびっくりしちゃったの」  どうしたら間違ってイヤーマフの骨を折るような事態になるんだ。 「ガキだけでこんな遠くまで電車乗ってきちゃダメだろ」 「ごめんなさい」  とにかく移動しよう。少年……シュートが疲れてるように見えるし。送ってやると決めたんならさっさと動いた方がいい。 「買い物は済んだのか?」 「ううん……でももういいの」  買えなかったから、と呟く少女が悲しそうで、何を買いたかったのか一応聞いてみた。 「じしょだよ。でもおこづかいで買えなかったの」  渋い誕生日プレゼントだな。 「あー、俺のお古でよければやるよ。どうせ調べモノはスマホでするんだ」  勉強しようと思って買ったものの全く使わず鞄に入れたままだった英英辞書をくれてやると少女は飛び上がって喜んだ。辞書ならなんでも良かったんだろうか。 「やったー!ありがとー!」 「なああんま騒ぐとコイツがしんどいんじゃねーの?」  とりあえず中央線のホームに向かって歩き出すとシュートが手を握ってきた。まあ……いいか別に。その指先がさっきより暖かくなってて安心したし。  シュートがしんどそうに見えたから、俺はなけなしのバイト代をはたいて三人分の特急指定券をスマホで購入してやった。ひとり千円程度でも、週2の居酒屋バイトで遊び代を捻出してる大学生には痛い出費なんだ。  休日には家に篭ってジオラマをチマチマ作るのが俺のささやかな趣味なんだけど、今月の給料が出たら買おうと思ってた塗料は来月に持ち越しだな。やれやれ。 「ほら、大人しく座ってろよ」  少女はリディアと名乗った。お友達と並んで座れよ、と言ったがシュートは俺の横がいいみたいで離れなかった。 「ひとりだけこっちの列でも平気か?」 「うん!シュートをお願いね!」 「ああ」  席に座るとシュートは肘置きを退かしてすぐ俺の膝の上に頭を乗せて横になった。 「コイツ、警戒心とかねえの?」 「そんなことないよ、めずらしいよ!シュートはちゃたろーが好きになったみたい」  本当か?なんか、誰に手を引かれても素直にホイホイついて行きそうで心配だな。  ***  駅から更にバスに乗り、しばらく歩いて施設に着くとまた別の少年が駆け出してきた。 「シュート!リディア!!」 「ただいまぁ」 「バカ!お前らだけでいったいどこ行ってたんだよ!けいさつに行こうかって、今みんなが……」  これが"兄さん"とやらか?と思ったけど、その後ろ、施設の入り口にめちゃくちゃ偉そうにふんぞり返ってる幼児が立っている。まさかとは思うが、あっちが辞書を所望した"兄さん"だろうか? 「あの、すみません……あなたは?」 「ん?ああ、俺は茶太郎。たまたま|コレ《イヤーマフ》を拾ったから……なんだ、付き添い?だよ」 「そ、それだけのりゆうでここまで来てくれたんですか?おれはクレイグです、本当にありがとうございます」  しっかりしてるなあ。君が一番お兄ちゃんなのか?って聞いたら、このメンバーの中ではシュートが一番のお兄ちゃんらしい。まじかよ。むしろ一番年下かと思ってた……。  体も細っこいし、ゆっくりした仕草のせいか物凄く幼く見える。まあ無事に送り届けた事だし、使えないとは思うけど一応壊れたイヤーマフを返してからそろそろ帰ろうかなとスマホで帰りの電車を検索する。  その間もシュートはずっと腰にひっついてて、なんか俺もこの状況に慣れてきた。そうするとクレイグが予備の耳栓を持って来て、俺のイヤホンを返してくれた。 「リディア、イヤーマフにさわっちゃダメっていつも言ってるだろ」 「ズレてたからなおしてあげようと思ったんだもん」  どうやらこの子は少し触るだけで物を壊す才能があるらしい。  すると偉そうな態度の幼児が近寄ってきて「ウチの馬鹿共が世話になったようだな。これは手間賃だ」と金を握らされた。何が何やら。 「じゃあ俺そろそろ……」  ちょうど今から向かえばジャストでバスが来そうだし。そう思って来た道を引き返そうとしたらシュートが抱きついてきた。 「おっ、と」 「シュート、ちゃたろーかえるって」  バイバイして?とリディアが言うとブンブンと頭を振る。おお、初めてハッキリと意思表示したな。自我があるのか。当たり前か。  中腰になって目線を合わせると何か言うより先に顔を掴まれて頬に頬を擦り寄せられた。一瞬キスされるのかと思ってビビった。 「シュート、もう大丈夫だろ?俺は帰らなきゃ」 「……」  涙は出てないけど、なんとなく泣いてるように見えて参っちまう。 「どうしたモンかな」 「ちゃたろー、とおいけど……またあそびに来て」 「わかったわかった」  俺も気にならないと言えば嘘になるし、元気にやってるかまた様子を見に来よう。遠いから電車代もバカになんねーし、たまにしか来れないとは思うけど……。  ***  なんて出会いからあっという間に3年が経った。たまにしか来れないとか言ってたクセに、気がつけば俺はこの"おうち"で過ごす時間がどんどん多くなり、今だって膝の上にシュートの頭を乗せてやりながら卒論を書いてる。 「……あーめちゃくちゃ眠くなってきた」  ドタッと仰向けに寝転がるとすぐにのそのそ乗っかられて、首筋に甘噛みをして吸いつかれた。よくわかんねーけど、こうしてると安心するみたいだから好きにさせてやる。 「はは、くすぐったいって」  今日は泊まっていってやれることになったから、それを伝えると嬉しいのかフスフスと興奮した鼻息がかかった。  夢遊病の気があるから普段はどうしようもなくて、寝る時には拘束衣を着せられて鍵のついた窓のない部屋に隔離されてるらしい。それは他害だけでなく自傷を防ぐ為でもあるから、シュートを守るために仕方ないコトらしいけど……それを聞いた時にはズキズキと胸が痛んだ。だから何があっても自己責任で構わないからって頼み込んで、こうして泊まれる日は一緒に寝てやってる。 「久しぶりに一緒にシャワーするか。頭洗ってやるよ」  シュートが俺を舐めたり吸ったりしたがるのは、猫が赤ちゃん返りをして毛布を吸いながら揉んだりする感じに近いのかなって勝手に解釈してる。  部外者がこんな風に出入りして良いのかと職員と話した時には、ほとんど感情を見せないシュートが唯一こんなにも心を開いてる相手だから特例だと言われた。  前よりずっと元気になったし、食欲も増したし、むしろ無理のない範囲でもっと来てあげてほしいと。  生みの親には酷い目に遭ったらしいから、俺の事を安心して甘えられる相手だと思ってくれてるならそれは嬉しいことだ。 「ちょっとだけ寝る……」  いつでもポカポカあったかいシュートの体を抱きしめてやりながら、俺はふと、前から考えてた事をポロッと口にした。 「なあ……俺、お前のこと引き取ろうかなと思うんだけど」  まだ22だし、大学も卒業してないのに何言ってんだって感じだけど、そうしなきゃならねえ気がして。この施設にシュートがいられるのは最長でもあと3年。その間にしっかり仕事を見つけて、生活を成り立たせて、3年と言わずなるべく早く迎えに来ようと思ってる。  今でも週3くらいはここに来てるけど、会えない日は気がかりで仕方なくて、俺の方がしんどくなりそうなんだ。シュートも、俺が来ない日はすげー落ち込んでるらしいし。 「どう?」  ちょっと吸うのやめろ、とシュートの顔を掴んで目を合わせる。 「いいと思う!」 「うわっ、帰ってたのか」  突然のリディアの登場に驚いて手を離すと顔を舐められた。 「シュート、ちゃたろーが大好きだもん」 「ここを出た後コイツがどうなんのかなって、俺この頃ずっと考えちまってさ。毎日そわそわ心配するくらいなら、決めちまおうかと」  左顔面が涎まみれになってるが、いつものコトだ。 「ちゃたろー、たくさんお仕事しなきゃだね」 「ああ、養わなきゃならねぇ奴がいた方が働き甲斐があるだろ」 「えへ!」  引き取ります、はいどうぞってワケにはいかないだろうからこれから色々と用意しなきゃいけねえけど、それも別に構わないと思える。  そうして俺は大学卒業、就職と共に研修を受けたり家庭訪問を受けたりしてシュートの里親になった。施設には元々頻繁に出入りして職員とも顔馴染みだったし、ずっと一緒にいたのも知られてるから信頼度や関係性の確認なんか、形式だけのモンだったけど。  シュートが成人の年齢になれば、普通養子縁組を結べばいいかとぼんやり考えてる。まあ別に法律上の扱いなんて俺にしてみればどうでもいい。その時に必要だと思う道を選べばいいよな。  引き取ったすぐ後くらいにシュートは成長期が始まって、驚くほどのスピードで一気に俺より体が大きくなった。その時、酷い成長痛や環境が変わったストレスのせいか突発的な高熱に苦しんでるシュートを置いて仕事に行かなきゃならないのが辛かった。  だから今の俺は在宅で働けるよう、資格を取ってフリーランスになる為に勉強中だ。帰ってきてもあんまり構ってやれないから、それはそれでシュートが毎日寂しそうではあるけど。  早く人の多すぎる東京を出て、どっか静かな田舎に引っ越してやりたいと思う。乳飲子を背負いながら畑仕事をする母親の如く、自分より大きくなった里子を背中にひっつけながら毎晩勉強の日々だ。こんな毎日も悪くはない。  あ、ちなみに言えば、それから数年後に半分襲われる形でシュートと関係を持っちまって……俺はそれを受け入れた。里親としてはどうなんだと思わなくもないが、まあ形式的に"里親"と呼ばれる立ち位置にいるだけであって、俺もコイツを自分の子供だと思ってるわけじゃねーし、さすがに。5歳しか離れてないんだからな。  じゃあどういうつもりで一緒にいたんだって言われたら難しいけど、とにかく誰よりも大切で、幸せにしてやりたい相手なだけだよ。だから、他の誰でもないコイツが幸せそうだからそれでいいんだ。その愛情がどんな形であれ、つまり俺たちは家族なんだってことには変わりないから。  

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