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番外編◆現代日本の世界のBOX 2
【現代日本の世界のBOX 2】
◆社会人茶(27)撃(22)
友達たちがいる"おうち"からあまり離れた土地を選ぶのもどうかとは思ったんだけど、リディアは施設の運営を行っていたオーサーに引き取られて――何者だあのガキ――仕事の関係とやらで国内外飛び回ってるし、クレイグも遠縁の親戚がいるとかでイギリスに行っちまった。
どうせ親しい友人も離れちまったなら、無理に東京周辺にいるよりいっそ離島で古民家でも買ってリノベーションしたりするのも楽しいかもな。
シュートに何かあれば連絡すればすぐ行くから好きな場所に行けってオーサーは言ってくれてるし。頼もしいことだ。アイツまだ11歳のはずだよな?
「うーん……南の島にでも住むか?それとも北?お前どこがいい?」
どっか出かけるつもりなのか外出用の耳栓をつけて靴下を履いてるシュートに話しかける。環境が変わったらまたコイツは体調を崩しそうな気もするし、合わなかったからまた引越しってのはなるべく避けたい。
「あ、俺も一緒に行こうかな」
「……ん」
ふと思いついてそう言うと嬉しそうに抱きつかれた。今日はそんなに仕事溜まってないし、たまには一緒に外の空気を吸いに行くのも良いモンだ。
「ついでに晩メシの買い物して帰ろうかな。今日はパッタイの気分なんだけど俺」
いい?と聞きながら先に出て行った背中を追いかける。そうだ、こんな風に一緒に外出すんの久しぶりだから、たまにはドーナツ屋にでも連れて行ってやろうか。確か甘くないメニューもあったよな?
「そろそろ春だなあ」
お前寒くないの?と言うと頬に触れられた。指先までポカポカだ。
「相変わらずあったかいなお前は」
笑うとぎゅうと抱きしめられた。
***
公園に到着して、木漏れ日の下でポケーッと日向ぼっこしてるシュートをベンチに座って観察する。それにしても、大きくなったなあ。最近は少しずつ声らしきモノも出すようになったし。
他害する様子はないけど夜中にフラフラと歩き出す事は今でもたまにあるから、寝る時は玄関扉のチェーンは必ずかけて、窓やベランダから落ちないようにだけは気を付けて見守ってる。
もしかしたら、どっか行きたいのか、誰かに会いたいのか……もう少しだけでいいから、アイツの望んでる事をしっかり受信してやれたら良いんだけどなあ。
その時、不意にシュートがパッと公園の入り口の方に目をやった。つられて俺もそっちを見るとシュートと年の近そうな青年がいた。
「……シュート……お前、まさかシュートか?」
「……」
どうやら知り合いらしい。誰だろう?
「シュート!元気だったのかよ!」
なんとなくシュートの背中が嬉しそうに見えるし、怪しい人間じゃなさそうだから黙って見守ってた。
「なんだよ、デカくなったな!」
青年はシュートよりは小柄だけど、格闘技でもやってんのか鍛えてる感じの筋肉の詰まった良いガタイをしてる。そしてキョロキョロと辺りを見回して、俺を見つけるとじっと見つめてきた。
「……」
「……よお、シュートの友達か?」
沈黙が流れたのでこっちから話しかけてみると少し不審そうに睨みつけられた。先に質問からしたのがまずったかな。
「えーと、はじめまして。俺は山代 茶太郎っていうんだ、その……」
「アンタがコイツを連れ去ったのか!」
「つ、連れ去ったって」
思わぬ方向から怒鳴られて驚く。とりあえず反射的にシュートの耳栓を確認した。ちゃんと着けてるな。
「落ち着けよ、俺は正式な手順で……」
「何が目的だ?コイツに何かしたらタダじゃ済まさねえぞ」
「おいおい」
何か誤解が生じてるらしいが、冷静に話せそうもない。
「シュートは俺が迎えに行くって約束してたんだ!なのに日本に帰ってきたらもう"あの家"からいなくなってて……!」
「……あ、じゃあ君が"マウロア"か」
施設の人に話は聞いていた。シュートのインターナショナルスクールでの同級生で、学校でめちゃくちゃ面倒を見てくれてたって。中等部の終わりにイタリアに飛んじまったんだけど、その時に「お前は俺の弟だ、絶対に迎えに来るから」って言ってたって。
それを俺は幼い子供たちの微笑ましい思い出の1ページみたいに聞かされてたから、こんなに真剣な話だとは思ってなかった。
シュートが中学生だった間は俺もなかなか余裕がなくて"おうち"にあまり通えてなかったから直接会った事はなかったし、引き取りを真剣に考え出したタイミングはもう少し後だったから、マウロアも当時は俺の存在を全く聞かされてなかったんだろう。
「あの、情報が入れ違ったのは悪かったけど、俺はシュートを……」
「うるせぇ、この誘拐犯!」
とんだ言い草だ。今は何を言ってもダメそうだな。とりあえず親しい友人の怒鳴り声なんかシュートに聞かせたくない。
「落ち着いて話そう、えーと、ドーナツでも食べに行かないか」
「……舐めてんのかコラ」
さっきまでのぎゃあぎゃあ威嚇するような態度から一変して、完全に据わった目をして胸ぐらを掴まれた。刺し殺されそうな圧を感じる。
職員のひとりがコッソリ教えてくれたんだが、マウロアの家はイタリア系のマフィアだとか。へえ……くらいに思ってたけど、もしかしたら本当かもしれねえな。ハワイマフィアじゃねえのか、|マウロア《ハワイ語》なのに。とは思うけど。
まあ今はそんだけ大事に思ってた友人が消えたショックと、見つけた喜びと、連れ去った俺に対する怒りで冷静じゃないとはいえ、それだけシュートを大切に思ってくれてる奴がいるって事が単純に嬉しい。
「……あの」
「勝手に喋るな。俺が聞いたことにだけ答えろ。テメェは……」
マウロアが何か続けようとした瞬間、隣でずっと大人しくしてたシュートが突然胸元を押さえて咳き込んだ。
「けほ、けほっ」
「シュート!?」
「どうした」
慌てて手を伸ばすとパッと掴まれた。その指先は別に冷えたりしていなくて、ひとまずホッとする。マウロアがその背中を|宥《なだ》めるようにさすった。
「っふ……けふっ」
「おい、大丈夫かよっ」
まだ何かが喉に詰まったようにけっけっと咳き込むシュートを見てマウロアは心配でたまらないといった様子で|狼狽《うろた》えてるけど、この感じを俺は知ってる。
「シュート、落ち着け。何か言いたいのか?」
「は……?」
軽微な発声障害があるシュートは今までずっと話さなかったけど、最近はたまに声を出す時がある。発声障害とはいえ全く声が出せないような状態ではないらしいから、口を利かなかったのはただ単に元来の大人しい性格のせいか、幼少期のトラウマが関係してるのかも……って聞いてる。
だから俺はシュートが声を出しても出さなくても、良くも悪くも何の反応もしないようにしていた。まあ、実際あんま気にしてないし。だってコイツって話さなくても充分に感情豊かだから。
「……っ」
「焦らなくていいから、ゆっくり話してみろ」
繋いだ手をぎゅっと握ってやるとシュートはしばらく口を開いたまま発声を試すように小さく何度か「あ」「う」と漏らした。
マウロアはその様子を信じられないモノを見たような目で見つめている。そうだよな、中学の時のコイツは全く喋らなかったんだし。
「ちゃ、た……、お」
「ん?」
密かに練習してくれてるのは知ってたけどこうして呼ばれたのは初めてで、さすがに内心ではめちゃくちゃ驚いたものの前述の通りデカいリアクションは耐えた。
惜しくも"茶太男"になってたけど……シュートが言いにくいなら"茶太男"に改名するか、いっそ。俺が寄せていくスタイルで。
「……ぉあ」
「ま、まじかよ……シュート、今っ、俺を呼んだのか!?」
対するマウロアは心底嬉しそうにしてて、それはそれでシュートもちゃんと嬉しそうだから良い。頑張って呼んだ甲斐があったよな。
「……」
「ああ、ケンカしてんじゃねーから安心しろ」
「そうだな……悪かったよ」
さっきはあんなに険悪な空気だったのに、シュートがたった一度小さく名前を呼んだだけで全部解決しちまった。
***
三人揃って仲良くドーナツ屋に行き、シュートはクリーム入りの甘そうなやつを、マウロアはコーヒーを、俺はパスタを食べる。
「遠慮せず食えよ、ドーナツ屋だってのに」
「アンタもドーナツ食ってねえだろ」
「甘いモンそんな好きじゃねーんだよ」
少し落ち着いた所でお互いに口を開いた。
「中学ン時のシュートのこと……」
「アンタはなんでシュートを……」
当たり前っちゃ当たり前だが、気になるのはやっぱりシュートのことだ。思わず笑うとマウロアも笑った。
「中等部での思い出はたくさんありすぎるから、まずはなんでアンタがシュートを引き取る事になったのか聞かせてくれよ」
「ああ」
そしてお互いに無意識レベルの動きで同時にシュートの口についたクリームを拭ってやろうと手を伸ばして、俺たちはまた笑った。
***
それから色んな話をして、俺の知らなかった子供時代のシュートの事もたくさん知る事ができて、俺とマウロアは連絡先を交換して解散する事になった。
「正直、良かったよ。アンタがいてくれて」
「俺は信用に値したか?」
「ああ……シュートの反応を見てたら嫌でもな。大人になったら絶対に俺が引き取ってやるって思ってたけど、俺は国を跨いであちこち飛び回る事も少なくない。その度にコイツを連れて移動させるのは心配だった」
だからってひとりにさせるのも嫌だったし、と少し悔しそうに言う。本当に大事に思ってくれてんだな。
「……ありがとな。またいつでも会いに来てやってくれよ」
「おう。あ!でももしシュートに手ェ出したりしやがったら殺してやるからな」
コイツの目には未だにシュートが14の頃の細くてか弱そうな姿に見えてんだろうか。
「……」
「なんだよ」
「いや、その」
手を出されたのは俺の方っていうか……と呟くとマウロアは数秒固まった後、まあそれならいいか。と納得した。
「いいのかよ!」
「コイツが望んだならそれでいいよ。アンタ、生意気にも拒否しやがったら許さねえぞ」
「無茶苦茶だなお前!シュート至上主義かよ!」
「ま、そんなとこ。アンタもそうだろ」
それに関しては否定できない。シュートが俺の名前を正しく発音する為なら改名も辞さない。それを言うとマウロアもデレデレしながら「俺も今日から"マウオア"に改名する」って言ってた。コイツとは仲良くなれそうだ。
「疲れてるみたいだから早く連れて帰ってやれよ。またなシュート」
またな、と言われてシュートは少し寂しそうにしてたけど、思ったより聞き分けよくその背中を見送った。学生の時からマウロアとの「またな」には慣れてるんだろう。
「良かったな、久しぶりに会えて」
それに、俺も会えてまじで良かった。一緒に散歩行こうって思ったの、虫の知らせってやつだったのかな。
疲れただろうから買い物はやめにしてまっすぐ家に帰ってきた。今日の晩メシは冷蔵庫にあるモノで適当に作ろう。
「そうだ、冷凍してる実山椒そろそろ使い切らねーと今年のシーズンが来ちまうし、本格的な四川風麻婆豆腐にしようかな」
昼は甘いモンだったし、夜は辛いモンな。と冷凍庫を漁りながら言いつつ振り返ると思ったより近くにいたシュートに背中から抱き込まれた。
「おっ、なんだなんだ」
「……ちゃた」
「!」
昼間は冷静を装ってたけど、二人きりでこんな風に呼ばれるとつい反応しちまう。これからずっと一緒にいるんだ。コイツが言葉を発する事も、名前を呼ばれる事も、当たり前にしていくつもりで……それでもやっぱり、嬉しくて。
「なっ……どうした」
ゴソゴソと服の中に手を突っ込まれて、背中に硬くなったモンが当たる。
「おい、こらっ、ソレはメシとシャワーを済ませてから……」
腕の中から逃れようと身を捩ると首に噛みつかれた。
「う……っ」
わかった、わかったから、風呂!と顔を押し返すと担ぎ上げられて風呂場に連行された。
***
結局、俺の仕事の取引先の本社があるし、親族が近辺にいて頼りやすいからってのと、自然と都会の具合が良い感じに混じってるから俺たちは京都亀岡に引っ越してきた。
オーサーは好きな所に住めって言ったけど、まあ一応新幹線を使えば3時間半で八王子に行けるから安心だし。
あんまり人里を離れすぎると自給自足が大変すぎて構ってやれる時間が減りそうだし、もしシュートが突然倒れたりした時に担ぎ込める病院が無いってのも不安だし……って、また"シュート至上主義"になっちまってんだけど。
とりあえず内科外科精神科その他諸々、今までの記録を全部もらってきて、ネットレビューも参考にしつつ、家の近くにシュートのかかりつけ医を作っておく所から俺の引っ越し準備は始まった。
生活には車が必須な土地を選んだけど、夜が静かで街灯も少ないからそれくらいでちょうど良い。少し走らせればすぐ便利なエリアに出られて、必要なモノはなんでも揃うし。
こんなのがあればなって思ってたような古民家がピッタリ見つかったからってのもデカい。新卒の頃からこの時の為にコツコツ貯めてきた貯金を頭金にして、ローンを組んで……ってつもりだったけど、オーサーに「独立祝いだ」って一括でポンと買い与えられちまった。だからなんなんだよあのガキは。
更にマウロアのファミリーからも「引越し祝いだ」ってリノベーションしてもらっちまったし。そんなワケでめちゃくちゃ住み良い一軒家が予定の何倍も早く完成した。
だから俺は浮いた金で中古の軽トラを買って、シュートが上手く眠れない夜は荷台に布団ごと乗せてやって田舎道を走り回ったりしてる。そのまま二人で寝転がって星を見上げたり、夜のピクニックをしたり。言っとくが下品な暗喩ではない。
「お前って、まじで周囲から可愛がられてるよなあ……」
「?」
「それは唯一無二の才能だよ」
家の周りには川もあるし、森もあるし、峡谷もある。夏には蛍が飛ぶし、紅葉も綺麗だ。ただ、泳げないって聞いてるから水には絶対に入るなとは口酸っぱく教えてある。まあ本人も大量の水は怖いみたいで近づかないから安心だ。
おれが家で仕事をしてる間、シュートは毎日あちこち散歩して楽しそうにしてて、ここを選んで正解だったかなって思うと嬉しい。
やがて一悶着ありつつ子犬を拾って家族の一員が増えたり、料理を覚えたシュートが毎日メシを作ってくれるようになったりして俺の|QOL《生活の質》はどんどん爆上がりした。
心配だからシュートを引き取る、なんて偉そうなことを言ってたけど、幸せにしてもらってんのは今となっては俺の方なのかもしれないな。
きっとコイツがいなかったらこんなに必死で資格を取って個人事業主になったりしなかったし、住む場所にもこだわらなかったし、休日にのんびりと森の中を散歩するような事もなかった気がする。
「ちゃた」
「ん?どうした、一緒にやりたいのか?」
仕事の息抜きに趣味のジオラマ作りをしてると珍しくシュートが覗きにやってきた。
ここは元々はシュートの部屋のつもりだったんだけど、毎日俺の部屋で寝て全く使うつもりがなさそうだから、俺の趣味部屋にさせてもらった。
「なあここ良い感じに仕上がっただろ?先週悩んでた……」
気に入ってる部分を指差しながら喋ってると突然頬にちゅっと軽くキスされて驚いた。
「わっ……シュート?」
「すき」
初めての「好き」に思わず手に持ってた工具を取り落としていくつかのパーツが壊れて飛び散った。
「ちゃた、すき」
「お……おれも……すき……」
頭が真っ白だったけど脊髄から勝手に返事がこぼれ出た。
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