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番外編◆現代日本の世界のBOX 4
【現代日本の世界のBOX 4】
◆社会人茶(31)撃(26)
昼メシの用意をしてると、外からシドニーの吠える声が聞こえてきた。俺はサッと血の気が引く感覚がして、一も二もなく火を止めて庭へ飛び出す。
音に敏感なシュートのコトを分かってくれてるみたいで、シドニーは無闇に吠えたりしない。俺に何かを伝える時も仕草で伝えてくれる。
靴も履かずに庭に出て、シドニーの声がする方へ走った。「どうした!」と叫びたくなる気持ちを抑えてその姿を探す。何か異常事態があったとしても、俺は絶対に大声を出さないって決めてるんだ。
「シュート」
裏手の芝生でシュートは顔を手で覆って|蹲《うずくま》ってた。
「シュート、どうした」
そっと背中に触れてその横に膝をつく。震えてもないし、呼吸も落ち着いてる。シドニーが心配そうに周りをウロつきながらキュウキュウと鳴いているので頭を撫でてやった。
「家に入ろうか、立てるか?」
「……」
支えて立ち上がらせると両手で目を隠したまま歩き出したから、砂でも入ったのかと思ってぶつからないよう誘導しながら家の中に連れて入った。
リビングに座らせて、見るから手をどけてくれって言っても黙ったままじっとしてる。
「何か目に入ったのか?痛いか?」
頭を撫でながら聞いてみると首を振るのが分かった。
「気持ち悪い?ぐるぐるする?」
「……」
何か言おうとして口を開くが言葉が出てこないみたいだ。痛くないのに目を隠してる……その姿を見て、もしやと思った。
「……眩しいのか?電気消そうか」
言ってみると小さく頷いたから部屋の電気を落とした。
「消したよ、ゆっくり開けてみろ」
「……」
手に触れて顔から離させる。顔にケガは無かった。おずおずと目が開かれて青緑色の瞳が覗く。部屋は薄暗いけど、充血してるようでもないし、一体どうしたんだろう。
「あれ……?」
暗いから瞳孔がいつもより開いてて、異変に気が付いた。左目の中心がなんとなく白っぽい。
「シュート、これ見えるか?」
指を動かしてみるけど、見えにくいのか目を細める。
「心配しなくていい。とりあえず今からメシ食って、午後診イチに病院行って先生に診てもらおう。な」
「……」
いつもは病院はイヤがるんだけど、さすがに自分の状況を理解しているのか素直に頷いてくれた。
さっと昼メシを作り終えてシュートに食べさせながら、かかりつけ医に電話をかける。昼休憩の時間だったけど出てくれて、状況を伝えたら午後診が始まる少し前の時間帯に診てもらえる事になった。
「シド、ありがとな」
まだ心配そうなシドニーにジャーキーをやってから俺は出かける支度を急いだ。
***
外が眩しいみたいだから移動の間は目にタオルを当てさせて、診察する時もずっと辛そうにしながらも大人しくしてた。一通りの検査を終えてから、許可を得て待合室のイスで横にならせてもらう。
「すみません、疲れたみたいで」
「大丈夫ですよ、ここで話しましょう」
膝に頭を乗せて手を繋いでやってると、先生も隣に腰掛けてここで話してくれる事になった。
シュートは外傷性の白内障だと告げられた。俺と暮らしている中でそんな酷い衝撃を受けさせた覚えはないんだけど、遅発性だと原因から10年以上経って症状が出ることもあるらしい。
長い時間をかけて少しずつ進行していたハズだと言われた。変化に気付けなかった事に肩を落とす。
「……にしてもそんな、今更……」
でも、とにかく白内障なら手術で治るんだなと少し安心した。俺のじいちゃんも加齢で白内障になって、日帰り手術ですっかり治ってたし。
「確かに手術で治せるんですが、今回は全身麻酔で長時間の手術になります」
思わず大声を出しそうになったが寸前で飲み込んだ。
「なっ、なんでですか?」
加齢による白内障と違って外傷性の場合は他にもダメージを受けている箇所があるから、ただ水晶体を入れ替えるだけでは済まないのだと説明された。
「まだ初期症状なので点眼薬で様子を見ましょう。自然治癒はしないのでいずれは手術ですが」
さっきは突然感じた強い眩しさにビックリしただけなのか、今は明るい病院内でも普通に目を開いてるからひとまず安心する。
「手術可能な病院は紹介できます。紹介状もこちらで用意しますね。時期の判断はお任せします。特に彼の場合、精神的な負担も大きいでしょうから」
「……はい」
いや、どっちかというと精神的にヤバいのは俺の方かもしれない。シドニーの去勢手術の時に心配すぎて貧血みたいになって倒れるかと思ったし。シュートの事となれば確実に倒れる自信がある。
自分がキツい思いをするのは割と平気なんだけどな。はあ、俺が代わりに受けてやれる痛みならどんなに良いことか。
***
今日のところは取り急ぎ適当にサングラスを買って帰ってつけさせると、シュートは背が高いし綺麗なブロンドだからまるでハリウッドスターみたいになって少し笑った。
「ちゃた」
俺が笑うと嬉しいのか抱きついてくる。
「これから朝と夜に目薬するからな。なんか変なことあったらすぐ教えろよ」
「んー……」
ちょっとイヤそうだけど「いや」と言わなかっただけ偉いモンだ。
「耳栓にサングラスに……ホントお前はこの世界で生きるの苦手だな」
イヤな事だらけだな、と頭を撫でると意味わかってんだかどうだか、ご機嫌そうに首を傾げる。今日は大人しく病院も頑張った事だし、好きなモン食べさせてやろう。
「今日何が食べたい?」
そのまま頬に手を当てると掴んで指を舐められた。
ベッドに入ってひと息つき、寝ようとした時にハッと思い出してオーサーとマウロアに慌ててメッセージを書いた。
「……わっ」
すると速攻で二人ともからほとんど同時に電話が掛かってきて驚く。オーサーの着信に応答した瞬間、マウロアの着信をキャッチした。
とりあえず一言だけ断ってマウロアを優先した。そうしないと後が怖いし、オーサーの要件ならわかってるからだ。
「もしもし」
『今からそっちに向かう。明後日に到着する。出かける予定はあるか?あっても消せ。駅まで迎えに来い』
「今からって、無理すんなよ」
『してない。俺にとってシュートより優先すべきモノなんかねえだけなんだよ』
「そうだとしても……あ、おい」
一方的に電話を切られちまった。あっちはまだ夕方だろうから、今夜のフライトでもあんのかな。ドタバタしてるのが伝わってきて、マジで準備してるようだった。
寝かけてたけど目を覚ましちまったシュートの髪を撫でながら「マウロア来るって」と伝えたらほんのり嬉しそうにしてる。
通知を確認すると案の定オーサーから「治療費は全てここに請求しろ」「とりあえずいくらか振り込んでおいた、良いように使え」とメッセージが来てた。
「レイバンのサングラスでも買ってやろうか。似合いそうだなぁお前」
ついでに腰に銃でも引っ提げたら、アクション俳優顔負けだぜ、なんてあまりにも親バカなコトを言いながら左目にキスをする。
「自然には治らないんだってさ……俺の覚悟が出来たら、手術のコト考えような」
なんの事か分かってなさそうなシュートに微笑みかけつつ、不安で泣きそうな気分になる。今からこんなんで覚悟なんか出来る日が来るんだろうか。
「……ちゃた?」
「え、あ」
俺の様子に気付いたのか、急に顔を掴まれてまじまじと覗き込まれた。
「なんでもない、大丈夫だよ」
「……」
早く寝ようって言っても心配そうにしてて、しまったなと視線を逸らす。俺のネガティブな感情はシュートにも感染しちまうんだ。
その時、普段はリビングで大人しく寝てるシドニーがキュウキュウと声を上げながら扉を引っ掻いてる音がした。
「シド?」
パッと起き上がって扉を開けてやるとすぐベッドに乗ってきて真ん中に陣取った。そして「もう夜遅いんだから早く寝なさい」と言わんばかりに、体を起こしてたシュートを押し倒して、俺の寝るエリアを前足でポスポスと示す。
「……はは、お前が一番しっかりしてるな」
シドニーを真ん中に挟んでみんなで仲良く眠ると不安な気持ちが溶けていくような気がした。
***
2日後、マウロアはまじで来たしオーサーからは50万くらい振り込まれてたからドン引きした。治療費は請求しろって言ってたから、これはまた別の……いわば見舞金なんだろ?なんだこの額。サングラスいくつ買えンだよ。
「なんだこのオンボロ」
「中古で買ったんだよ、文句言うなら乗るな」
「エアバッグちゃんと動作すんのか?シュートに怪我させんじゃねえぞ」
たまに荷台に乗せて走ってるって言ったらぶん殴られそうだから黙っておいた。
それにしても久々だってのに何も変わってない。俺への態度も。イタリアはどんな所だって聞いたけど「どうだっていいよ、シュートは元気にしてんのか?ちゃんと食ってんのか?」だってさ。
「お前ってシュート以外に趣味ねえの?」
「あるよ」
「……」
なさそう。
「てかテメェはちまちまジオラマ作ってるヒマあんならちゃんとシュートの事を見とけ!」
「うるせぇな、言うなよ……」
俺自身そのコトについてはめちゃくちゃ自己嫌悪して落ち込んでんだからな。
「……おい、ガチで落ち込むなよ、悪かったって」
「いや、言う通りだからさ」
田舎道を走らせてるとマウロアは車窓から外を眺めて「良い所だな」と呟いた。
「シュートにはこういう場所が似合うよ」
お前も暮らすかって言ってみたらしばらく黙り込んで真剣に考えてるみたいだった。
家に着くとシュートがシドニーと一緒に待ってて、車を降りたマウロアに嬉しそうに抱きついた。
「っおわ!なっ、なんだ!?」
反射的にハグし返しながらも、こんな風に振る舞うシュートを見るのが初めてなのか困惑してる。
「最近は感情がよく出るようになったんだ。久しぶりに会えて嬉しいな」
「なぁんだよぉ、俺も嬉しいぞぉ!」
もうデレッデレだな、と笑ってると真剣な顔で「お前毎日"こんなの"浴びてんの?なんで平気なの?」と言われた。こんなのどころか、舐めまわされる事にまですっかり慣れてる。
とりあえず家に入って茶の用意をしてると、俺とシュートの様子を見てシドニーも警戒せずその足元をフンフンと嗅ぎ回っている。
「こいつがシドニーか、はじめまして」
犬いるけど、と伝えた時にやけに喰いついてきたなと思ったらマウロアはわざわざシドニー用のおもちゃやお菓子を持って来てくれていた。犬好きなんだな。
「利高そうな奴だな。シュートの事よろしくな」
「お前ってまじ二言目にはシュートシュートだな」
「茶太郎は一言目だろ」
マウロアの前ではあんまそういう態度を見せてないつもりだったけど普通にバレてたみたいだ。
***
それからマウロアは3日ウチに泊まって、あっという間に帰る日になった。滞在時間より移動時間のほうが長い。今は来た時と同じようにボロに乗せて駅まで送ってやってる途中だ。
「目の事はともかく……アイツもお前も元気そうで安心したよ」
「来てくれてありがとうな。手術の日を決めたらまた連絡するから」
「ああ、その時はまた来る」
シュートよりも、むしろお前の方が心配だしって言われて苦笑する。ああまじでな。誰かが一緒にいてくれねぇと耐えられねえ。
心配なのは手術そのものというより、全身麻酔になるって事だ。そりゃ誰にだってリスクってのはあるんだが……もしそのまま呼吸が止まっちまったらって考えるだけで気分が悪くなって吐きそうになる。
ゆるやかに左目を失明していく事を選んででも、身体に負担を掛けさせない方を選びたいと正直思う。それをマウロアに言うと「気持ちはわかるよ」と言ってくれた。
「本人に聞けたらいいんだけどな」
「まだ難しそうだ」
駅に着いてロータリーに停車すると腕時計をチラリと見て電車の時間を気にしながらマウロアは「ただ、ひとつ言っとくけど」とこっちを見る。
「シュートはお前が嬉しそうにしてるのが一番嬉しいハズだから。アイツの事を優先するばっかりに自分の事を|蔑《ないがし》ろにするなよ」
それは結局、シュートの気持ちを踏み|躙《にじ》ってる事になるんだぞ……と言われて、物凄く目から鱗だった。
俺は俺自身の望みや喜びより、シュートを優先する事が正解だと思ってた。でもそれが自分本位なワガママなんだって、言われて初めて気が付いた。
「……そっか、俺……俺が健康で毎日笑ってなきゃ、結局あいつは幸せになれねえんだな」
「そういう事。愛されてる自信を持てよ」
シュートを大事にしてる事はちゃんと分かってるから、まずお前が笑える道を選べって頭を小突かれた。生意気だと思うけど、めちゃくちゃ図星だ。
「悪いがそれについては自信しかねぇよ」
「言ってろ。じゃあな」
名残もなくあっさり立ち去っていく背中に改めて礼を伝えて、また車を走らせた。早くシュートに会いたかった。
家に帰るとマウロアが帰っちまって寂しいのか、どことなく哀愁を漂わせた背中が庭に見えた。
「ただいま、シュート」
「ん」
シドニーにボールを投げてやってるシュートの隣にしゃがむと頬にキスをしてからペロリと舐められた。
「マウロア、また来るってさ」
「……」
やっぱりショゲてるな。
「あー……その、今日、久しぶりにしようか。ほら、二人きりだし」
シドはいるけど。さすがにこんなんじゃ元気出ないかな……という予想に反してめちゃくちゃ興奮したシュートにその場で押し倒されて、危うく青姦記念日になるトコだった。
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