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番外編◆現代日本の世界のBOX 5

【現代日本の世界のBOX 5】 ◆社会人茶(31)撃(26)  めちゃくちゃ普通に自転車に撥ねられた。  シュートとシドニーと一緒にほのぼの田舎道を散歩してると背後から突然衝撃を受けて、受け身も取れず土手を転がり落ちて草原に横たわった。  自転車に乗っていたのは若い男性だったようで「うわーっ!すみません!!大丈夫ですか!?」と声が聞こえる。ながらスマホでもしていたんだろうか。 「う……」  視界が酷くグラグラする中でシュートを探す。シドニーがすぐ近くで吠えてる。ズリ落ちながらシュートが土手を降りてきて、見た事のない表情で駆け寄ってくるのが分かった。  頭を打ったのかズキズキと痛む。体がうまく動かない。もし意識を失ったらまずいと腰に着けてるタグをなんとか手に取った。そこにはシュートの事、緊急連絡先、行きつけの病院なんかが書かれてる。俺を撥ねた人が気付いてくれるよう祈りながら視線を動かす。 「シュ……ト……」 「……た……っ」  隣に来たシュートにガバッと抱き起こされる。あちこち痛いけど、それよりシュートのメンタルの方が心配だった。 「だい、じょ……ぶ、だから」  自転車の持ち主も土手の上に駐輪して、大慌てで駆け寄ってくる。 「……っ、ちゃ、た……」 「シュート……?おい……っ」  息をしてない。原因は心因性だけとも限らないけど……もし過度なストレスが掛かったりして、声帯が閉じたまま痙攣しちまったら呼吸困難を引き起こすって言われてる。 「シュート、落ち着け」 「大丈夫ですか、動けますか!?うわっ!」  俺に近付こうとしたその男をシュートが立ち上がって突き飛ばした。害をなす"敵"だと認識したのかもしれない。そのまま俺を庇うように立ちはだかって、その横でシドニーも一緒になって威嚇するが、いや、それどころじゃない。 「シド、シド!」  少し目眩がおさまってきて、呼ぶとキュウキュウと心配そうな声を上げながら近寄ってきてくれたシドニーに話しかける。 「シド、シュートを……」  そう言うとすぐ理解して、様子のおかしいシュートを落ち着かせる為に服を咥えてその場に座らせてくれた。 「……、っ……」 「シュート、大丈夫、大丈夫だから」  息を吸おうとする度にヒュ、ヒュ、と苦しそうな甲高い喘鳴が漏れてる。 「ゆっくり落ち着いて息をするんだ」 「……っ!」  ダメだ。完全にパニックになってる。 「あの……」 「近付かないで、すぐ救急車を呼んでくれ!!」  目の焦点が合わなくなってグラリと傾いたシュートの体をなんとか抱き止めて地面に寝かせた。医者に教わった通り顎を持ち上げて気道を確保しても、その顔からみるみる血の気が引いてく。体に酸素が回ってないんだ。 「シュート、シュート、頼む」  焦って俺までパニックに陥りそうになった瞬間、真横でシドニーに吠えられてハッと正気に戻った。 「っは……あ、ありがとうシド」  目が見えないのか俺を探すみたいにシュートの手が動いたから、耳元に口を寄せて「大丈夫」と繰り返した。顎を持ち上げたまま唇に触れる。 「シュート、ここにいるから」  そうしたら指に噛みつかれて鋭い痛みが走ったけど気にするワケがない。コイツにこんな風に噛みつかれるのは慣れてンだ。 「っふ……っ、う……うっ」 「シュート!」  よかった、息が戻った。  しばらくして、まだ声帯が狭まってるのか声が漏れてるけど、シュートの顔に血色が戻ってきた。 「ふっ、ぅ……っはぁ、う……」 「声出していい、焦らなくていいからしっかり吸え、もう大丈夫だからな」  そんな風に背中をさすりながら「ビックリしたよな」と声をかけ続けてると、ようやく救急車が来てくれた。 「頭は強く打ちましたか?」 「俺はいいんです、それより」  こいつを早く、早く診てやってくださいって必死で訴えると腕を掴まれて目を覗き込まれて、血圧かなんか確かめられた。 「俺は大丈夫なんで、早くっ……」 「あなたも出血してます、落ち着いてください」 「え?」 「指もコレ折れてますよ」  言われて気がついたら頭からダラダラ血が出てたし、右手の薬指と小指が変な方を向いてて、明らかに折れてた。ついでにシュートに噛まれた人差し指も肉が抉れて出血してた。  ***  病院に着くまでにシュートはすっかり落ち着いてくれて、俺も額をちょっと縫ったのと指が折れた以外は軽い全身打撲だけで済んだ。ああ、これくらい、死ぬ以外はかすり傷だ。  賢いシドニーは自分で家に帰ってくれてて、俺たちが帰ってくると安心したように足元に擦り寄ってきた。  俺を撥ね飛ばしたのはここらの高校生で、彼は彼でパニックになったらしく、搬送されてった俺がその場に落としたタグに書いてあった緊急連絡先に「茶太郎さんを轢きました」と片っ端から連絡しちまったんだとか。  おかげさまで全員からえげつない量の不在着信が入ってたようなんだが、体の下敷きになってひしゃげた携帯は完全に壊れちまってたから知る由もなく。  まず、ちょうど日本に帰って来てたクレイグがいの一番に飛んできて「何してンすか!!まじで!!」と本気で肩パンされた。  次にオーサー、リディアとマウロアがほぼ同時に乗り込んできて「じっくり"話し合って"くるから犯人を教えろ」と据わった目をギラつかせて詰め寄られた。  ンなモン絶対に嘘だ。オーサーに言えば家族もろとも社会的に抹殺しそうだし、マウロアに言えば物理的に抹殺しそうだから俺は黙秘した。  まあ理由はさておき、結果的に思わぬ同窓会になってシュートはご機嫌そうだ。部屋数には余裕があるし、しばらく泊まっていけよと誘えば全員頷いてくれた。  ***  時差ボケで眠いと言うリディアを客室に案内してリビングに戻るとみんなでワインを開けてやがった。 「おいちゃっかり持って来てんじゃねえか」  オーサーはまだ15だろ、と没収しようとしたけどつい先日16になったとドヤ顔をされた。 「フランスでは16から飲酒可能だ」 「ここは日本なんだよ」 「まあ飲め」 「……はあ」  シュートにはブドウジュースを持って来てやってくれたらしい。差し出された湯呑みを手に取る。ウチにゃワイングラスなんかねえし、コップのストックもそんなに無いからって湯呑みでワインは酷い。 「ケガの具合は?」  マウロアが俺の包帯まみれの右手を見ながらそう言うと全員の視線が集まる。先に来てたクレイグには大まかな経緯は既に話してあるから2回目になっちまうけど。 「指は折れちまったけど、あとはどれも軽傷だよ。向こうの親御さんとも話し合って、治療費は出してもらってる」  味が濃いのか、ジュースをちびちび飲んでるシュートの様子を見て少し水をまわしてやってるとマウロアが心配そうに聞いてきた。 「その時シュートはいたのか?」 「ああ、一緒に散歩してる時に後ろから突然ぶつかられて」  土手を転がり落ちたよ、と笑うとクレイグが俺の髪を勝手にかき上げて額の傷を晒した。 「笑い事じゃねえよ、縫われてんだココほら」 「おいやめろって」 「そいつは大丈夫だったのか?お前が目の前でそんな事になって」 「いや、あんまり……」  そんな話をしながら、俺は皆がいるついでに話さなきゃならねえ事があると思って口籠った。 「……」 「なんだよ」  マウロアに促されて切り出す。 「その……皆にも伝えてるけど、シュートの左目のこと」  今回、実際に痙攣発作を起こして息が出来なくなってるシュートの姿を目の当たりにして、俺はもうコイツに全身麻酔で手術を受けさせる勇気なんか微塵もなくなっちまった。 「……お前の恐れているようなことは、相当な不運でもない限り起こらないとしてもか」  オーサーの口調は責めるような感じじゃない。ただ、最終確認として、言ってるだけだ。 「やっぱり、怖いんだ……」  ちょうどネットでも見ちまったんだ。誰かのペットが歯切りの手術で、死んじまったってニュースを。 「……」  シュートは小動物じゃない。そんなこと、飛行機事故に遭うような確率だと分かってる。俺の勝手な選択で視力を失わせるなんて。でも。 「ごめんシュート、ごめんな……」  異変を感じ取って心配そうに体を寄せてくるシュートの頭を撫でるとオーサーが俺の湯呑みにワインを目一杯注いできた。 「おい、おい」 「酒が足りてないんじゃないか」 「だからさ、前にも言ったろ」  そしてマウロアが呆れたように言う。 「お前が笑ってられんのが一番大事だって」 「まあこう言うのもどうかとは思うけど、本来はガキの時に見えなくなってたハズのモンだと思えばな……」  少なくともシュートの目が悪いのは茶太郎のせいじゃねーじゃん、と口々に言われる。 「簡単な手術でスッキリ治るなら良いけど、リスクゼロじゃねーんだし、そりゃ怖いよなぁ」  どっちを選ぼうとも否定はしないって言いながらも、マウロアも本心では受けさせたく無かったのかホッとしているように見えた。 「そうだな。そればかりはいくら金を積んでも保証のしようもない」  身勝手な選択を叱責されるかも……なんて考えてた自分が恥ずかしい。シュートを含め、場にいる全員に慰められて俺はここしばらくずっと重かった肩の荷が一気に降りた気がした。  ***  ついでにひと月くらいここで過ごすというオーサーとリディアは残り、クレイグとマウロアは2,3日したらまた忙しそうにそれぞれの行くべき所へ帰って行った。 「ただいま、昼メシどうする?」  今日はクレイグを駅まで送ってきた所だ。例のボロの軽トラで。 「ちゃたろーこれなあに?」 「シソだよ」  自慢したかったのか、シュートは自分で育ててるシソの植木鉢を持ってリディアに見せつけてた。 「シュートが育ててんの」 「わあ、すごいねえ!」  せっかくだからソレ使おうか、と葉を摘もうとしたら「だめ」と隠された。 「え!シュートおしゃべりできるようになったの?」 「ん」  すごーい!!と大喜びされてシュートはフンフン鼻を鳴らして得意そうにしてる。昨晩も散々みんなに褒められてたし、俺もなんだか嬉しい。 「あのね、じゃあね、私のなまえは?」 「ん……リリア」 「えーすごーい!」  俺の名前をずっと呼んでくれてるから最近はラ行も上手く言えるようになって、「クレイグ」は簡単に言ってたけどオーサーは何回言い直しても「オーター」みたいな感じになってた。  オーサーも改名するかってふざけたら「ああ、仕方がないな」って珍しく機嫌よさそうに笑ってた。 「あれ、オーサーは?」 「シドニーとおさんぽに行ってるよお」  言われて壁を見ると確かにリードがない。 「おっきなワンちゃんのおさんぽするの、ずっとあこがれてたんだって」 「可愛いトコあんな、あいつ……」  まあリディアも大型犬みたいな感じだしな。力が強くて、能天気で、自由奔放で、ムードメーカーで。  後日、俺の出した結論を病院で伝えると先生は少しも反対せず理解してくれて、なるべく進行を遅らせましょうと言ってくれた。俺の大好きな綺麗なシュートの目が濁っちまうのは寂しいけど……と漏らしたら「では摘出してホルマリン漬けにしますか」とマッドサイエンティストみたいな冗談を言われて不覚にも笑った。

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