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番外編◆現代日本の世界のBOX 7

【現代日本の世界のBOX 7】 ◆社会人茶(31)撃(26)  春がくると鼻がムズムズする。 「……っ」  午前中、居間でパソコンを触ってると不意にクシャミが出そうになって、慌てて机に置いておいたタオルで声を殺した。すぐ後ろでシュートが寝てるから。  シュートに寄り添って眠ってたシドニーがチラリと目を開けてこっちを見たから、頭を撫でてやる。 「っあー……花粉症じゃねえハズなんだけどな……」  去年もこんな風にクシャミが止まらなくて、ずっとバカデカい声で何回もクシャミをしてた。そしたらシュートに「うるさい。それいや」って言われて3日くらい落ち込んだ。  もし「ちゃたいや」とでも言われようモンなら立ち直れない自信がある。だから、春の間は常にタオルを手元に置くことにしたんだ。  季節の変わり目ってのもあんのかな。喉もイガイガするし、妙に眠たい。春はだめだ。 「休憩すっか」  やる気が出ない日に無理しても効率は落ちるばっかだし、ひとまずコーヒーでも飲もう。喉の不快感に軽く咳払いをしながら立ち上がろうとしたら、急にシュートの呼吸が乱れた。 「っ、う、けほ、けほっ」 「シュート」  すぐに膝をついて背中をさする。乾燥してるし、ホコリにでも咽せちまったのかな。驚いて目が覚めたみたいで、咳き込みながら慌てて起きあがろうとするのを落ち着かせた。  そうしたらシドニーもサッと立ち上がってシュートの背中を支えるように密着してくれる。 「ぇほ、っ……はっ、けほっ」 「落ち着け、ほら大丈夫だから」 「ふっ……けふ……っ」  しばらく「大丈夫、大丈夫」って言い聞かせてたらやがて咳は収まって、甘えるように俺の膝の上に頭を乗せてきた。 「おい、足がしびれちまう」 「……」 「水持ってきてやるよ」  な?と言えば渋々離れてくれたから、キッチンに向かう。待ってろって言ったのにシュートは俺についてきた。 「空気清浄機でも買うか。やっぱ春は喉がイガイガするよな」  コップを渡して水を注いでやると大人しく飲む。もうすっかり大丈夫そうだ。通販で買ってもいいけど、外の空気を吸うついでに電気屋にでも行くか。  ***  車で電気屋に向かいながら助手席のシュートを見る。膝にはシドニーを乗せて、イヤーマフとサングラス。また喉がつっかえないようにマスクでもさせようかと思ったけど嫌がられた。 「寒くないか?」 「ん」  人が多い場所に行く時はあえて分かりやすいアイテムで"刺激を減らしたいアピール"をしてる。電気屋にはオーディオ試聴のコーナーもあるから、急にパニック映画の強烈な悲鳴なんかが襲いかかってこないよう気をつけなきゃならねえ。 「じゃあすぐ戻るからな、良い子にしてろよ」  少しだけ窓を開けて車のロックをかける。シドニーを車内に残して行くのは心苦しいけど、ここはペット同伴不可だから。 「俺にとっては"ペット"じゃなくて立派にシュートを支えてくれる相棒なんだけどな……」  これからシュートの視力がもっと落ちちまったりしたら、代わりに目になってくれるとも思う。というか今すでに、すぐケガをするシュートを危険から引き離してくれてるワケだし。  そんなワケでさっさと買って戻ろうと思ったケド、思ってたより種類がある。シンプルなやつか、加湿機能もあるやつか、フィルターがどうのこうの、イオンがどうのこうの……。 「んー……シュートお前、どれが好き?」 「ちゃた」 「……」  思わぬ発言に何も言い返せず口元を片手でおさえる。 「なに」 「なんでもない……」  他に誰もいなくてよかった。  結局、家の雰囲気に合うデザインのモノから"フィルターが凄い"みたいなコトを書いてるやつにした。あと静音モード搭載って書いてたから、これは必須だなと思って。 「これ一台で加湿もできるんだってよ。もっと早くに買えばよかったな」  そう話しかけながら会計を進めてるとシュートが箱を持って歩き出した。 「おい、シュート」  待て待てって言ったけど勝手に行っちまう。慌てて支払いを済ませて背中を追いかけた。 「ありがとな、持つよ」 「おれする」  顔を覗き込むとなんとなく張り切ってるみたいに見える。 「……シュート?」  もしかして、"|こういう《手伝える》機会"をずっと狙ってたんだろうか。可愛いやつ。ならご好意に甘えることにしよう。  そうして家に帰ってくると、シドニーが興味ありげに箱の周りをスンスンして回るから「危ないぞ」と言ってカッターで開封する。 「ほら、コレで喉のイガイガがちょっとマシになるハズだ」  うるさくなさそうなら、夜は寝室に置こうか。と言えば頬を擦り寄せられた。必要そうならもう一台買うのもアリだな。 「昼メシ作るか。遅くなっちまったな」  買い物帰りにピクニックでもしようかと思ってたんだけど、花粉やらホコリやら、いろんなモンが空気中に漂ってる気がしてきてやめといた。 「まだちょっと冷えるし、あったかいうどんにでもすっか」  少し前にご近所さんに分けてもらった山菜もあるし。  台所で出汁を取りながら様子を振り返るとシュートとシドニーは空気清浄機の近くで寝てた。よく寝るな。まあうるさくないみたいで良かった。  ***  その夜、あんなに日中ずっと寝てたからさすがに眠くないのか、仕事してる横でシュートとシドニーがずっと遊んでるのを微笑ましく見てるとスマホが震えた。 「……ん?」  マウロアだ。ビデオをONにして応答する。 「もしもし」 『よお!元気か?』  その声に反応してシュートが寄ってきた。 「ロア」 『シュート、俺また明後日そっちに行くからさ』 「明後日?もっと早く言えって、急なんだよいっつも」  頭の中で客用布団を干して、客室の換気をして……と段取りを立てる。 「あ、そうだ」  シーツが冬物のままだから換えねえとな、と思って通話状態のままスマホを置いて物置に行こうと立ち上がった。 「っうわ!」  そしたら足元をちゃんと見てなかったから、電源コードに引っかかって壁に顔面からつっこんだ。 「ちゃた?」 「大丈夫だ。いてて……あ、やべ、鼻血」  パタパタと足元に血が垂れて、慌てて手で押さえる。 『はは、何やってんだよ、ドジだな』  ティッシュ取ってくれってシュートに頼むと箱ごと渡してくれたから何枚か取って鼻に詰めた。 「小学生ぶりかも」 『上向くなよ』  なんて話しながら洗面台に手を洗いに行く。だせーって独り言を漏らしながら苦笑してると『茶太郎!おい、茶太郎!』と電話越しにマウロアの叫び声が聞こえてきた。 「ん?」  何事かと居間に戻るとシュートが鼻血を出しててギョッとした。多分ストレス反応だ。 「お、おいっ」 「なに」  無自覚なのかキョトンとしてるから、騒がずにティッシュで鼻を押さえてやる。 「悪い、イヤだったんだな」 『バカ!シュートの前で軽々しく血を出すな!!』 「うるせえ、お前さっき笑ってたじゃねえか」  俺たちがギャーギャー言い合ってるとシドニーが「うるさい」と言うように頭突きをしてきた。  ***  寝支度を済ませて布団に潜り込むと先に寝転がってたシュートに鼻を触られた。 「……」 「もう大丈夫だって、ビックリさせてごめんな」  というか、家の中ですっ転んで鼻血出すとかマジで恥ずかしいからさっさと忘れて欲しい。心配されると余計にハズい。 「ちゃた」 「はいはい」  頭をポンポンと撫でると適当に流してんのがバレたのか珍しくムッとした顔をする。感情の表出が嬉しくて笑うと余計に怒った顔になった。  なんとなく言いそうなことがわかって、シュートと同時に「おもしろくない」って言ってやると目を丸くする。 「はは。"ジンクス"だな」  意味分かってんだかどうだか、おまじないだよって教えてやると何回か繰り返してた。

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