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番外編◆初期構想の世界のBOX 3
【初期構想の世界のBOX 3】
良くも悪くも目立たずパッとせず、ただ平穏な暮らしをしてたハズの俺が週末のたびにスラムに出入りするようになって、気がつけば半年が経った。
アイツに抱き枕にされながら寝るのにも慣れて、ともすれば1人寝が寂しいと感じそうになる夜もある。いや、そろそろ冬が近づいてきて肌寒いせいだ。
かと思うと少し前に急な出向を言い渡されちまって、"アイツら"に何も言えないまま、もう7週間連続でスラムに行ってない。
出向いた支社はスラムに行くにはちょっと遠いのと、休みが来ても慣れない環境で疲れ切ってるのと、更に病欠メンバーの穴埋めなんかで休日返上でドタバタ。
今週末も到底行けそうにないから、丸々2ヶ月が経っちまうな……。別にハッキリ約束してるワケでもねえし、何か言わなきゃならない間柄じゃないんだけど。
俺は昔っから細々したモンを弄ったり日曜大工をするのが趣味だ。だから最近はアイツらが"仕事"をしてる間、"アジト"に引きこもってチマチマとモノ作りして楽しんでる。そうしていつの間にか金土の夜は泊まるのがお決まりになってたから、ちょっと気がかりだ。
「……はあ……」
疲れた。
せめていつもの職場ならスラムからでも通えるのに。それならせめて夜だけでもシュートと一緒に寝てやって、朝になったらまた出勤するコトも……なんて考えて頭を振る。
いや、「一緒に寝てやる」ってなんだよ。俺、マジどうかしてんな……。
初めてスラムで夜を明かした時、シュートの様子がおかしかったから翌日の仕事を休んでまで連続で泊まった。あの時から俺はどうかしちまったんだ。
あれからあんなコトは一度も無いんだけど、アイツが寂しそうにしてるとどうも心配で俺は帰れなくなっちまって。別に……毎週泊まりに行く事をシュートが本当に望んでるのかどうかは分からねぇんだけどさ。
「……」
今日はまだスラムに行ける電車のある時間に仕事を終えられたから、ほんの少し悩む。明日、始発で出れば仕事にだって間に合う。
オーサーの「何故そこまで奴を気にかける?お前にとってあいつはなんなんだ」という質問を思い出した。
なんなんだろうな。俺にだって分かんねえよ。あの時にも答えた通り、やっぱり"大事"なんだ。この気持ちの由来がなんなのかなんて、俺こそ知りたい。今はそれしか言えない。
あれだけ懐かれてるから、こっちも何か応えてやりたい気持ちにさせられてるだけなのか、それともアイツの態度に関係なく俺の中から自然と湧いてきてる感情なのか……とにかく、なんでか放っとけないんだ。
「いや……疲れたな……」
やっぱり今日は帰って寝たい。重い足取りで会社を出ようとした時、同じデスクの人に呼び止められた。
「チャタロー、電話だぞ。男の子から」
「え?」
間抜けな声が出た。何かの間違いじゃ、俺には電話をかけてくるような男の子なんて……。そう言いかけてハッとした。まさか、オーサー?
すれ違う人に驚かれるくらい、デスクまで全速力で駆け戻って保留になっている番号を取る。
「もしもし!」
『突然で悪いな』
「どうした、何があった!?」
なんでこの番号を知ってるんだとか、お前携帯持ってたのかよとか、聞きたい事は山ほどあったけど、そんなのは後だ。
『確認すべき事がある。お前は|ここ《スラム》の住人じゃないし、奴に対してなんの責任も義理もない。一般人なのに巻き込んで……』
「どうでもいいよ!アイツに何かあったのか!?」
まるで家族の一大事かのように騒ぐ俺を見てデスクの人たちが心配そうな視線を投げかけてくる。
『ああ……出来る限りでいい。なるべく早く、来てやってくれないか』
「すぐ行く」
『仕事が忙しいんだろう』
それを分かった上で「来てやってくれないか」なんてあのオーサーが甘ったれた電話をかけてくるぐらいの何かが起きてるんだろ。
「今から行く!!」
『分かった、リディアを待たせる。一人で|この辺り《スラム地区》を歩くなよ』
明日休むかもしれません!と言い残して俺は外へ飛び出し、タクシーに飛び乗った。
***
人気のないボロい駅を飛び出してすっかり日の暮れた暗い道をスラム地区へ向かって走り出そうとするとリディアが待ってた。涼しい季節だってのに俺は汗だくでアジトの地下に駆け込む。
シュートの寝室に入るとランタンの灯りで本を読んでるオーサーがいて、その隣のベッドの上でシュートが|蹲《うずくま》ってた。肩で息をして酷く苦しみながら胸元とシーツを握りしめてて、苦しそうな呼吸音がこっちまで聞こえてくる。
「急に呼び出して悪かった。どうもなかなか調子が戻らなくてな」
「戻らなくて……じゃねーよ!!おい、シュート、シュートっ!」
すぐに駆け寄って落ち着かせようと背を撫でたけど、小さくなるような体勢が余計に苦しそうに見えた。
「シュート、大丈夫だから楽にしろ」
なるべく穏やかに声をかけながら横向きに寝転がらせる。それから抱きしめてやると弱々しく背中に腕が回されて、その頬にポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「こんな……っ泣いてんじゃねえかよ……!シュート、もう大丈夫だからな」
「ちゃたろーが来たからうれしくて泣いてるんだよ、さっきまで泣いてなかったもん」
それともちゃたろーが死んじゃったと思ってたのかなあ、なんて言うから罪悪感に押し潰されそうになる。
「……」
「というか泣く姿を見た事がない。そいつ泣くんだな」
「ね!どんな顔してるの?」
興味深そうにリディアが覗き込んできたから、なんか嫌でシュートを隠すように抱き込んだ。
「いったいいつからこんな状態で……」
「動けないほど酷くなったのは3日前か。それまでも多少の情緒不安的は発現していたが」
「それで、ちゃたろーがいいのかなあって」
オーサーは部外者に助けを求めた事がプライドに関わるのか、俺に申し訳なく思ってンのか、珍しく俺と視線を合わさない。
「勝手に調べさせてもらった。悪かったな」
「そんなコトどうだっていいよ……シュート、ごめんな……もっと早く時間作って来ればよかった」
まだ止まらない涙を指で拭いてやる。辛そうな姿を見るだけで俺まで倒れちまいそうだ。
しばらく声をかけながら頭や背を撫でてると少しずつ力が抜けて、引き攣るようだった呼吸音もだいぶ落ち着いてきた。
「ってか、なんでお前らそんな呑気なんだよ!」
振り返るとリディアがズココと音を立ててパックジュースを飲みながら「すっごく心配してるよお」と言う。
「ああ、これでも心配してる」
「そうは見えねえがな!」
「こんなにひどいの久しぶりだもん」
「……初めてじゃねえのかよ……」
苦しいかと思って少し体を離したらしがみつかれた。
「慌てんな。今日はこのままずっとここにいるから」
楽にしてろ、とまた頬を撫でてやれば手のひらに鼻を擦り寄せてペロリと舐められた。いつも通りの仕草にホッとする。
「一緒になって深刻に苦しんだところで、そいつが楽になる訳でもあるまい」
「だからってあっけらかんとしすぎだろ!」
「俺がそいつにしてやれる精一杯の思いやりはお前を召喚する事だ」
まあ……まあ、それは確かにオーサーなりの思いやりなんだとは思う。名前しか知らないハズの俺の職場を調べ上げて頼ってきたんだからな。
「……でも、寄り添って優しく声をかけてやるとかあるじゃねえか」
「ふーん?じゃあ次からはそうする!」
信用できねえなあ。寄り添う時は静かにしてやってくれよ、と念押ししておいた。
「求めてるのは俺の体温じゃないようなんでな」
「お前、友達甲斐のねぇ奴だって言われたコトあるだろ」
「ふ、俺はそもそも友人など作らん」
「だと思ったよ」
シュートの様子が落ち着いてきて、俺の頭も冷静になってきた。憎まれ口を叩いてるけど、態度以上に心配してたのは本当なんだろう。だって普段のオーサーなら本なんか手に持ってゆっくり読むハズがない。一度目を通せば、あとは頭の中で読めるんだから。
「こいつには声帯の機能不全は確かにあるが、これは心因性だ。俺にはどうしようもなかった」
焦ったってどうしようもないから、ソワソワと落ち着かない気分を鎮めるために、文字を追ってたのかもしれないな。
「……頼ってくれてありがとな。職場に電話をかけてくるコトなんか、何も気にしなくていいから……」
もう俺はコイツに関わっちまってんだ。赤の他人じゃない。遠慮なんかいらない。
「ああ、あと気を失ってる時は安定するから、あまり酷い時は"落とす"という処置くらいは施しておいた」
オーサーがそう言うとリディアが自慢げに胸を張る。乱暴すんなよ……。
「気絶させるコトを処置って言うな。お前らもういいから出てけよ」
イライラするから追い出しといた。
オーサーが「別室で寝てるから何かあれば呼べ」とリディアを連れて出て行ったからシュートに向き直ると、すっかりご機嫌で俺の手を齧ってる。
「シュート……なあ、ずっと来なくてごめんな」
まだ俺がここに通い始めたばっかだった頃、リディアたちの言ってた言葉が蘇った。
――だれかにキョーミもつなんて初めてだよ。シュート楽しそう。このごろはずっと元気なの。
――ああ、安定してる。
こんなに酷いのは久しぶりだって言ってた。前はこんな事がもっと頻繁にあったんだろうか。その時はどうやって乗り越えてたんだろう。
なにがそんなにお前を辛くさせるんだ。どうしたら安心できる?不安の原因を教えて欲しい。望みを聞きたい。今までコイツが話さなくたって気にしたコトなんか無かったけど、今だけは堪らなくもどかしい。
「……」
毎日決まってそばにいてやれるワケでもねえのに、無責任にこうして近くに寄りすぎるからこそ、離れた時に余計なショックを与えちまうんだろうか。
今、まだこの距離のうちに少しでも早く、もう2度と会わない選択をした方がいいんだろうか。
「……いや、もうすでに手遅れだよな……」
そんで手遅れなのは、俺の方だ。
「シュート……俺がそばにいたら、お前はずっと元気でいてくれるのか?」
泣いた跡のある目元に指を滑らせて唇を重ねると青緑色の目が嬉しそうに薄く細められて、甘えるように背中に腕が回された。
「なんでなんだろうな……俺、お前が大事で仕方ねえんだよ」
汗をかいたままだし、仕事用の服装のままだし、腹もめちゃくちゃ減ってるけど、全部どうでもいい。靴を脱ぎ捨てて隣に寝転がるとすぐに抱きしめられて、今度はシュートからキスされた。
「ん、ん」
そのまま顔中を舐められてベトベトになる。これも慣れたモンだ。でもたまには俺もお返しに舐めてやろうかと舌を出してみるとすぐ食らいつかれた。
「っん……んぁ」
興奮してフンフン鼻息を荒くしながら頭をかき抱かれて、俺もつい流されそうになったけど背中をさすって落ち着かせる。
「あんま興奮すンなよ、これ以上はダメだ。今日はまだ心配だから」
色々考えなきゃならねぇコトは山積みだけど、いよいよ手を出しちまったからにはもう後戻りはできない……ってか、しない。そのつもりでキスをした。
だからシンプルな話だ。どうすればコイツが苦しまなくて済むかを第一に考えて今後の身の振り方を決めていこう。
「また、明日……な……」
そこまで考えたトコロでどっと疲労が襲ってきて、俺は明日も仕事だってのにアラームすらセット出来ず、眠りに落ちた。
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