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番外編◆初期構想の世界のBOX 4

【初期構想の世界のBOX 4】  仕事、辞めようかな……とボヤくと隣のデスクの同僚に驚かれた。 「なんだよ、この前の出向がそんなにハードだったのか?」 「いや……そうだけどそうじゃねえ」 「お前って仕事以外に趣味あったっけ?」 「うっせえな」  あれから「週末は必ず会いに行く」ってハッキリと約束をして、今はそれを守り続けてる。でもやっぱり離れて暮らしてたらいつ何があって行けない時があるかわかんねえし、平日の間に何か起きてないかって心配だし。  つまり、スラム地区に引っ越そうかって考えてんだ。スラムの真ん中じゃなくても、せめていつでも行ける場所とか。少なくともここからだと交通機関が必須だし。 「それか、車買うか……」 「この辺で暮らすのに必要か?駐車場代ってマジ高えぞ」 「ああ、知ってる」  それにこの辺りの駐車場は|有人駐車場《バレーパーキング》ばっか……自分で自由に車が出し入れ出来るワケじゃなくて、事前に予約をして係の人間が出し入れしてくれるタイプだ。だからせっかく買ったって、有事の際に飛び乗って行くなんてコトは出来ない。 「……やっぱ辞めるかあ」 「まじ?」 「まじ!」  俺は都会での仕事に強いこだわりなんか無い。てか別に何をするにもこだわりなんか無いんだ。今の俺の最優先事項は"アイツ"をどうやって守ってやるのかって事だけ。 「……俺の人生に発生した唯一のこだわりの為に、必要なコトなんだよ」 「仕事を辞めるか車を買う事が?」  手元のカップを持ち上げるともうカラだった。舌打ちしながら立ち上がる。 「お前もなんか飲む?」 「ホットチョコレート」 「ウチの自販機にゃねーよ。向かいのハインズカフェまで走れって言ってんのか?」 「あそこの店員、すっげー好みなんだよな。新しく入った金曜の|娘《コ》。見た?」 「あ、そ」  金を差し出されたから押し返しておいた。コーヒーくらい奢ってやる。  もうずっとアイツにベタベタされるコトも舐めまわされるコトも黙認してきて、明らかに性的対象として襲われてもなお会いに行くのをやめないで、今更だとは思うけど……なんとなく俺の中の"最後の壁"だったキスをした。それも俺から。  その前から口を舐められたコトは何度かあったけど、まあアレらはノーカウントだ。アレはそういうのじゃなかったから。だからあの日から正真正銘、誤魔化しようもなく、アイツは俺の守るべき人になったんだ。  いや、前からそうだったんだけどさ……負けを認めたっていうか。そういうコトだ。自販機から出てきたコーヒーカップを取る。 「あちち」  淡白に感じるけどやっぱアイツのコトをずっと見てきてるオーサーとリディアには俺たちの関係の変化が速攻でバレて少し恥ずかしい思いをしたりもした。その時にオーサーには「だからと言ってコイツの全てをお前に背負わせるつもりは無い。無理のない範囲で面倒を見てやってくれ」と言われた。  でも俺としては背負う覚悟で手を出したんだから、自分の生活を変えるコトだって厭わない。なるようにしかならないんだから、今すぐ何もかも投げ出してスラムに飛び込んだっていい。いいハズなんだけど。 「なんだろなあ、まだ俺はビビってんのかな……」 「いいか、当ててやるよ」 「ンだよ」 「プロポーズした、もしくはするつもり。どうだ?」 「……ちげえよ」  同僚の席に買ってきたコーヒーを置いてやりながら自席に戻る。なんで俺は踏み込めねえんだろう。我ながらフットワークが軽い自信はあるってのに。 「まあ悩むよなあ……どんなに想い合ってるつもりでも、本当に相手も自分と同じ気持ちなのかどうかなんて分からねえわけだし」 「だから違うっつってんだろ」  ああでも確かにそれは一理ある。シュートが本当にそこまでのコトを俺に求めてるのかどうか……。今こうして週末だけ会える程度がちょうど良かったりして、と思わなくはない。俺がアイツのそばにいてやりたいと思うほどには求められてない可能性はゼロじゃない。 「……そうだな。でも、似たようなコトで悩んでんのかも」 「まじ?適当だったのに」 「コーヒー代払えよテメェ」 「やだね」  うざったい同僚の肩を殴ってさっさと仕事に戻った。今日は金曜なんだから、一本でも早い電車に乗りたいんだ。  ***  金曜の夜は仕事終わりにスラム地区に入るとシュートが迎えに来てくれる。最近じゃもうすっかりコレが当たり前の流れになった。 「よお、今週もいい子にしてたか?」  元気そうな様子に安心する。調子は安定してるみたいだな。抱きつかれてスリスリと頭をくっつけてくるから撫でてやる。我ながら単純すぎると思うけど、コイツの嬉しそうな姿を見ると仕事の疲れもすっかり癒されちまう。 「……俺も嬉しいよ」  でもここは人目があるから、さっさと行こうぜと歩き出した。  2階にあるシャワーを借りた後、地下にあるオーサーの寝室に話をしに行った。ここはシュートの寝室とは違ってちゃんと家具が揃ってる。  訪れた理由はもちろん、昼に悩んでたようなコトを話して意見を聞く為だ。 「特に面白くない冗談だな」 「笑わせようとしてねえ、本気で悩んでんだよ」  すると床で絵を描いてたリディアも近寄ってきた。 「シュートはちゃたろーが大好きだよ。毎日いっしょがいいと思ってるよ」  もうちゃたろーしか目に入らないって感じ!と言われて照れる。周りからはそう見えてんの? 「ああ。それにお前もな。まさか無自覚なのか?」 「そ、そんなコトねえだろ!」 「本当だよお、見てるこっちがてれちゃう」  どこで覚えてきたのか、リディアは"|You've got a crush on Shoot!《シュートにくびったけだね》"とイタズラに言い残して自分の寝る部屋に帰って行った。 「お前自身はどうしたいと思ってるんだ」 「俺、俺は……」  今日、ここへ向かう途中……電車に乗ってる間に色々考えた。俺がビビってるのはお互いの気持ちが同じかどうかってコトだけじゃない。  前にも悩んだみたいに、無闇に近付きすぎると余計にシュートを情緒不安定にさせちまうだけなんじゃねえか……って|部分《トコ》も気になってんだ。  今この頻度で会うことでシュートの状態が安定してるなら、無理に回数を増やす必要は無いのかも。 「何かあったらいつでも会いに来れるくらいの距離に、引っ越して来ようかなって……」 「……ふん。じゃあそうすれば良い」 「簡単に言うよな」 「引っ越し周りの金の問題か?なら用意してやる」 「金なんかどうにだってするよ」  大体、用意してやるってなんなんだよ……と呟けば「奴の為に必要な出費なら俺に保護者責任があるから遠慮せず言え」と言われた。いや、だからどういうコトなんだよ。そんな金がなんであるんだ。 「……」 「ああ、俺がここで暮らしてるのは単なる趣味だ。気にするな。残念ながら奴は指名手配されていて|この街《法外地区》から出られないがな」  単なる趣味でこんな不便なトコに暮らすって、とんだ変人だなと思ったけど……都会での安定した仕事を捨ててまでここに引っ越すコトを真剣に考えてる俺も同類か。  知らず話し込んでいたらしい。先に寝てろって言ったのにシュートがこっちの部屋に入ってきた。 「なんだ、寝ないで待ってたのか?ごめんごめん、もう寝ような」  変に期待させてまた精神的にグラつかれても困る。まだ余計なコトは言うなよと目線でオーサーにアピールしたらジェスチャーで追い払われた。 「あ、うわっ」  シュートの寝室に入るとすぐに抱きしめられてベッドに押し倒された。そのまま首に鼻を埋めてニオイを嗅がれる。 「シュート、こら、落ち着けって」  もう寝る時間だぞ、と顔を押し返すと今度はしつこいくらいキスされて、あんま強く抵抗も出来ず応えちまう。 「ん、ん……んん」  身体中を触られてゾクゾクする。でもシュートは何もわかってない。ただ単純に俺に"触りたくて触ってる"だけなんだ。  こんな風に一緒に眠るようになってしばらく経ったけど、俺はまだコイツに何も教えてない。それをオーサーに知られた時は「お前、不能なのか?」と失礼なコトを言われた。  そういうワケじゃねえけど、俺の目にはシュートがすげえ純粋無垢な生き物に見えちまってて……教えたくないというより、なんかどうしても教えられなくて。  もし欲求不満で辛そうにしてたらその時は教えてやろうと思ってるけど、今んトコこうして俺のコトを舐め回して肌に触れるだけで充分幸せそうにしてるから、その姿を見るだけで俺も満たされちまってる。  そりゃ俺だって健全な男だし、ヤリたくないってワケではないけどさ。ゆっくりでいいよなって。 「ほら、夜更かしは体に悪いんだぞ」  また明日遊ぼうな、と言い聞かせれば素直に隣に寝転がる。 「おやすみ」  髪を撫でるとぎゅうとくっつかれた。  ***  ここは国の法律が届かないスラムの奥地だから、あちこちで指名手配を受けたような犯罪者たちが転がり込んでくる。オーサーはその情報をどこからか手に入れては「射的の時間だ」と出かけていく。  めぼしい情報のない日は運び屋をやってんだって。いったい何をそんなに運ぶものがあるのかと思うけど、運ぶものは何も物品だけじゃない……だそうだ。まあうまくやってんならそれでいい。人の事情に無闇に首を突っ込む趣味はねえ。  ……でも、シュートのコトは別だ。  2階のリビングに俺の作業台を作ってもらったから、今日もそこでモノ作りを楽しんでたんだ。 「ただいまあ!」 「今日はまさに"大捕物"だったな」  そしたら楽しげなリディアとオーサーの後ろについて帰ってきたシュートの頭からダラダラと血が流れてた。 「おいおいおい!!」 「少し切れただけだ。額は出血しやすい」 「どうなってんだ、見せてくれ。痛いか?」  すぐに壁際に座らせて傷を確認しようとするけど嫌そうに避けられる。痛覚が鈍いのか、ケガをしてる自覚が無いみたいだ。 「なんでこんなケガしてんだよ!何があった!?」 「しらなーい、みんなで悪いひとをつかまえた時はへいきだったもんね?」  手当てするモン!!と怒鳴ったらリディアがニコニコ救急箱を持ってきてくれた。濡らしたタオルで血を拭き取ってから消毒をして清潔なガーゼを当てる。 「帰り道の途中で張り出してる資材があった。あれで頭をぶつけたんだろう」 「ちゃんと見ててやってくれよ!」 「きがついたらケガしてたの。ごめんね?」 「歩き始めたばかりの幼児でもあるまい。1秒も目を離さずに見ておけるわけが無いだろう。いくら馬鹿でも危険は自分で判断できる」  でも実際こうしてケガしてんだろうが!と言えば「自己責任だ」と冷たく言い放つ。いやまあそうなんだけどよ。 「目が悪いから障害物に気付かない時があるんだろう」 「分かってんなら少しでいいから気にしてやってくれよ……」 「そうだな、ヘルメットでも被らせるか」 「かわいくないよぉ。ちゃたろー、作るの上手だから作って!かわいいの」 「ネコミミ付きにするか。コイツ猫科って感じするし」 「馬鹿共め」  オーサーは相変わらず憎まれ口ばっか叩くけど、俺たちがあーだこーだヘルメットの設計をしてる横でシュートにメシを食わせてやってくれてた。

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