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番外編◆初期構想の世界のBOX 9

【初期構想の世界のBOX 9】  最近、なんかシュートが「|shh《シュー》」とか「ぷ」みたいな音を口から出すんだよな。声じゃなくて、唇とか口の中で舌を鳴らしてる感じの"音"だ。 「なあ、コレなんなんだろ?大丈夫かな?」  相変わらず表情の変化に乏しいから意図が掴みにくい。今も俺がジオラマ作りをしてる様子をじっと見つめながら少しだけ口を開けて閉じた。まるで何か言いたいみたいだ。 「シュート?どうした?」 「……」  顔を覗き込んでも無反応でじっと見つめられる。 「息を歯に当てたり唇の開閉で音が作れることを試してるんだろう」 「ふーん……遊んでるだけなのか?」  まあ、それならいいけど。そっと頭を撫でてやると機嫌良さそうに頬を擦り寄せられた。 「可愛いやつだな」 「そういうのは部屋でやれ」  ***  その日の夜。いつもどおり軽く触れ合ってハグをする。本心を言えばこの温もりを毎日感じたい。 「んじゃ灯り消すからな」  頬にキスしてから枕元のランタンに手を伸ばすと微かに「った」と舌を打つような音が聞こえた気がした。 「……ん?」 「ちゃた」  ただ口を開いた時に音が鳴っただけにも聞こえたけど、振り返って耳を澄ますとシュートがまた「ちゃた」って言ったからまじでビビった。 「な……なっ……!お前、今……俺のこと呼んだのか!?ちゃたって!」  思わずその頬に両手を当てて聞き返す。シュートはキョトンとした目で俺を見つめながらふっ、ふっ、と口で息をし始めた。 「苦しいのか?どうした、シュート?大丈夫か?」  熱はないし、混乱してる様子でもない。矢継ぎ早に質問しちまったせいか、嫌そうにフイと視線を逸らされた。 「……オ、オーサー!」  とにかく"前任"に前例を確認するしかない。動揺した俺はランタンも持たずに大慌てで廊下に向かって、扉に頭をぶつけた。  廊下にさえ出れば地下にも電気は通されてるし、オーサーの寝室もリディアの寝室もちゃんと設備が整ってる。あんなに"がらんどう"なのはシュートの寝室だけだ。  前みたいにアイツが前後不覚に陥ったら……ケガをしない為に、寝具しか置いてないんだと。あんなのは二度とごめんだけど、まあ納得せざるを得なかった。 「オーサー!!」 「いったい何だ。静かにしろ」  ノックくらいしろ、と怒られたけどそんな場合じゃない。考え事でもしてたのか、部屋の奥に設置されたベッドの上でオーサーは壁に凭れるようにして座ってた。 「シュートが、しゃ……喋ったんだ!」 「だから何だ」 「俺を呼んだ!!」 「良かったな」 「言葉で!『ちゃた』って!!」 「そんな事で人を叩き起こすな」 「"そんなコト"じゃねえよ!!」  それに寝てなかったろ!と騒いでるとリディアも入ってきた。 「ちゃたろーどうしたの?夜はねるんだよ」 「シュートが喋ったんだよ!!」 「それだけ?」 「そ……」  あれ?喋ったって……"それだけ"のコトか?いや、普通はそうなんだけど、やっぱりシュートにとっては特別なコトだろ。 「……何かまた、アイツの異変なのかと……」 「シュートずっとれんしゅーしてたんだよ」  練習……って、そういえば前にもオーサーが言ってたな。まさか。 「その練習って……俺の名前を呼ぶ練習?」 「うん」  コイツらってマジでいっつも説明不足なんだよ。 「……」  やばい。それを知ったら今度はクラクラするぐらい嬉しくなってきて、俺はまたドタバタ走ってシュートの寝室に戻った。 「シュート、騒いでごめんな」  ランタンの淡い灯りを頼りに小走りで近寄るとシュートはまだ不思議そうにじっと俺を見てた。 「驚かせてごめんな。なあ、もう一回呼んでくれ」  でも口を開く気配はない。もしかして、俺が怒ったと思ったのかも。 「ごめん、ビックリしたんだ。もう一回、な。ほら」  ちゃたって言ってくれよ、と促すけど口を閉じたまま無反応だ。 「なあ、シュート……」 「…………」  半泣きで後からついてきたオーサーを振り返ると「情けない顔をするな」って額を突かれた。 「お前が過剰に反応するからだ。また呼びたくなったら呼ぶだろう」 「あああ、やっちまったぁぁ」  後悔先に立たず。俺のバカ野郎。 「満足したか。さっさと寝ろ」 「おやすみー!」  嘆く俺なんか知ったこっちゃないとオーサーたちはそれぞれの部屋に帰っていった。  ***  そんな風に、コイツらと過ごす日々が当たり前になっていつの間にか2年くらい経った。すぐ工場を辞めて本格的に|アジト《こっち》で暮らしたい、なんて思うんじゃないかなと思ってたけど……今のところ、2拠点生活がしっくりハマってる。 「茶太郎」 「ん?」 「部屋を作るか」 「はあ?」  2階のソファでシュートの膝に座らされながら晩メシのメニューを考えてると不意にそんなコトを言われて首を傾げた。 「……俺の?」 「お前とそいつのだ。3階に空き部屋がある」  3階。俺はまだこのアジトの3階に踏み込んだことがない。別に面白いものは無いってオーサーは言うけど。 「いつまでもリビングでちちくり合う姿を見せ続けられるのはごめんだからな」 「別にちちくり合ってるワケじゃねーだろ!」  一緒に座ってるだけじゃねえかよ!って反論したけど、つまり寝室以外にも俺たちが2人きりで過ごせる空間を作ってくれるってコトか。 「お前の作業台とソファがあれば充分だろう」 「あー……いや、ソファだけ欲しい」  作業はここでしたいって言えば意外そうに眉を持ち上げる。 「ここなら、作業に集中しててもお前らが出かけたり帰ってきた時、すぐわかるだろ」 「お前が作業しにくいと感じていないならそれでいい」  オーサーはすぐにリディアとシュートにソファを持ち上げさせて3階へ昇っていく。 「いいのかよ?リビングのソファ無くなっちまうけど」 「取り急ぎだ。また新しい物を買う」  新しい方が良いなら入れ替えてやるって言われたけど、リビングに新しい方を置けよと断った。  3階のフロアに出る扉の向こうには薄暗い廊下があって、すぐ左側がオーサーの"仕事部屋"らしく、鉄製の扉に強固な鍵がかけられてた。 「物々しいな……」 「人に見られるわけにはいかないデータを大量に扱っているからな。もし無理に突破されれば、即座に全ての電子機器が初期化される」  くれぐれも入ろうとするなよ、と言われて肩をすくめて返した。 「んでこれがリディアの部屋か」 「ああ、ほとんど使っていないようだがな」  ドアノブが歪んでひび割れた木製の扉がリディアの出入りを証明してる。 「こっちは?」 「空き部屋だ。そっちの端も空いてる。好きな方を選べ」  そう言ってから少し考えて、オーサーは「いや、端の部屋にしろ」と言ってきた。 「俺の部屋に防音処理は施しているが、廊下を歩く時に万が一"何か"聞こえたら不快だからな」 「さっきからうるせーな!!」  後ろからソファを運んできたシュートとリディアに、奥の部屋に運び込めとオーサーが指示をする。 「はーい!シュート、奥だって!進んでー!」  デカくて持ちにくいだけで、重さ的にはリディア1人でも充分なんだろう。元気よく押したからシュートがソファに押されて転んで、そのまま下敷きになった。 「おいこら!人を轢くな!!」 「あれ?」  ゴツッて鈍い音が鳴ったぞ。慌てて横にどけようにも狭い廊下でどうしようもない。 「そっち持ち上げろ!」 「シュートいなくなっちゃったね?」 「早く!バカ!」 「何をしてるんだお前たちは」  片側を持ち上げながら騒いでるとソファが下から押し上げられて、シュートがのそのそと這い出てきた。 「頭打ったんじゃねえか?ケガしてねえか?」  あんまり何が起きたのか分かってないのか、すっくと立ってケロリとしてるから少なくとも足は折れてないみたいだ。 「どこも痛くないか?」 「大袈裟なやつだな」  大事なヤツがソファの下敷きになって心配するのは大袈裟じゃない。 「ねー早く!はこぼ!」 「わかったわかった、俺がこっち側を持つから、シュートそっち持て。リディアは見てろ」 「なあんで!」  模様替えひとつで大騒ぎだ。今までも俺が見てなかっただけで、作業台を作ってくれたりキッチンをグレードアップする時、こんな感じだったんだろうか。  ***  かくして、シュートの寝室と同じくらいがらんどうの空間にポツンとソファだけが置かれた部屋が出来上がった。この部屋には電気が通ってるからそこはデカい違いだ。  でもやっぱり夜間に灯りをつけてたら目立つから、遮光カーテンを設置するまでは日が暮れたら下に降りろって言われた。 「にしても、これじゃマジでヤル以外なんもできねーな」  部屋の入り口に立ってそう言いながら笑いかけると頬を舐められる。とりあえずソファに腰掛けてみるとシュートも素直に隣に来た。 「机とか置いて、なんかしようか」  視線を向けるとシュートもじっとこっちを見てる。 「……勉強とか」  最近、声じゃない方法でシュートは俺の名前を呼んでくれるようになった。俺が思ってる以上に色んなコトをちゃんと学んでるのかも……って思ったんだ。なんてぼんやりと考えてたら、シュートがコンと咳払いをした。 「あ……ホコリっぽいな。一旦リビングに降りるか」  リビングに行くとオーサーとリディアが飲み物を飲んでたから一緒にもらって、掃除道具を手に取った。一通り掃除してくるから待ってろって言うと珍しく不満そうにするから笑っちまう。 「お前が咳してたりすると、俺がイヤなんだよ」  必要以上に心配になっちまう自分を知ってるから。でも過剰だって自覚した上で止められねえんだから仕方ない。 「な?」 「ちゃたろーおへやキレイにするの?てつだう?」 「いいよ、なんか窓とか割られそうだし」  シュートと遊んでてやって、と言えば引きずってったから「乱暴すンなよ」って言っといた。  部屋に戻って換気しつつホコリを叩いていく。 「……俺たちの部屋、かぁ」  なんか、改めてここの一員だって……シュートのパートナーだって認めてもらえたみたいで嬉しい。作業台を設置してもらった時も、キッチンがグレードアップされた時も同じように感じたけど。  これからも平穏な日常ってワケにゃいかねえとは思うけど、大事にしたいヤツがいて、周りもそれを認めてくれて、まあまあ幸せかなって思う。  待ってろって言ったのにシュートが入ってきて抱きしめられたから、掃除を中断してキスをした。

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