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番外編◆同級生の世界のBOX 3/8

【同級生の世界のBOX 03】  茶太郎が転校生の送迎役を任されて2日目。校門で待っているとテッドとその母親が見えてきた。二人の間には微妙な距離があり、当然……会話もない。 「おはようございます」 「おはようございます、茶太郎くん」 「おはよ、テッド」 「……」  知り合ったばかりのクラスメイトの母親と特に話すことなど無い。茶太郎は気まずそうに視線を泳がせながら形式的な挨拶を済ませて歩き出そうとした。しかしその瞬間、クッと服の袖を引かれる感覚がして振り返る。じっと見つめられてしばし沈黙が流れた。 「……何、あ……今日も、手?」  もしかして繋ぎたいのだろうか、と思った茶太郎が右手を差し出すとすぐにギュッと握られて反射的に握り返す。昨日も感じたが、テッドの手は指先までポカポカと暖かくて、妙に落ち着くような感覚がした。まさか13歳にもなって、クラスメイトと仲良く手を繋いで歩くことになるとは。そんなことを考えて照れ笑いしていた茶太郎とは正反対に、テッドの母親は信じられないものを見たような顔をして二人を見ていた。 「じゃあまた放課後……えっと?」 「今日も、って……昨日も、そうしてたの?」  私、その子と手を繋いだことが無いの。そう続いた言葉の意味がなかなか理解できず、茶太郎は気まずさに手を離そうとしたが、テッドはきょとんとしたまましっかりと手を繋いでいた。 「……よろしくね」  踵を返した母親の声は震えていて、その背中にかけるべき言葉もわからず見送る。茶太郎は「お前、空気読めよ」と少し苛立ったような声でテッドを叱責した。  案の定、教室に到着するとまた何人かのクラスメイトがテッドの周りに寄ってくる。英語で話しかけてみたり、机を指先で叩いて音を立ててみたり。茶太郎は自席で央弥と話しつつ視界の端でその様子を見守っていた。 「なんで無視するわけ?」 「ハロー?チャオ?違うの?」 「これ地毛?」  相変わらず無表情のままだが、その手がそっと耳に伸びる。声がうるさいんじゃないか。茶太郎は「頼まれてもいない手助けをするのはおこがましい」と思っていたが、さすがに心配で立ち上がった。 「……あの、テッドは……」  喋るのが"苦手"なんだと言おうとした時、担任の西田が教室に入ってきて状況を目にすると無遠慮に口を開いた。 「おい話しかけても無駄だぞ。失語症だから」 「何それ?シツゴショウ?」 「言葉がわからないんだ。何も喋れない。無駄だからもう放っとけ」  茶太郎はその言葉に足元がグラつくほどショックを受けた自分に驚いた。まるで自分自身が心無い言葉を浴びせかけられたような……いや、いっそそれ以上の衝撃だった。隣にいた央弥も険しい顔つきになり「おいそりゃねえだろ」と口を挟む。 「事実だろ。質問責めにして困らせるなよ。カリフォルニアから引っ越してきた。父親に捨てられた母子家庭、失語症、ついでに読み書きすら出来ないときた。はは、英語が出来ないアメリカ人なんて珍しいな」  教室にガンと机を叩く音が響いた。央弥だ。 「おい西田ぁ、中坊の俺よりも道徳が足りてないみてぇだな」  茶太郎は走ってテッドの席まで行くとクラスメイトを押し退けて手を掴み、何も言わずに教室を飛び出した。  『ひまわりクラス』に着いた時、茶太郎は悔しさで溢れる涙が止められずぐしゃぐしゃな顔をしていた。 「おはようございます……山代くん?大丈夫ですか?」 「……っ、なんでもない、です」  授業が始まるからとテッドを教室内に誘導して出て行こうとする。だが先ほどと同じように服の袖を掴まれて立ち止まった。 「テッド、ごめん、俺がもっと早く……」  それ以上は続かなかった。まるで慰めようとするかのようにテッドが茶太郎の頬に自分の頬を押し付けたからだ。 「……」  あんな言われ方をするくらいなら、過干渉だろうが構わず隣にいて、質問は俺を通してくれって言えば良かった。それをまとめて担任にコッソリ聞きに行って、言葉を変えて伝えることもできたハズだ。あんな風に公衆の面前で侮辱される謂れは無い。言葉は分からなかったとしても、悪意は伝わる。 「ごめんな」  そんな後悔が茶太郎の中で浮かんでは消える。何があったのか察したのか、職員の女性は残念そうにしつつ、どこか安心した様子でもあった。 「大人でも、自分の理解の範疇にない出来事を否定しかできない人はいくらでもいます。山代くんはまだ中学生ですが、すでに人の気持ちを想像する力と広い視野を持っている。それはとても素敵なことですよ」  そしてその気持ちがきちんと伝わっているからテッドも心を許しているのだと言われて、茶太郎は涙を拭いた。 「……俺、戻る。また放課後」 「少なくとも、山代くんに落ち度はありませんから」 「はい」  展開は全く想定外ではあったものの、これでテッドがクラスメイトに取り囲まれる心配は無くなったのだと思えば、状況をポジティブに受け止められなくはなかった。  ***  そんな始まりから気が付けば2週間が経ち、テッドの教室移動の手伝いにも慣れてきた頃。クラスの体育参加に挑戦してみようかという話になり、茶太郎はテッドと手を繋いで校庭に出た。はじめは気恥ずかしかったが、言語での意思疎通が苦手なテッドのことをクラスメイトも今ではよく理解してくれて、この光景に余計な口出しをする者はいなかった。 「まず皆で校庭2周ランニングするから、ついてきて」  説明するまでもなく、テッドは基本的に茶太郎の後ろをついて歩くのが常になっている。なので問題なくランニングは実施できた。列になって校庭を2周走った後は2人1組になって筋トレに移る。どうやって説明しようか、と考えながら振り返るとテッドが膝に手をついていた。 「……ふぅ、じゃあ次は腹筋と背筋と……テッド?」  ランニングの|殿《しんがり》役を務めていた央弥がすぐ駆け寄ってその肩に触れると、ガクッと膝が折れて地面に座り込んでしまう。慌てて茶太郎も駆け寄った。 「テッド!?」 「はっ……けふっ……ふぅっ……」  めまいがするのか、グラグラ揺れている体を央弥と二人がかりで支える。他の生徒たちも集まってきてザワついていると体育教師が来て、バレーボールを使ってラリー練習をするよう全員に言いつけた。 「保健室へ連れて行ってくる」 「先生、俺も……!」 「ダメだ」  まだ咳き込んでいるテッドを背負って立ち去る教師を見送る。勝手について行くか悩んだが、央弥に引き止められた。 「テッドは人の声色に敏感だろ。押し問答になったり、下手に怒らせたりするとアイツに影響する」  茶太郎は無力感に苛まれながら、全く集中できないラリー練習に参加せざるを得ないのであった。

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