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番外編◆同級生の世界のBOX 5/8
【同級生の世界のBOX 05】
冬休みが近付いてきた頃。すっかり登下校の付き添いもするようになった茶太郎は二人分の弁当を自身の母親に持たされることも日課になりつつあった。
「テッド、おはよう。寒くないか?」
首元が寒そうな格好をしているテッドを見て、自分のマフラーを巻き付ける。
「今日は小さいプリンも入ってるってさ」
そう言いながら手に持った弁当袋を見せて笑うが、どことなくその表情は浮かない。テッドが母親に昼食を用意してもらえていないことを知ったのは、11月末に顔のアザに気が付いてからすぐのことだった。
その日、央弥が部活の用事で昼休みに離席していたので、テッドと一緒に食べようと『ひまわりクラス』へ行った茶太郎は、支援級の職員がパンを食べさせている姿を見たのだ。その瞬間は別に何も疑問を抱かなかったが、慌てた職員が口を滑らせた。「私が勝手にしていることだから」と。
意味のわからなかった茶太郎がどういうことか詰め寄ると、もうずっと昼食を持って来ていないテッドに、職員が自費で購入した学食のパンを与えていたということだった。
あの目の下のアザが、何者によってつけられたのか……それはテッドにしか分からない。こんな時ばかりは、言葉で意思疎通できないことがもどかしかった。
「じゃあ今日は終わりのホームルーム前に迎えに来るから」
いつも通りに教室移動の付き添いを済ませてクラスへ向かう階段を登る。この校舎の3階には2年の教室があり、2階の渡り廊下の向こうにある別棟に音楽室や視聴覚室や3年の教室がある。例の"問題児"たちはその渡り廊下でたむろしている事が多かった。
***
5時間目の体育が終わった後、テッドを迎えに行こうと思っていた茶太郎はクラスメイトに呼び止められた。
「おい茶太郎、今週は俺たちの班が片付けだろ」
「あ……そっか」
授業で使った用具を倉庫へ持って行くのである。誰か……そう思いながら視線を泳がせると、体育館の出口で靴を履き替えている央弥と目が合った。
「テッドか?俺、迎えに行こうか」
「ああ、悪い」
「いいよ別に。すぐ着替えて行ってくる」
そもそも西田の仕事だろうが、と悪態を吐きながらも急いで行動に移る。央弥がいてくれて良かった、と茶太郎は安心してボールをカゴに集め始めた。
茶太郎と他の片付け当番たちが教室へ戻って着替え始めたタイミングでホームルームのチャイムが鳴る。ギリギリだったな、などと話す声を聞きながら茶太郎はソワソワと辺りを見回した。テッドがまだ帰ってきていない。
「……あれ、いねぇのか」
そこへ央弥が一人で戻ってきた。空っぽのテッドの席を見て首を傾げる。茶太郎は服のボタンを留めながら「あっちにいなかったのか?」と尋ねた。
「ああ、一応軽く探しながら戻ってきた。入れ違いになったのかと思ったんだけどな」
「……トイレかな」
そう言いながら茶太郎の顔には不安と動揺が走る。
「さあな。ちょっと心配だ」
「うん」
探しに行こうと教室を出かけたが、ちょうど担任が入ってきて「さっさと座れ」と注意した。
「先生、テッドがいなくて」
「すぐ来るだろ」
嫌な予感がする。座れと言われて席に戻ったが到底落ち着けるわけがない。ホームルームの内容を聞き流しながら窓の外を見ると、校門前の池に人影が見えた。窓を開けると冷たい風が入ってくる。近くの席の生徒たちに「ちょっと」「閉めろよ」と言われたが、茶太郎の視線は池に釘付けになっていた。
「……」
複数人いる。その中心には……あまりにも目立つ金髪。頭に何かスプレーのようなものをかけられて抵抗している。心臓がバクバクと高鳴って、目の前の光景が上手く理解できない。
「テッド……?」
「おい山代」
担任が窓を閉めろと言っているが茶太郎には聞こえない。次の瞬間、テッドが数人がかりで羽交い締めにされ、池に頭を押しつけられた。どこか現実逃避していた茶太郎はハッとして弾かれたように叫んだ。
「やめろ!!」
その声に気が付いた生徒たちはこちらを見てケタケタと笑い、テッドを池に突き落として立ち去った。バシャンと激しい着水音が響く。
「テッド!!」
担任が何か言っていたが、当然気にする余裕などなかった。
階段を落ちそうになりながら駆け降り池までたどり着くと、茶太郎は自身が濡れる事など微塵も気にせずザブザブと中へ足を踏み入れた。テッドは池の中で上半身だけ起こした状態で座り込み、固まってしまっている。
「テッド、水飲んでないか?」
池から出るぞ、と声をかけても反応が無い。茶太郎はほとんど抱き抱えるようにしてなんとか一緒に立ち上がり、上がれそうな場所を探して歩き出した。耳元で聞こえるテッドの呼吸が震えている。
「誰か!手伝ってくれ!」
必死で顔を上げるとあちこちの窓から生徒たちがこっちを見ていた。心配そうな者、野次馬、面白がる者……役立たずばかりだ。小さく「クソったれ」と呟いてテッドを抱え直した。
「大丈夫だからな」
その時、央弥の声が聞こえた。急いで来たらしく、息が乱れている。
「茶太郎!こっちから引っ張る!」
「足元気をつけろよ」
同じく騒ぎを聞いて教室から降りてきた辰真も池の淵から手を伸ばしてくれて、茶太郎はズシッと重いテッドの体を力一杯押し上げて二人の方へ近寄せた。
「冷てえ」
「ひでぇな……」
池から引き上げられたテッドの顔や髪は黒染めスプレーをかけられたようで、ドロドロになっている。央弥と辰真は冷え切っているテッドを両脇から支えて池から離れ、廊下に下ろした。
「とりあえず水気を絞れるだけ絞ろう」
「ああ、分かってる」
ズブ濡れの学ランは脱がすのも大変そうだと判断した辰真はひとまずこのまま保健室へ運ぶべきだと言う。央弥が振り返ると茶太郎はまだ池の中にいた。
「おい茶太郎!何してんだ!!」
「耳栓が無いんだ!」
それを聞いて辰真がテッドの耳を確認すると確かに右耳のイヤープラグが外れてしまっている。しかしその事より、頬に手を当てた時の重みに違和感があった。首に力が入っていない。
「……どうした、しっかりしろ」
その言葉で異変に気がついた央弥がすぐに駆け出す。
「茶太郎、そっちは俺が探すから行け!テッドの様子が変だ!」
その言葉にハッとした茶太郎は水草をかきわけていた手を止めて池から上がった。
「先輩っ……!」
「保健室に運ぶ。意識がないみたいだ」
3年の辰真はもう大人並みに体格もしっかりしていて力も十分にある。小柄とはいえズブ濡れで脱力しているテッドは重いはずだが、難なく抱き上げて立ち上がった。
「……っどけ!通してくれ!」
茶太郎が集まってきていた野次馬を手で追い払いながら辰真を先導すると、何人かが「保健室だって」「そっち行くって」と声をかけ合って道が開く。
「茶太郎、首を支えてやってくれ」
そう声をかけられて辰真に駆け寄り、初めてテッドの汚された顔をしっかり確認した茶太郎はショックを受けた。
「……!」
目の中まで汚れている。洗い流さないといけない。しかしとにかく保健室へ運ぼうと首を支えて足並みを揃えた。人混みの中に担任の姿が見えたが、何も手を貸そうとしないので茶太郎も頼ろうとは考えもしなかった。
保健室へ飛び込むと、養護教諭が状況を見てすぐに濡れてもいいからベッドへ寝かせるよう指示をすると、常備してあるタオルを全て出してきた。そして「もっと持ってくるから」と外へ向かう。茶太郎はその背中に叫んだ。
「先生、テッドのお母さんの連絡先は分かりますか!」
養護教諭は頷き、連絡してくると走り去った。それと入れ違えるように担任が入ってきて、濡れた床を踏まないようスリッパを履いてからベッドの隣までやってきた。必死で濡れた学ランからテッドの腕を引き抜こうとしている茶太郎たちを手伝いもせず、口を開いたかと思えば飛び出した言葉は「勝手に落ちたんだよな?」だった。
「そんなワケねぇだろ!落とされたんだよ、2年のヤツらに!!」
茶太郎がつい激昂して怒鳴るが響いた様子はない。
「一人で遊んでただけだろ。母親にはそう説明しとけ」
それだけ言い残し、会議があると担任は保健室を後にした。文句はいくらでもあるが、今はクズ教師に構っている場合ではなかった。
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