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番外編◆同級生の世界のBOX 7/8

【同級生の世界のBOX 07】 「別にいいよ、1人くらい子供が増えたって」  あの事件の後……茶太郎が家にテッドを連れて帰った時に母親が言ったのはそれだけだった。茶太郎の大雑把で面倒見の良い性格は間違いなく彼女から受け継いだものだ。あれから3日が経って、熱を出していたテッドの体調がすっかり良くなっても、その母親とは連絡がつかないまま。 「どうするつもりなんだろう」  土曜の夕方、リビングのソファに腰掛けて膝の上にいるテッドの頭を優しく撫でながら、茶太郎はポツリと呟いた。ダイニングテーブルを挟んだ壁沿いのキッチンで夕食の下拵えをしている母親が呑気に返す。 「こんな可愛い子を手放して平気なわけがない。気持ちが落ち着いたら戻ってくるでしょ」 「……どうかな」  手を繋いだことが一度も無いと言っていたあの日の彼女の表情を思い出す。表面的には柔らかく微笑みながらもどこか張り詰めていて、少しでもヒビが入ればバラバラに崩れそうな危うさがあった。 「色々あるよ、子育てしてたら。特に母一人子一人だと、向き合うことに疲れて一時的に逃げ出したくなる時もある」  そう語りながらフライパンをゆする背中を見つめて、茶太郎は「母さんにもそういう気持ちって分かるんだ」と失礼なことを考えていた。 「でも私は何日いてくれてもいいからね。このままうちの子になってもいいのよ」  半分冗談で、半分本気だ。茶太郎の母親は口を開けば「テッドちゃん」「おかし食べる?」「歯磨きしてあげる」とテッドを猫可愛がりしている。茶太郎の血筋を感じているのかテッドも嫌がる様子はなく、大人しく世話を焼かれているのだった。  夜になるとテッドにベッドを使わせて茶太郎はその隣に出した客用布団に横になった。熱がある間は動く元気も無いようで静かにふぅふぅと苦しげな呼吸を繰り返すばかりだったが、今夜はモソモソと起き上がって茶太郎の布団に潜り込んできた。 「なに……こっちは硬いよ」  そっちで寝るように言ってもくっつかれて、特に拒む理由もない茶太郎は隣にスペースを開けてやる。しかし硬い布団で寝るよりベッドで並んで眠ればいいとすぐに思い直した。 「……じゃあ一緒にベッドで寝ようか」  声をかけて手を差し出すと素直に握られる。軽く支えるようにして起き上がらせると、手を繋いだまま二人揃ってベッドに寝転がった。 「おやすみ、テッド」  ***  冬休みになり、クリスマスを過ぎ、年が明けてもテッドの母親は行方知れずのままだった。元旦の朝、おせちを食べながら「初詣に行こうよ」と姉が言うと、エビの殻を剥いてテッドに食べさせていた茶太郎が行かないと返す。 「俺たちは家にいる。俺もテッドも人混み苦手だし」 「つまんない!」 「うるさい」  その時、茶太郎の父親がテレビを観ながら「アメリカに帰っちゃったのかなあ」と呟いた。当然、テッドの母親のことだろう。 「じゃあもうウチの子でいいじゃん。養子縁組!ね!」  姉は事もなくそう言いながら箸を置いて、自分宛の年賀状をトランプのように広げると何やら仕分けし始めた。どれも"デコ"られていてギラギラだ。 「簡単に言うなよ」 「だあって!私こんなサルじゃなくて、小さくて可愛い弟がほしかったの!」  金髪蒼眼の弟!めっちゃ自慢じゃん、ヤバーい!と頭の悪そうな発言に茶太郎はうんざりした。 「誰がサルだよ。それにテッドだって、今は小さくてもこれから成長期がくるけど」 「テッドはずっとこのままだもんね?」  大人しくモグモグと口を動かしているテッドに姉は可愛い可愛いと頬擦りをしようとするが、仰け反りながら押し退けられる。 「めちゃくちゃイヤがられてるし」  食ってンだよ!と反対側から茶太郎が怒ると姉は生意気!と言い返して頭をスパンと叩いた。 「引き取るならちゃんと手続きしなきゃね」  雑煮を持ってきた母親がそれぞれの前に配りながら平然とそう言う。父親も当然のように頷いた。 「行きつけの病院とかもあるだろうしな。正月休みが明けたら俺、近所の支援センターでこの子の療育がどうなってるのか確かめてくるよ」 「あ、ついでに区役所で印鑑証明ももらってきてくれる?」  まるで近所で産まれた子猫を引き取る程度の軽さで話す両親に茶太郎は呆れながらも感謝するのであった。  ***  幸い、この家に来てからテッドに落ち込んだ様子は無い。むしろ茶太郎と過ごせる時間が増えて嬉しそうでもある。あとどれくらいこんな日が続くのだろうか。親に"捨てられた"ことをテッドが理解してしまうのは、いつなのか。部屋の電気を落とし、ベッドに潜り込んで、小さな体をギュッと抱きしめる。 「大丈夫」  それはテッドに言っているようで、自分自身に言い聞かせているのだった。 「絶対に大丈夫だからな」  泣いてはいなかったが、その声は震えていた。テッドはゴソゴソと身じろぎ、手を伸ばして茶太郎の頭を撫でる。そして慰めるように、ぺたりと頬をくっつけあわせた。

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